地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

西武顔の生き残り (2) 多摩川線101系

2005-12-15 22:20:31 | 都市民鉄 (首都圏)


 先日、元西武701系改め伊豆箱根駿豆線1100系の活躍をご紹介しましたが、これを撮影しながらふと思い当たったのは「そういえば、生まれてから一度も西武で撮り鉄したことないなぁ」ということでした (爆)。と申しますのも、私は関東の他の大手私鉄には割と縁があるのですが、西武だけはホントに縁が薄いからです……。例えば、たまに秩父に行く際に池袋~秩父間をレッドアローで通し乗るか、八高線で東飯能まで行って秩父まで4000系に乗る程度。そして多摩川線については、沿線の後輩宅を訪れたり、学生時代に小田急沿線から三鷹に近い某一神教系大学に用事で出かける際、南武線の南多摩から是政橋を歩いて渡って是政駅に到達するというウラワザを使ったことがあるのみ。そんなわけで、伊豆箱根や流山、それに三岐など地方私鉄に転じた元西武車は激写しても、本家本元の黄色い西武顔は写欲の対象とはならなかったのでした (^^;;;
 しかしいろいろ情報を集めてみますと、圧倒的多数を占めていたはずのこの顔の電車も、多摩川線で未だ主力である他はもう絶滅寸前で、新101系&301系すら廃車が進んでいるとか……。そこで、せめて1度は撮っておいた方が良いだろうと思い、取り敢えず自分にとって一番馴染みのある (?) 多摩川線に出かけてみました。(ただ、それは1ヶ月前の話で、何を今さら……なアップですが ^^;)。
 まずは京王線の武蔵野台で下車後、数分歩いて北多磨改め白糸台駅へ。南側の踏切からは是政行の電車をキレイに撮れそうだなぁ……と思いきや、季節柄車体にはケーブルの醜い影が……(-_-)。スタンプツールで影を消して見栄えを良くするのに難儀しました (著しい修正により、もはや作品とは呼べませんので、よい子の皆さんは真似しないように ^^;)。ここは明るい薄曇りの日が吉ですね……。
 さらに、最前部に陣取ってロケハンしてみますと、多摩川線はやはり住宅街をゆく中央線のフィーダ路線という性格上、両側に民家が迫っていたりしてなかなか適当なスポットが見当たりません。特に、日中も影がきついこの季節ならなおさら……。そんな中でも撮りやすいと思われるのが新小金井ですね。長玉さえあればけっこういろいろなアングルを楽しむことが出来ますし、何と言っても対抗式ホーム&構内横断踏切という雰囲気が素晴らしいです (^o^)。さらに、構内踏切のすぐ是政寄りにも踏切があり、この位置から交換する101系の並びを撮ることも出来ます (結局この日はホーム上屋の影が正面に落ちてしまい、見栄えが全くしませんでしたが……ここも要リベンジ)。
 個人的には、新101&301系のブラックフェイスはお好みではありませんので、多摩川線が旧101系天国である間が華だなぁと思っております。いっぽう、田の字窓にグロベンの2000系初期型は割と悪くないデザインだと思っていますので、そのうち新宿線あたりにも出没してみようかなぁ……と。あとは秩父線の4000系ですね (^^

小田急9000形・最後の活躍中

2005-12-14 11:41:00 | 大手民鉄 (小田急)


 一時はデザイン面で小田急通勤車を最も代表していたにもかかわらず、すっかり数を減らしてしまった9000形。最近、海老名で休車扱いになっていた9001F+9009Fが相模大野に廃車回送され、さらに急行運用を中心に最後の活躍をしていた9007Fも運用離脱し、ついに4両固定編成が消滅してしまいました。(9007F、先日新宿から乗ったばかりで、思えば偶然やって来たのは別れの合図だったのかも知れません……-_-) そこで残るは6両固定編成だけとなりましたが、こちらは確か4~5本が辛うじて健在です。そして、その独特のモーターの唸りもいよいよ悲壮な響きを帯び始めたのは気のせいでしょうか……。
 そんな6両固定編成のうち、10両急行の先頭に立っている姿は先日アップしましたので、今日は江ノ島線内の単独6連をご紹介したいと思います。いや……ほんと、昔から利用している江ノ島線で、6連で走る姿も無事記録できて一安心しているところです。先月の撮影ですが、あと何回こういうシーンをたった一人で静かに楽しむことが出来るのでしょうか……。
 というわけで、全車引退が刻々と迫る9000形ですが、これからも出来るだけ撮っておきたいものだと改めて思っているところです。

北京の秘境炭鉱鉄道 (3) 味わいの点景

2005-12-13 11:40:52 | 中国の鉄道


 ここでちょっと一服、1両きりのボロ客車から眺めた途中駅の光景や沿線風景の妙味をお楽しみ頂きたいと思います。ここがバブリーな大都会のすぐそばとはとても信じられない!という情景の中へ一気にワープ! (^^;

●左上 沿線はこんなゴツゴツ山の連続 (王平村乗降所付近)
●左下 乗降終了を確認するコワモテ機関士&機関助手
●右上 落坡嶺駅にて、豊沙線の鈍行 (張家口行) を待つ乗客
 (張家口は、戦前日本人も多く住んでいた万里長城の関門の街)
●右下 結氷しまくりの永定河と豊沙線の橋梁
 (こういう時に列車が通過してくれれば……と思うのですが ^^;)



●左上 炭住街のおばあさん軍団は太極拳風体操に夢中
 (チャリ並みのスピードだからこそ撮れた車窓スナップ ^^)
●左下 折り重なる山の裾にも炭住街がへばり付く……
●右上 中国名物・鬼ヒトデ、もとい赤い星がお出迎え
 (1950~60年代の建物ではいかにもありがちなシーン ^^;)
●右下 列車の運行が僅かでも、安全確認に余念なし (大台駅)

北京の秘境炭鉱鉄道 (2) 大台駅

2005-12-12 22:29:54 | 中国の鉄道


 北京の西の外れにある街・門頭溝を朝7時半過ぎに出発した超ミニ編成列車は、だいたい1ボックスに2~3人程度というそこそこの客を乗せて、ゆっくりと進んで行きます。車内は暖房がないので思いっきり底冷えしますが、乗客の皆様にはそんなのお構いなしという風情が漂っています。特に、「禁止吸煙」のステッカーも空しく、車内はモウモウとした煙草の煙に包まれており、そんなデンジャラスな雰囲気に輪をかけているのがオッサン連中の賭け?トランプ (爆)。沿線の小さな工場への通勤ということで、たとえ短時間しか乗らないにもかかわらず、トランプを取りだして大貧民に熱狂しまくっているんですなぁ……。北斗の○よろしく雄叫びを上げながら、まさにメンコをバシッと叩くかのようにテーブルにトランプを叩きつけまくり (^^;)。これを子守歌と解することが出来るかどうかで、中国鉄道の旅への適応度があるかないかを自己診断することも可能です (笑)。そんな騒々しい車内ではなくデッキに行けば、完全に展望車同然の素晴らしい後部眺望を楽しむことが出来ますが、何しろこの季節は極寒ですのでオススメできません (^^;;
 そうこうしているうちに、列車は氷結した永定河 (北京の大水源のひとつ) に沿って、時速30kmほどでノタノタと走って行きます。線路内を人がのんきに生活道路代わりとして歩いていることは珍しくないので、終始ホイッスルを鳴らしっぱなし (^^;)。そして、しばしば現れるトンネルではいちいち車内灯をつけませんので、その都度車内は完全な暗黒になります (爆)。肝心の景色は、もちろん厳しく美しい華北の山岳風景そのもの。時折、モノトーンの集落や、打ち捨てられた計画経済時代のオンボロ国営工場の残骸が現れ、ほとんどかすれつつある毛沢東礼賛スローガンも目にすることができます (^^;
 そして、小さな交換駅や乗降所が現れるたびに少しずつ客は降りて行き、駅員が律儀に手旗を振って発車の合図を機関士に送っています。……そう、この京門線 (大台線) には、忘れかけていた日本の国鉄ローカル線にも通じる風情が残っているのです……。
 車窓からは時折、並行して走る路線バスや、鉄橋の連続で真っ直ぐに走る豊沙線の長大貨物列車 (おフランス製の超大型電機・8K型が牽引していることもしばしば) を目にすることが出来ます。そのたびごとに、本当にこんなクネクネ・ノロノロ路線が生き残っていることが不思議で仕方なくなります (^^;)。
 いったん豊沙線と合流する山峡の駅・落坡嶺を過ぎますと、いよいよ炭鉱がある沿線最大の主要駅・大台へ向かって急勾配とカーブの連続にさしかかかります。何と列車のスピードは自転車並みになってしまいました (^^;;;;)。まあその方が、沿線に徐々に増えて行く枯れ果てた炭住街の風情をワビサビ的に味わうのに好都合ですが……。
 そして朝8時40分頃、列車は大台駅に到着しました。ここは上下の本線と何本かの石炭積載用側線を持っており、如何にも1950~60年代っぽい駅舎がひときわ寂寞のローカル線らしさを演出していました……(^_^)。そして、最後部のデッキに立って、貫通路から駅構内の風景を撮っていると、終点の木城澗からやって来た貨物列車が轟音を上げて通過して行きました。どうも余り多量の石炭を積んでいるように見えないのは、土曜日で出炭量が少ないからかも知れません……が、いかんせんダイヤを知らないために、交換時にDLを先頭にした編成写真を撮影できなかったのは惜しいところです (-_-



 ……というのも、大台駅から終点の木城澗方向を望みますと、すぐ目の前にホッパービンとベルトコンベアの組み合わせが聳え立っており、その真下を本線が通っているという余りにも素晴らしい光景が広がっているからです。ここを列車が通過する風景はさぞかし「ヤマの鉄道」という感じなんだろうなぁ……と思うにつけ、リベンジしなければという思いに駆られます (次は929路バスで早めに到着しておき、列車がこの駅を発着する一部始終を撮りたいものだ、と)。まぁ、次回訪れるときまでにこの超ミニ列車が残っているかどうか、さらには炭鉱が閉山になったりしていないかどうかが気になるわけですが……。
 それはさておき、この大台駅でほとんどの客は下車し、次の終点・木城澗まではさらに急勾配の連続と炭住街の絶景が続きます。次回は、そんな沿線の風景をまとめてご紹介したいと思います~。

北京の秘境炭鉱鉄道 (1) 魅惑の超短編成

2005-12-11 11:43:57 | 中国の鉄道


 いつも当ブログをお楽しみ頂きありがとうございます。このたび、当ブログは2万ヒットを数えるに至りました。もともとこのブログは非鉄サイトのおまけとして始めたもので、完全に自己満足に過ぎないものではありますが (^^;)、いつの間にか多くの方に訪れて頂くようになり、こちらの方がメインになってしまいました (笑)。今後も多忙の合間の手慰みとして更新に努めて行きたいと思っておりますので、よろしくお願い申し上げます。

 さて、昨日までの3泊4日、極寒の北京に出張していたのですが、最終日の昨日は午後帰国するだけで基本的に午前中はヒマでしたので、かねてから訪れてみたいと思っていた超Deepな鉄スポットを訪れてみました。それは……ここが巨大都市北京の一隅だとはとても信じられないほど枯れ果てた風景が広がる炭鉱へ向かう小路線「京門線 (大台線)」の旅です!
 この路線は、北京市街のすぐ西に広がる険しい山々の谷底をクネクネと縫うように走るため、直線距離なら20km程度のところに37kmの線路が敷かれており、当然列車は青梅線末端部や飯田線のようにノロノロ運転。しかし、それが災いしたのか、並行する路線バス (しかも地下鉄の終点まで直行) に客を取られて苦戦中のようで、90年代半ばまでは全国版の時刻表にきちんと北京中心部への直通列車の時刻が記載されていたはずが、いつの間にか時刻表から消えてしまいました。そこで、地図を見るにつけ余りにも怪しすぎるこの路線にいつか乗ってやろうと思っていた私は「廃止かぁ……」と涙したのでした……。しかし、やはり「ネットは偉大なり」でして、中国の鉄サイトを見ていると、北京中心部直通廃止・客車は1両編成というリストラを経ながらもまだ現存中であることが確認できました。しかも、今年の末でそれも廃止という不穏なウワサが……。そこで、「これはまずい! 出張という千載一遇の機会を使って、極寒の中の早起きというリスクを冒してでも訪問しなければ!」と思い、一躍タクシーをぶっ飛ばしたのでした (爆)。

 この路線の始発駅は、北京から山西北部・内モンゴル方面に向かう大幹線である豊沙線 (北京~包頭線の万里長城越えを省略するためのバイパスルート) の三家店駅なのですが、今回はタクシーを飛ばしても三家店駅発の時間には間に合わず、次の門頭溝駅 (北京市門頭溝区の中心街にあり、圧倒的多数の客が乗降する実質的な始発駅) でスイッチバック機回しのために長時間停車しているところに追いつくことにしました。
 し・か~し、門頭溝駅の入り口がどこにあるのか見つからないままタクシーの運ちゃん氏と右往左往……。「や、やばい!間に合わない!」と思って緊張が最高潮に達したちょうどその矢先、目の前の踏切をDL1+PC1の目指す編成が減速しながらゆっくりと通過するのを目撃! そこで、すっかり「門頭溝駅を見つけるための運命共同体」になってしまった運ちゃん氏と「真感謝、再見!」「太好了、慢走!(ホントに良かった、気をつけて!)」と別れの熱い挨拶を交わし (^^;)、開いた踏切から列車が去った方向を確認したところ、駅はもう目の前であることを確認できました (^o^)。そこで猛ダッシュし、表通りの建物が突然ポッカリと途切れたところにあるスロープ (駅の入り口である旨の表記は一切ナシ) からホームにたどり着きますと……DLに置き去りにされた客車が1両ポツンと停車しており、車掌がノンキに客と会話を楽しんでおりました。やったー!間に合った! (後で地図と実際の街並みを照らし合わせてみたところ、路線バスの停留所「城子」のすぐそばでした。北京市内からの足としては、地下鉄環状線阜成門駅からの336路 [停まる停留所が少ない「快車」もあり]がベストでしょう)

 そして、この客車こそは……80・90年代に中国を鉄道で旅したことがある人なら誰もがお世話になっているはずの、泣く子も黙るボロ客車・YZ22型!! 「YZ」とは「YingZuo=硬座」の略で、読んで字の如く硬~い椅子が並んでいるだけで、やたらとクソ重い二重窓はすっかり汚れまくっているのが当たり前、その他のあらゆるスペックがプアな社会主義計画経済そのもの。そんなわけで、これに数十時間乗る旅は難行苦行だったのですが (-_-)、今や幹線の特急・急行列車の大部分がクーラー付きで、硬座と言いつつも柔らかい椅子になった結果、いつの間にか郷愁の対象になりつつあります (現金なもんだ……^^;)。



 そんな1両きりのYZ22客車とのご対面に歓喜する間もなく、牽引機の東風7型が姿を現しました。この東風7型は主に入換&小運転用の電気式DLですが、客車1両きりの牽引なら十分パワーが有り余るほどのデカさ。まだ夜も明けて間もないため、裏寂れた駅構内を照らすヘッドライトが特にまぶしく感じます。
 このシーンを撮影していると、車掌のオバチャンが「怪しいヤツ」と思ったのか「何撮ってんの?」と迫ってきました。そこで例によって「日本から来た鉄路迷で、特にこういう小火車が好きなんっすよ!」と言うと、横にいた客のオッチャンが「日本と言えば新幹線だろ。こーいう機関車が引っ張る列車は少ないんじゃないのか? だからこんなのでも面白いんだろう (ナイスフォロー!! よくご存じで!!)」と一言。そこですっかり気をよくした車掌オバチャンはこの後旅の良き友となってくれたのでした (^^
 その後、いざ車内へ。ただでさえボロいだけでなく、どこまで乗っても2.5元 (35円くらい) という激安列車につき、車内灯も暖房も全くなく冷え冷え (-_-;)。それでも「それも数年ぶりのボロ客車の旅にはふさわしかろう。まずは峡谷に面したボックスシートを確保できて満足じゃ」と強がりを言っている間に、いよいよホイッスルが鳴って濃いぃ小火車の旅が始まったのでした。