地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

名鉄パノラマカー礼賛 (3) 名脇役との邂逅

2008-06-24 12:59:28 | 都市民鉄 (中京圏)


 岩倉にて折り返し東岡崎行が発車するまでの間には、70~80年代の車両とパノラマカーのなかなか嬉しい邂逅が見られました。最近は新幹線や東海道線の車内から名鉄を見かけるたびに、もっぱら幅を効かせているのはパノラマスーパー以降の特急車や3500系以降のVVVF車ばかりで、これに加えて6000系列もまあ目立っているかな……という風情で、いささか寂しさを感じておりましたので……。
 私が80年代に通った頃の名鉄といえば、6000系列やパノといった主力はもちろんのこと、5000番台のSR車もガンガンに運行され、これに車体更新車の5300系やSR新造車の5700系が加わり、釣掛式電車も半鋼製のAL車 (一部車体更新車の7300系→当時は個人的にハズレ ^^;) や3700・3730といったHL車が闊歩し……今思えばまさに夢のような空間が広がっていました。名古屋前後の最も過密な区間も、当時の営業戦略上なるべく零細な支線からも名古屋直通の列車を走らせるという方針があったため、確か西中金や八百津からも直通列車が設定されていたと記憶しています (間もなくレールバス化されてしまいましたが)。そう……新名古屋駅はまさに、何が来るか分からないびっくり箱 (笑)。名鉄名古屋と改称された今では到底感じられない濃さがありました。


 
 豊田線の100系は、鶴舞線が上小田井に延長されるまでは基本的にほとんどパノと競演することはありませんでしたので (三河線直通のパノってありましたっけ ^^;)、岩倉で見られた100系との並びは決して80年代の再現ではないことは言うまでもありません。しかし……100系の行き先表示の何故か昔気質な丸っこいフォントや、ちょっと間抜けな (?)「普」表示、それに正面窓下の凝った社紋&装飾を眺めるにつけ……犬山線からも失われつつある昭和テイストを代表しているように思われ、そんな100系とパノの並びにふと「80年代の名鉄びっくり箱」を思い出してグッときてしまうわけです……(*^^*)。
 さて、100系が発車して今度はパノが上りホームに入線して来ますと、今度は犬山行の5300系と並びました! 5300系といえば、長電2000系や富山地鉄10020・14720形と同じような日車風初期カルダン駆動車である5000・5200系を車体更新して生まれた車両ですので、それはまあ残念といえば残念ですが、末期の国鉄が117系を用意して次第に名鉄に対抗しようとしていた80年代半ば当時、名鉄も真っ向勝負を挑んで完全新造車の5700系ともども世に放った意欲作だったのを思い出します。正面はちょいとイマイチですが、側面はパノを意識した大型の連続窓となったあたり、こんな車両が80年代になっても料金不要のSR車として投入される名鉄がうらやましくて仕方がなかったですね……(遠い目)。
 そんな5300・5700系も、見たところ最近は普通電車としての運用が多いようで……。急行・準急が混雑する関係上やむを得ないのかも知れませんが、どことなく寂しさが漂うのも事実。そんなかつてのエースどうしの並びということで、どうしようもなく80年代の輝きを思い出してしまうのでした……。
 ちなみに、スカスカなパノの展望席には学校帰りのイケイケなコギャル (死語? ^^;) が2人陣取っていますが (笑)、このこともパノが幅広い沿線住民に如何に愛されてきたかの現れなのだろう……と思っています。