熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立能楽堂・・・能「小鍛冶」:狂言「伯母ヶ酒」

2019年08月01日 | 能・狂言
   7月国立能楽堂ショーケース 伯母ヶ酒・小鍛冶 の最終日に出かけた。
   狂言 伯母ヶ酒(おばがさけ)山本 則秀(大蔵流)
   能  小鍛冶(こかじ) 中村 邦生(喜多流)
   大島 輝久の解説がある普及バージョンの三日の連続公演で、安くて簡便で良くて、全く通常と変わらない質の高い本格的な舞台。見所には、学生客が多くて華やかである。

   「小鍛冶」は、次のような話。神がかり的な目出度い曲である。詞章も簡略で分かり易い。
   霊夢を得た一条天皇は、勅使(ワキツレ/御厨誠吾)を送り、三条宗近(ワキ/大日方寛)に御剣新造を命じさせる。宗近は、相応しい相鎚が居ないので困惑するも、辞退叶わず、加護を願って稲荷明神に参詣する。 宗近が、祭壇を築き、神に祈りを捧げていると、稲荷明神の眷属の霊孤(後シテ)が現れて、宗近の指南を仰ぎ、この神の相槌で、宗近は、刀剣を打ち、天下無双の霊剣“小狐丸”を仕上げる。御剣は朝廷に献上され、霊孤は稲荷山へ消えて行く。
   後場で、舞台正先に、壇の作りものが出されて、その台上に、鉄床、鉄槌、刀身、幣が置かれて、この上で二人によって、剣が打たれるので、視覚的にも興味深い。

   喜多流の「小鍛冶」は、昨年の「能楽祭」で、同じ、中村邦夫師のシテで、鑑賞している。
   今回は、赤頭であったが、この時は、「白頭」の小書きのある演出で、後シテは、白頭で白装束の颯爽たる出で立ちで登場して勇壮に舞い、喜多流独特の狐足を用いて、足音を立てずに敏捷に動いて、流れるように舞って印象的であった。
   後シテは、輪冠に狐戴をつけていたのだが、この狐が、今回とは違って、後ろ向きで尻を上げてしっぽの先が膨らんでいて狐らしからぬ姿をしていた。

   幸いと言うべきか、この前に、金剛永謹宗家がシテの金剛流の「小鍛冶」を、そして、上田貴弘師がシテの観世流の「小鍛冶」を鑑賞しており、両方とも「白頭」であった。
   「白頭」の方が、質の高い演出なのであろうが、口絵写真左側の赤頭も、凄い迫力で、中々見せて魅せてくれる。

   狂言「伯母ケ酒」は、
   酒好きの甥(シテ/山本則秀)が、酒屋を営んでいる伯母を訪ねて酒をせがむが、ケチな伯母(アド/山本則俊)は中々呑ませてくれない。この日も訪れて、伯母の酒の出来を褒めあげて、売ってやるので唎酒をさせてくれとせがむのだが、まだ売り初めをしていないのでタダ酒を振舞えない帰れと追い返される。どうしても飲みたい甥は、一計を案じて、隣村に鬼が出てここにもやってくると伯母を怖がらせ、自らが鬼に化けて帰って来て、伯母を脅し上げて酒蔵に入ってたらふく飲んで酔いつぶれて、とうとう、馬脚を現すと言う話。
   口八丁手八丁で、口から出まかせで説得しようとする甥を、しわい伯母が巧みに切り替わす対話の面白さ、
   鬼に化けて伯母を脅して酒にありつき、酒を飲むのに邪魔なので、武悪の鬼の面を、頭上にあげたり横向けに掛けたり膝にかけたりして、「見るなよ」と威嚇しながら徐々に酔いつぶれて行く仕草など、老長けたベテランの伯母の父と、パワー全開の溌溂とした次男との気の合った親子コンビの芸の冴えは流石で、楽しませてもらった。

   このようなシンプルな能狂言の公演が、2020年のオリンピック・パラリンピックに向かって用意されたのであろうが、外国人への日本古典芸術の紹介としては格好の舞台となろう。
コメント
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