組踊上演300周年記念特別企画の一環として、観世能楽堂で、特別企画「琉球王朝の息吹を
今に伝える」と題した公演が行われた。
組踊は、沖縄が琉球王国だった時に、中国皇帝の使者冊封使を饗応するために、琉球王府の役人であった玉城朝薫によって、1719年に創作された、まず、尚敬王の冊封式典の際に「二童敵打」と「執心鐘入」が初演されたという。
朝薫は、若い頃から音楽や舞踊、文芸に優れた人物であり、公務で薩摩や江戸に7回出かけており、そこで能や狂言、歌舞伎などの大和芸能を鑑賞し、琉球国内では中国戯曲を鑑賞するなどし、芸能への造詣を深めて、琉球古来の芸能や故事を基礎に、大和芸能や中国戯曲にヒントを得て組踊を創作したのである。
興味深いのは、歌舞伎やシェイクスピア戯曲の初期と同様に、組踊の担い手は、すべて男性で、王府に勤務する士族とその子弟であったと言う。
朝薫が創作した組踊は、「執心鐘入」「銘苅子」「孝行之巻」「女物狂」「二童敵討」で、朝薫の五番とよばれて大切にされていると言うことだが、「執心鐘入」は、能「道成寺」、「銘苅子」は、能「羽衣」、「二童敵討」は、能「放下僧」に想を得ているなど、能の影響を色濃く継承しており、実際に、これらの組踊の舞台を鑑賞しても、能舞台にも、しっくりと収まり、違和感を感じないのである。
嘉数道彦師の説明では、組踊は、沖縄のオペラであり、沖縄のミュージカルであるとのことであったが、私には、むしろ、沖縄の能・狂言であると言うべきで、完全に総合芸術であるオペラの世界とは、全く異質のパーフォーマンス・アーツだと思っている。
独善と偏見かも知れないのだが、日本の歌舞伎なども、演劇などと同様に、それに近いと思うのだが、これらは、舞台ですべてを表現すべく、あらゆる可能な手段を駆使して演ずるのだが、能・狂言や組踊は、精神性が高く、エッセンスを凝縮した象徴的な舞台を演じて想像の世界を増幅しており、ニュアンス的にも鑑賞法にしても、かなり、違うと思っている。
組踊は、唱え(セリフ)・所作・音楽が一体となった新しい芸術だと言うことだが、興味深いのは、組踊を鑑賞するのに、組踊を聴きに行くと言うことで、これは、シェイクスピア戯曲を聴きに行くとか、文楽を浄瑠璃を聴きに行くと言うとの同じ次元の表現で、いかに、詞章なりセリフが、重要かと言うことを語っていて興味深い。
音楽は、はるかに歴史の古い能の楽器とは違って、三線、琴、笛、胡弓、太鼓で構成されていて、この奏者たちを「地謡」と言うのだが、能と違うのは、能でいう地謡がなくて、中心となる三線が、歌三線と称されるごとく、地謡を兼ねており、琉球舞踊にはセリフがないので、この歌三線がナレーターとなる。
組踊の演者は、旋律に乗せて、抑揚をつけて歌うように唱える。
私には、唱え(セリフ)・所作・音楽が一体となった組踊の舞台は、能の変形のように思えるのである。
能・狂言に触発されて、200年遅れて生まれ出た文楽や歌舞伎とは、一寸ニュアンスの違った組踊が、隣国の琉球王朝であった故に生まれたのが興味深い。
当日は、嘉数道彦師の「琉球芸能の解説」があり、士族の正装であった衣装をつけた地謡方の帯の結び方や、音楽の楽器演奏の紹介などを行った。
その後、実演として、女踊「女こてい節」、二才踊「高平良万歳」、雑踊「加那よ一天川」が、
立方 佐辺良和と宮城茂雄、歌三線 新垣俊道と仲村逸夫、筝 名嘉ヨシ子、太鼓 久志大樹によって披露された。
3年前に、横浜能楽堂で、能「羽衣」と同時に、それを脚色した組踊「銘苅子」を観てから、それ以降何度か、組踊と琉球舞踊を鑑賞して、少しずつ、楽しめるようになってきている。
3月9日に、国立劇場で、「組踊と琉球舞踊」の本格的な上演が予定されており、楽しみにしている。
今に伝える」と題した公演が行われた。
組踊は、沖縄が琉球王国だった時に、中国皇帝の使者冊封使を饗応するために、琉球王府の役人であった玉城朝薫によって、1719年に創作された、まず、尚敬王の冊封式典の際に「二童敵打」と「執心鐘入」が初演されたという。
朝薫は、若い頃から音楽や舞踊、文芸に優れた人物であり、公務で薩摩や江戸に7回出かけており、そこで能や狂言、歌舞伎などの大和芸能を鑑賞し、琉球国内では中国戯曲を鑑賞するなどし、芸能への造詣を深めて、琉球古来の芸能や故事を基礎に、大和芸能や中国戯曲にヒントを得て組踊を創作したのである。
興味深いのは、歌舞伎やシェイクスピア戯曲の初期と同様に、組踊の担い手は、すべて男性で、王府に勤務する士族とその子弟であったと言う。
朝薫が創作した組踊は、「執心鐘入」「銘苅子」「孝行之巻」「女物狂」「二童敵討」で、朝薫の五番とよばれて大切にされていると言うことだが、「執心鐘入」は、能「道成寺」、「銘苅子」は、能「羽衣」、「二童敵討」は、能「放下僧」に想を得ているなど、能の影響を色濃く継承しており、実際に、これらの組踊の舞台を鑑賞しても、能舞台にも、しっくりと収まり、違和感を感じないのである。
嘉数道彦師の説明では、組踊は、沖縄のオペラであり、沖縄のミュージカルであるとのことであったが、私には、むしろ、沖縄の能・狂言であると言うべきで、完全に総合芸術であるオペラの世界とは、全く異質のパーフォーマンス・アーツだと思っている。
独善と偏見かも知れないのだが、日本の歌舞伎なども、演劇などと同様に、それに近いと思うのだが、これらは、舞台ですべてを表現すべく、あらゆる可能な手段を駆使して演ずるのだが、能・狂言や組踊は、精神性が高く、エッセンスを凝縮した象徴的な舞台を演じて想像の世界を増幅しており、ニュアンス的にも鑑賞法にしても、かなり、違うと思っている。
組踊は、唱え(セリフ)・所作・音楽が一体となった新しい芸術だと言うことだが、興味深いのは、組踊を鑑賞するのに、組踊を聴きに行くと言うことで、これは、シェイクスピア戯曲を聴きに行くとか、文楽を浄瑠璃を聴きに行くと言うとの同じ次元の表現で、いかに、詞章なりセリフが、重要かと言うことを語っていて興味深い。
音楽は、はるかに歴史の古い能の楽器とは違って、三線、琴、笛、胡弓、太鼓で構成されていて、この奏者たちを「地謡」と言うのだが、能と違うのは、能でいう地謡がなくて、中心となる三線が、歌三線と称されるごとく、地謡を兼ねており、琉球舞踊にはセリフがないので、この歌三線がナレーターとなる。
組踊の演者は、旋律に乗せて、抑揚をつけて歌うように唱える。
私には、唱え(セリフ)・所作・音楽が一体となった組踊の舞台は、能の変形のように思えるのである。
能・狂言に触発されて、200年遅れて生まれ出た文楽や歌舞伎とは、一寸ニュアンスの違った組踊が、隣国の琉球王朝であった故に生まれたのが興味深い。
当日は、嘉数道彦師の「琉球芸能の解説」があり、士族の正装であった衣装をつけた地謡方の帯の結び方や、音楽の楽器演奏の紹介などを行った。
その後、実演として、女踊「女こてい節」、二才踊「高平良万歳」、雑踊「加那よ一天川」が、
立方 佐辺良和と宮城茂雄、歌三線 新垣俊道と仲村逸夫、筝 名嘉ヨシ子、太鼓 久志大樹によって披露された。
3年前に、横浜能楽堂で、能「羽衣」と同時に、それを脚色した組踊「銘苅子」を観てから、それ以降何度か、組踊と琉球舞踊を鑑賞して、少しずつ、楽しめるようになってきている。
3月9日に、国立劇場で、「組踊と琉球舞踊」の本格的な上演が予定されており、楽しみにしている。