安野光雅の最新刊で、「身のうえ話を書きました。絵もいっぱい描きました。」と帯に書いてあり、カラー版の挿絵が沢山掲載されていて、それに、洒脱で軽妙なタッチの文章が踊っていて、非常に面白い。
感性の豊かさは、流石で、私のようなビジネス戦士OBとは全く違った、ユーモアとほのぼのとした温かさの中に、ほろっとした哀愁を感じさせて、実に懐かしいのである。
ところが、何故か、どうしても理解に苦しむような、と言うよりも、意味不明の物語などもあるのだが、私の記憶からは殆ど消えてしまったような懐かしい昭和の息吹が蘇って来て、とにかく、貴重なもう少し価値のあった日本が髣髴としてくるところが実に良い。
一つだけ、私の印象も交えて、「ダイアナ妃のこと」と言う文章があるので、ちょっと、触れてみたい。
安野さんは、「旅の絵本」で、婚礼の儀式を描いたので、それを見た英国大使館の人が名簿に載せたのか、大使館でのダイアナ妃出席の記念パーティに招待されて、出かけて、ダイアナ妃と握手したのだと言う。
安野さんのような人でも、ブラックタイの意味が分からなくて、高峰秀子さんに教えて貰って東条会館で借り、歩いて来る人が誰もおらず皆黒塗りの車で来ており、仕方なく、白い自家用車を運転して出かけたようだが、貸衣装と白い車のコンプレックス(?)で、すっかり怖気づいて、後ろの隅に控えて様子を見ていたのだと言う。
大使館の人の誘いで、終わり近くになって、ダイアナ妃に紹介されて、ラスト・アクシュした。
安野さんのダイアナ印象記は、「ダイアナ妃は白いドレスで、背中が丸見えになるほどくりぬいた衣装だった。まだすごくおわかくて目の大きな美人だった。」
チャールズとの不仲がうわさされ、だれでも「あの年増のカミラのどこがいいのか」と、ダイアナ妃に味方しないものはなかった、と書いている。
その後、パリに行った時に、ダイアナ妃がパパラッチに追いかけられてクラッシュしたセーヌ沿いのトンネルの現場を通って黙祷を捧げたと言うのだから、ダイアナ妃のファンだったのであろう。
ところで、私がロンドンに居たのは、1988年から1993年だったので、ぼつぼつ、二人の仲があやしくなり始めた頃で、公式の場でも、同席されることが、少なくなって来ていた。
私は、チャールズ皇太子にお会いした方が多くて、あるレセプションで、玄関で列に並んでお出迎えしたり、別な機会で、日本の経営について立ち話をしたことがあるのだが、ダイアナ妃には、一度だけ、知人のアーキテクトが設計したホームレス施設のオープニングで、お出迎えの列に加わって、お話をして握手をする機会があった。
その時の写真が何枚かあったのだが、何回も宿替えをしている間になくなってしまった。
何をお話ししたか記憶にはないが、ダイアナ妃は、無言で頷いておられたが、握手の手は温かくて柔らかかった。
そのパーティの間、ずっと、座っておられるダイアナ妃の横に立っていたので、雰囲気は良く覚えているが、実に、美しくて匂うようにチャーミングであった。
その後、ロイヤル・バレーやロンドン交響楽団などのコンサートなどに良く来られていたので、身近にお見受けする機会があったのだが、世界中から愛されるのも当然であったであろうと思う。
この口絵は、同書から転写した安野さんの描いたダイアナ妃とチャールズ皇太子の馬車である。
感性の豊かさは、流石で、私のようなビジネス戦士OBとは全く違った、ユーモアとほのぼのとした温かさの中に、ほろっとした哀愁を感じさせて、実に懐かしいのである。
ところが、何故か、どうしても理解に苦しむような、と言うよりも、意味不明の物語などもあるのだが、私の記憶からは殆ど消えてしまったような懐かしい昭和の息吹が蘇って来て、とにかく、貴重なもう少し価値のあった日本が髣髴としてくるところが実に良い。
一つだけ、私の印象も交えて、「ダイアナ妃のこと」と言う文章があるので、ちょっと、触れてみたい。
安野さんは、「旅の絵本」で、婚礼の儀式を描いたので、それを見た英国大使館の人が名簿に載せたのか、大使館でのダイアナ妃出席の記念パーティに招待されて、出かけて、ダイアナ妃と握手したのだと言う。
安野さんのような人でも、ブラックタイの意味が分からなくて、高峰秀子さんに教えて貰って東条会館で借り、歩いて来る人が誰もおらず皆黒塗りの車で来ており、仕方なく、白い自家用車を運転して出かけたようだが、貸衣装と白い車のコンプレックス(?)で、すっかり怖気づいて、後ろの隅に控えて様子を見ていたのだと言う。
大使館の人の誘いで、終わり近くになって、ダイアナ妃に紹介されて、ラスト・アクシュした。
安野さんのダイアナ印象記は、「ダイアナ妃は白いドレスで、背中が丸見えになるほどくりぬいた衣装だった。まだすごくおわかくて目の大きな美人だった。」
チャールズとの不仲がうわさされ、だれでも「あの年増のカミラのどこがいいのか」と、ダイアナ妃に味方しないものはなかった、と書いている。
その後、パリに行った時に、ダイアナ妃がパパラッチに追いかけられてクラッシュしたセーヌ沿いのトンネルの現場を通って黙祷を捧げたと言うのだから、ダイアナ妃のファンだったのであろう。
ところで、私がロンドンに居たのは、1988年から1993年だったので、ぼつぼつ、二人の仲があやしくなり始めた頃で、公式の場でも、同席されることが、少なくなって来ていた。
私は、チャールズ皇太子にお会いした方が多くて、あるレセプションで、玄関で列に並んでお出迎えしたり、別な機会で、日本の経営について立ち話をしたことがあるのだが、ダイアナ妃には、一度だけ、知人のアーキテクトが設計したホームレス施設のオープニングで、お出迎えの列に加わって、お話をして握手をする機会があった。
その時の写真が何枚かあったのだが、何回も宿替えをしている間になくなってしまった。
何をお話ししたか記憶にはないが、ダイアナ妃は、無言で頷いておられたが、握手の手は温かくて柔らかかった。
そのパーティの間、ずっと、座っておられるダイアナ妃の横に立っていたので、雰囲気は良く覚えているが、実に、美しくて匂うようにチャーミングであった。
その後、ロイヤル・バレーやロンドン交響楽団などのコンサートなどに良く来られていたので、身近にお見受けする機会があったのだが、世界中から愛されるのも当然であったであろうと思う。
この口絵は、同書から転写した安野さんの描いたダイアナ妃とチャールズ皇太子の馬車である。