昨日、東寺の弘法市について書いたが、旅で遭遇した市場や露天市などを思い出しながら、雑感を綴ってみたい。
この口絵写真は、インターネットから借用したのだが、ペルシャかアラブ、おそらく、中近東のバザールであろうと思う。
あの哀調を帯びた「ペルシャの市場」のメロディーがこびり付いているので、一度行ってみたいと思っていたのだが、果たせず、しかし、何度か、サウジアラビアやトルコに出張した時に、中東の市場バザールを見ているので、露天のキャラバンによるペルシャ風の市場とは、多少、違うとしても、シルクロードの終着駅の市場は、あのような雰囲気ではなかったかと勝手に思っている。
アラブでは、バザールでは勿論、絶対に言い値で買ってはダメで、必ず、丁々発止、熾烈な根切交渉をして買うべしと言うのが鉄則である。
アラブ商人は、口から出まかせであっても、いかに自分の商品が価値があって値打ちものなのかと言うことを熱心に説いて、原価よりはるかに高い売値を吹っかけてくるので、買う方も徹底的に低い価格から交渉を始めて叩きにかかる。
商人は、自分の商品をいかに高く売りつけるか、高く売れば売るほど知恵のある商人としての価値が認められたと言うことであるから、とにかく、あらゆる情報と口車を総動員して、権謀術数、知的武装を試みて商売に励む。
売値が1000ドルであれば、100ドルから買いに入った買い手が交渉に成功して500ドルで商談が成立しても、原価が200ドルであれば、商人は300ドルの儲けで、買い手は、500ドル安く買ったと双方満足する。
これが、知恵と知恵との鬩ぎあい、真っ向勝負の、アラブ商法なのである。
余談だが、あのカルロス・ゴーンの故郷レバシリ(レバノン・シリア)のコンサルタントのアテンドをしたときに、あの地方では、絶対に値切り交渉してものを買うので、京都を案内にしたときに、所かまわず値切り倒して辟易したことがある。
余談ついでに、男の子を生まないと男が廃るとかで、その時慶応の先生が男女の産み分け方法を発案したと言うニュースが流れて、自分の子供は女の子ばかりなので、是非、その処方箋を送ってくれと喧しくいって帰って行った。
中国も、このアラブ商法と全くうり二つの商売の世界。
日本の観光客が、中国に行くと、国立の販売店だと言って言い値で買っていると言うが、極端に言えば、半分か3分の1くらいから値切り交渉に入るべきであり、徹底的に叩くべきであって、その買い手が安い言い値をぶっつけて席を蹴っても、利益が見込めれば、「だんな、だんな、貴方は特別のお客さんだから負けましょう」と言って後を追っかけてくるはず。
最初に中国に行った時には、このことを知らずに、言い値で買ったが、叩きに叩いて「だんな」と追いかけさせたのは最近の話。
今は知らないが、昔、大阪の百貨店でも、「お姉さん、べっぴんさんやなあ、一寸、勉強しといてええな」と言って値切れたと言う。
ところ変われば、商売は違うと言うことであって、金のない庶民は、賢く生きることである。
さて、私は、結構、海外生活が長かったので、旅の途中、あっちこっちで、露天や公設市場など、市を見ている。
ヨーロッパに居た頃には、マーケットリサーチなど国情視察なども業務の一端であったので、意識して、その都市の公設市場やシティホール広場の露天市や蚤の市に出かけた。
大阪に行けば黒門市場、京都に行けば錦市場と言うところだが、今日、黒門市場など、大半の客が中国人で、店舗の所有や経営までもが中国人に移り始めて、どこかの植民地、租界のようになってしまうと、何おか況やだが、市に行けば、最新の世相が分かると言うのは事実である。
ヨーロッパの蚤の市は、骨董市ともいうべき位置づけで、わが家にも、そこで買った古いマイセンやドイツやイタリアのフィギャー人形が残っている。
ロンドンのロイヤルオペラの前のコベントガーデン広場には、毎日、露店が開かれていて、町や田舎の芸術家の卵などが、自慢の美術品や工芸品を展示していて、面白い作品が手に入る。
ヨーロッパの主な都市は勿論、田舎町も随分歩いたので、色々なマーケットや市で、面白い経験をしているのだが、最近になって、多少骨董品に興味を持ち始めたので、もう少し、頻繁に蚤の市を歩いたり、イギリスの骨董屋を訪ねるべきであったと、後悔している。
アメリカ留学中には、カナダやメキシコに行っており、サンパウロにも長く居たので、南アメリカの国々も殆ど回っており、インディオの古色蒼然とした露店やラテン特有のエキゾチックなバザール風景も印象に残っている。
サンパウロで興味深かったのは、住宅街を、輪番制で定期的に、街々の道路に立つ大掛かりな「フェーラ」と言う主に食料品や日用雑貨を扱う露天市で、当時なかったスーパーやコンビニ替わりで、貴重な俄かショッピングセンターであったこと。
市は、物の売買だけの空間ではなくて、ギリシャのアゴラそのもの、生身の人間の生きる鬩ぎあいが爆発する、途轍もない力でぶつかりあったエネルギーの炸裂する世界なのであろうと思う。
ところが、今や、デジタル革命で、人間が、AIやロボティックスに取って代わられて、商売の世界は、リアルショップではなく、ネットショッピング主体となって仮想空間で処理されるとなると、どろどろした「悪」を秘めた人間が人間らしくある唯一の世界である市はどうなるのか。
雑踏を搔き分けて、わくわくしながら、彷徨う市の楽しさが、消えてしまうとは思えないが、何となく、殺伐とした世界になるようで、寂しい限りである。
この口絵写真は、インターネットから借用したのだが、ペルシャかアラブ、おそらく、中近東のバザールであろうと思う。
あの哀調を帯びた「ペルシャの市場」のメロディーがこびり付いているので、一度行ってみたいと思っていたのだが、果たせず、しかし、何度か、サウジアラビアやトルコに出張した時に、中東の市場バザールを見ているので、露天のキャラバンによるペルシャ風の市場とは、多少、違うとしても、シルクロードの終着駅の市場は、あのような雰囲気ではなかったかと勝手に思っている。
アラブでは、バザールでは勿論、絶対に言い値で買ってはダメで、必ず、丁々発止、熾烈な根切交渉をして買うべしと言うのが鉄則である。
アラブ商人は、口から出まかせであっても、いかに自分の商品が価値があって値打ちものなのかと言うことを熱心に説いて、原価よりはるかに高い売値を吹っかけてくるので、買う方も徹底的に低い価格から交渉を始めて叩きにかかる。
商人は、自分の商品をいかに高く売りつけるか、高く売れば売るほど知恵のある商人としての価値が認められたと言うことであるから、とにかく、あらゆる情報と口車を総動員して、権謀術数、知的武装を試みて商売に励む。
売値が1000ドルであれば、100ドルから買いに入った買い手が交渉に成功して500ドルで商談が成立しても、原価が200ドルであれば、商人は300ドルの儲けで、買い手は、500ドル安く買ったと双方満足する。
これが、知恵と知恵との鬩ぎあい、真っ向勝負の、アラブ商法なのである。
余談だが、あのカルロス・ゴーンの故郷レバシリ(レバノン・シリア)のコンサルタントのアテンドをしたときに、あの地方では、絶対に値切り交渉してものを買うので、京都を案内にしたときに、所かまわず値切り倒して辟易したことがある。
余談ついでに、男の子を生まないと男が廃るとかで、その時慶応の先生が男女の産み分け方法を発案したと言うニュースが流れて、自分の子供は女の子ばかりなので、是非、その処方箋を送ってくれと喧しくいって帰って行った。
中国も、このアラブ商法と全くうり二つの商売の世界。
日本の観光客が、中国に行くと、国立の販売店だと言って言い値で買っていると言うが、極端に言えば、半分か3分の1くらいから値切り交渉に入るべきであり、徹底的に叩くべきであって、その買い手が安い言い値をぶっつけて席を蹴っても、利益が見込めれば、「だんな、だんな、貴方は特別のお客さんだから負けましょう」と言って後を追っかけてくるはず。
最初に中国に行った時には、このことを知らずに、言い値で買ったが、叩きに叩いて「だんな」と追いかけさせたのは最近の話。
今は知らないが、昔、大阪の百貨店でも、「お姉さん、べっぴんさんやなあ、一寸、勉強しといてええな」と言って値切れたと言う。
ところ変われば、商売は違うと言うことであって、金のない庶民は、賢く生きることである。
さて、私は、結構、海外生活が長かったので、旅の途中、あっちこっちで、露天や公設市場など、市を見ている。
ヨーロッパに居た頃には、マーケットリサーチなど国情視察なども業務の一端であったので、意識して、その都市の公設市場やシティホール広場の露天市や蚤の市に出かけた。
大阪に行けば黒門市場、京都に行けば錦市場と言うところだが、今日、黒門市場など、大半の客が中国人で、店舗の所有や経営までもが中国人に移り始めて、どこかの植民地、租界のようになってしまうと、何おか況やだが、市に行けば、最新の世相が分かると言うのは事実である。
ヨーロッパの蚤の市は、骨董市ともいうべき位置づけで、わが家にも、そこで買った古いマイセンやドイツやイタリアのフィギャー人形が残っている。
ロンドンのロイヤルオペラの前のコベントガーデン広場には、毎日、露店が開かれていて、町や田舎の芸術家の卵などが、自慢の美術品や工芸品を展示していて、面白い作品が手に入る。
ヨーロッパの主な都市は勿論、田舎町も随分歩いたので、色々なマーケットや市で、面白い経験をしているのだが、最近になって、多少骨董品に興味を持ち始めたので、もう少し、頻繁に蚤の市を歩いたり、イギリスの骨董屋を訪ねるべきであったと、後悔している。
アメリカ留学中には、カナダやメキシコに行っており、サンパウロにも長く居たので、南アメリカの国々も殆ど回っており、インディオの古色蒼然とした露店やラテン特有のエキゾチックなバザール風景も印象に残っている。
サンパウロで興味深かったのは、住宅街を、輪番制で定期的に、街々の道路に立つ大掛かりな「フェーラ」と言う主に食料品や日用雑貨を扱う露天市で、当時なかったスーパーやコンビニ替わりで、貴重な俄かショッピングセンターであったこと。
市は、物の売買だけの空間ではなくて、ギリシャのアゴラそのもの、生身の人間の生きる鬩ぎあいが爆発する、途轍もない力でぶつかりあったエネルギーの炸裂する世界なのであろうと思う。
ところが、今や、デジタル革命で、人間が、AIやロボティックスに取って代わられて、商売の世界は、リアルショップではなく、ネットショッピング主体となって仮想空間で処理されるとなると、どろどろした「悪」を秘めた人間が人間らしくある唯一の世界である市はどうなるのか。
雑踏を搔き分けて、わくわくしながら、彷徨う市の楽しさが、消えてしまうとは思えないが、何となく、殺伐とした世界になるようで、寂しい限りである。