佐渡汽船のジェットフォイルで両津に着くと、口絵写真の看板が、観光客を迎えてくれる。
佐渡観光のハイライトは、トキであり佐渡金山なのであろうが、私は、どちらにも行かなかった。
興味がなかったと言えばそれまでだが、今回は、日蓮大聖人と世阿弥に思いを馳せる旅であったこともあって、時間的な余裕もなかった。
それと、しみじみと感じたのは、あれも見たいここにも行きたい、好奇心旺盛で何でも体験してやろうと意気込むのが旅の醍醐味だとすれば、それは、若いときに限る、と言うことで、老年になってからの旅は、しみじみと人生を思う思索の旅のような気がしたことである。
若くして米国留学に恵まれ、壮年期から熟年期に掛けてヨーロッパ中心に海外生活が長かったので、随分色々な所をエネルギッシュに行脚し続けて、見るべきものは見たと言う心境に近づいたのも、若くて元気であったからこそできたことで、今では無理である。
孫娘の保育園と幼稚園の送り迎えから解放されてたので、フィラデルフィアへのセンチメンタルジャーニーとニューヨークへの文化芸術鑑賞旅に出ようと思ったのだが、コロナ問題以外にも、アジア人へのヘイトクライム問題や自分自身の体力に自信が持てなくなってきたこともあって、逡巡している。第二の故郷と思って自由気ままに闊歩していたはずのアメリカが遠くなってしまったのである。
さて、学生時代からの趣味であった古社寺散歩であるが、佐渡にも、それぞれ趣のある神社仏閣があって、興味深いのだが、最も印象に残っているのは、やはり、五重塔がある妙宣寺であった。
佐渡流罪後、大聖人に最初に帰依して、警戒を搔い潜って夜陰に紛れてお櫃を背負って三昧堂に通い続けた阿仏坊ゆかりの寺である。
その誠実な人柄を認めて、「阿仏坊さながら宝塔、宝塔さながら阿仏坊」、阿仏坊こそ生きた仏身、宝塔なのだと賛美されたほど高徳な人物で、この五重塔は、実はその開山を祀る堂なのだという。
文政8年(1825)に建立されたと言うので比較的新しい。建築様式は和様の三間五重塔婆で、屋根は宝形造桟瓦葺(旧こけら葺)、天辺に江戸風の相輪を備え、全高約24メートル、初層の各辺3.6メートルで、柱に杉材、上物に松材、組物に欅材が使用されている。と言う。
ただ、残念だと思うのは、法隆寺や薬師寺などの塔と違って檜造りではないので、多くの江戸時代の神社仏閣がそうであるように、退化が早いのではないかと言うことである。
本堂近くに、綺麗に手入れされた池を配した庭園があるなど境内は魅力的で、観光客が多い。
すぐ近くに、能楽堂のある大膳神社があるのだが、ここへは、訪れる人はいなかった。



今回の旅で、印象深かったのは、久しぶりに、魚介類を中心とした会食料理を頂いたので、佐渡のご飯と地酒が、実に美味しかったということである。
美しい棚田があることは知っていたが、時間がなくて見る機会がなかった。
まだ、秋の収穫期には間があるので、稲が根付いてしっかりと成長を始めた時期だが、強い風に吹かれて靡く姿が印象的であった。
しかし、水田だと思うのだが、田んぼには殆ど水がなく、陸稲の雰囲気であった。
北雪酒造では、佐渡米を使って醸造していると言っていたので、地酒も、この佐渡の大地と自然の恵みの為せる技なのであろう。
さて、順徳上皇や日蓮大聖人や世阿弥の頃は、どうだったのであろうか、ついつい、つまらないことを考えてしまう。
佐渡は、美しい素晴しいところであった。
何故か、学生時代に、京都や奈良の古社寺行脚を続けながら、しみじみと、日本の風土が醸し出す文化の香りに感動し続けていた、あの懐かしい青春時代の思いでが蘇ってきた。
素晴しい佐渡旅行であった。



佐渡観光のハイライトは、トキであり佐渡金山なのであろうが、私は、どちらにも行かなかった。
興味がなかったと言えばそれまでだが、今回は、日蓮大聖人と世阿弥に思いを馳せる旅であったこともあって、時間的な余裕もなかった。
それと、しみじみと感じたのは、あれも見たいここにも行きたい、好奇心旺盛で何でも体験してやろうと意気込むのが旅の醍醐味だとすれば、それは、若いときに限る、と言うことで、老年になってからの旅は、しみじみと人生を思う思索の旅のような気がしたことである。
若くして米国留学に恵まれ、壮年期から熟年期に掛けてヨーロッパ中心に海外生活が長かったので、随分色々な所をエネルギッシュに行脚し続けて、見るべきものは見たと言う心境に近づいたのも、若くて元気であったからこそできたことで、今では無理である。
孫娘の保育園と幼稚園の送り迎えから解放されてたので、フィラデルフィアへのセンチメンタルジャーニーとニューヨークへの文化芸術鑑賞旅に出ようと思ったのだが、コロナ問題以外にも、アジア人へのヘイトクライム問題や自分自身の体力に自信が持てなくなってきたこともあって、逡巡している。第二の故郷と思って自由気ままに闊歩していたはずのアメリカが遠くなってしまったのである。
さて、学生時代からの趣味であった古社寺散歩であるが、佐渡にも、それぞれ趣のある神社仏閣があって、興味深いのだが、最も印象に残っているのは、やはり、五重塔がある妙宣寺であった。
佐渡流罪後、大聖人に最初に帰依して、警戒を搔い潜って夜陰に紛れてお櫃を背負って三昧堂に通い続けた阿仏坊ゆかりの寺である。
その誠実な人柄を認めて、「阿仏坊さながら宝塔、宝塔さながら阿仏坊」、阿仏坊こそ生きた仏身、宝塔なのだと賛美されたほど高徳な人物で、この五重塔は、実はその開山を祀る堂なのだという。
文政8年(1825)に建立されたと言うので比較的新しい。建築様式は和様の三間五重塔婆で、屋根は宝形造桟瓦葺(旧こけら葺)、天辺に江戸風の相輪を備え、全高約24メートル、初層の各辺3.6メートルで、柱に杉材、上物に松材、組物に欅材が使用されている。と言う。
ただ、残念だと思うのは、法隆寺や薬師寺などの塔と違って檜造りではないので、多くの江戸時代の神社仏閣がそうであるように、退化が早いのではないかと言うことである。
本堂近くに、綺麗に手入れされた池を配した庭園があるなど境内は魅力的で、観光客が多い。
すぐ近くに、能楽堂のある大膳神社があるのだが、ここへは、訪れる人はいなかった。



今回の旅で、印象深かったのは、久しぶりに、魚介類を中心とした会食料理を頂いたので、佐渡のご飯と地酒が、実に美味しかったということである。
美しい棚田があることは知っていたが、時間がなくて見る機会がなかった。
まだ、秋の収穫期には間があるので、稲が根付いてしっかりと成長を始めた時期だが、強い風に吹かれて靡く姿が印象的であった。
しかし、水田だと思うのだが、田んぼには殆ど水がなく、陸稲の雰囲気であった。
北雪酒造では、佐渡米を使って醸造していると言っていたので、地酒も、この佐渡の大地と自然の恵みの為せる技なのであろう。
さて、順徳上皇や日蓮大聖人や世阿弥の頃は、どうだったのであろうか、ついつい、つまらないことを考えてしまう。
佐渡は、美しい素晴しいところであった。
何故か、学生時代に、京都や奈良の古社寺行脚を続けながら、しみじみと、日本の風土が醸し出す文化の香りに感動し続けていた、あの懐かしい青春時代の思いでが蘇ってきた。
素晴しい佐渡旅行であった。


