先月、京都に行ったときに、偶々、21日の初弘法市の日であったので、東寺に出かけた。
講堂の御仏たちについては、直後に書いたものの、時期遅れながら、青空市の面白さについて、一寸、書いてみたいと思ったのである。
NHK国宝の旅の「京都 東寺不動明王」の項に、中沢新一が、「弘法さんの中国みやげ」と言うエッセーを書いていて、弘法市について興味深い「市論」を展開している。
日本の中世の権力者は、市は、魅惑的な毒をはらんだ危険な場所であることを理解していたので、この市をコントロールするために、様々な工夫を凝らした。
市は、人間の自然的な欲望や力が自由に活躍する場であって、どんなに外の世界で力をふるっていた権威や社会的な決まりや戒律であろうとも、効力を無視して、そのしがらみから解き放されて、自由に生き生きと動き始める。
権力者たちは、このような自由な市のはらんだ恐ろしい力を恐れ、それを周りから囲い込んで、市の潜在力が社会の表面に広がっていくのを封じ込めようとしてきた。
ところで、東寺の市は、寺院の中に立つ。
商業の場である市と仏教の教えの場である寺院との間には対立するような面があるのだが、仏教の寺院は、世俗のしがらみから解放された心の自由を実現する場所であることから、市と寺院とは、ともに制度的な社会のコードの通用しなくなる空間として、同じ自由の感覚を共有している。
尤も、仏教は一般的には、人間の自然的な欲望が自由に動き回り、生き生きと活動したりすることには批判的だが、東寺は違う、市の猥雑さや賑わいを少しも否定することなく、真言密教の教えの中でも特異な思想から、様々なレベルの人間的自然が、様々な形をとって、大らかにのびのびと手足を伸ばすことを許していた。
空海の真言密教は、あらゆる欲望、あらゆる情動を大きく肯定するのだが、単なる欲望肯定の思想とするものではなく、人間的な「自然」を含めて、すべての自然を肯定しようとしていた。
それ故に、弘法市が発展維持されてきたのだと言うのである。
難しいことはともかく、毎月21日の弘法市には、東寺境内の道路や空き地にびっしりと縁日風の屋台と言うか露店が並んで、沢山の参詣者で賑わう。
骨董市と言う風情でもあるが、骨董など一部分で、植木市であったり、食品街であったり、衣服や工芸・民芸、とにかく、店舗で商われるような商品の店は、殆ど軒を並べると言う感じである。











講堂の御仏たちについては、直後に書いたものの、時期遅れながら、青空市の面白さについて、一寸、書いてみたいと思ったのである。
NHK国宝の旅の「京都 東寺不動明王」の項に、中沢新一が、「弘法さんの中国みやげ」と言うエッセーを書いていて、弘法市について興味深い「市論」を展開している。
日本の中世の権力者は、市は、魅惑的な毒をはらんだ危険な場所であることを理解していたので、この市をコントロールするために、様々な工夫を凝らした。
市は、人間の自然的な欲望や力が自由に活躍する場であって、どんなに外の世界で力をふるっていた権威や社会的な決まりや戒律であろうとも、効力を無視して、そのしがらみから解き放されて、自由に生き生きと動き始める。
権力者たちは、このような自由な市のはらんだ恐ろしい力を恐れ、それを周りから囲い込んで、市の潜在力が社会の表面に広がっていくのを封じ込めようとしてきた。
ところで、東寺の市は、寺院の中に立つ。
商業の場である市と仏教の教えの場である寺院との間には対立するような面があるのだが、仏教の寺院は、世俗のしがらみから解放された心の自由を実現する場所であることから、市と寺院とは、ともに制度的な社会のコードの通用しなくなる空間として、同じ自由の感覚を共有している。
尤も、仏教は一般的には、人間の自然的な欲望が自由に動き回り、生き生きと活動したりすることには批判的だが、東寺は違う、市の猥雑さや賑わいを少しも否定することなく、真言密教の教えの中でも特異な思想から、様々なレベルの人間的自然が、様々な形をとって、大らかにのびのびと手足を伸ばすことを許していた。
空海の真言密教は、あらゆる欲望、あらゆる情動を大きく肯定するのだが、単なる欲望肯定の思想とするものではなく、人間的な「自然」を含めて、すべての自然を肯定しようとしていた。
それ故に、弘法市が発展維持されてきたのだと言うのである。
難しいことはともかく、毎月21日の弘法市には、東寺境内の道路や空き地にびっしりと縁日風の屋台と言うか露店が並んで、沢山の参詣者で賑わう。
骨董市と言う風情でもあるが、骨董など一部分で、植木市であったり、食品街であったり、衣服や工芸・民芸、とにかく、店舗で商われるような商品の店は、殆ど軒を並べると言う感じである。











