地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

第三ジャカルタ炎鉄録 (2) 203系マト66到着!

2011-08-09 00:00:00 | インドネシアの鉄道


 ここ半年か数ヶ月のあいだに一気に数を減らしてしまった203系のうち、一部の編成が目出度くインドネシアに輸出されるはこびとなり、上越線を延々と北上して新潟に送られたことにつきましては、既にリンク頂いている複数のブログほかネット上のあちこちで報じられている通りですが、このたび無事ジャカルタのタンジュンプリオク港に到着し、さっそくマンガライ工場に輸送されました! インドネシア鉄道のアメロコに牽引され、救援用DLを控車として伴った回送編成がタンジュンプリオク~クマヨラン~ジャティヌガラ~マンガライというコースで運ばれたのは、ジャカルタ現地発の情報を見る限り先週後半の出来事だったようで、「うう……自分のジャカルタ入りがあと数日早ければ、または203系の到着が台風の影響などであと数日遅ければ、もしやすると自分も東線あたりで感動的なシーンを撮れたかも知れないのに……」という悔しい思いをしたものですが (^^;)、到着早々「あるいは今マンガライ工場を覗いてみれば203系の姿を確認出来るかも知れない」と思い直しまして、着いた翌朝(月曜)さっそくマンガライへ。すると……何と!普段は入換のない限り固く閉じられている工場の門が開いているではありませんか!! 



 そこで思わず鼻息が荒くなり (^^;)、草むしたヘロヘロな線路を歩いて行き、守衛氏に「スラマッパギ!」と挨拶して中を覗いてみますと (正式に中に入るにはややこしい許可証申請が必要とのことで、インドネシア語はカタコトしか出来ない私は当然入れません)……をををっ!本当に203系がいらっしゃるではありませんか……(*^O^*)。望遠ズームレンズで撮影して車番を確認してみたところ、マト66編成であることが早速判明したのですが、確かこの編成は、既に203系が激減していた去る5月、代々木上原にて奇跡的に遭遇しまして、本来ならば新宿経由で山手線内に向かうつもりだったところを思わず下車 (爆)、千代田線内にてしみじみと走行音を楽しませて頂いたという感動の編成……。そんなマト66編成と約3ヶ月後、東京から約6000km離れた熱帯の地にて、東京時代と同じ姿のまま再会することが出来たとは何という幸運なのでしょう!! そして、ジャカルタで先頭化改造を受けた都営6000系と並んでいるという……。東京では203系と都営6000系が顔を合わせる機会は皆無でしたので、これからジャカルタでの日本中古車両大同窓会に203系も参入することがはっきりと見て取れる光景に思わず胸が熱くなりました……。
 さらにもう一つの幸運は、このシーン自体が超!期間限定であったこと……! 翌朝(火曜日)に改めてマンガライ工場を覗いてみたところ、203系がいたスペースはすっかり空っぽと化しているではありませんか……(どうやらデポックで整備するためとか)。というわけで、如何にもインドネシア的な鉄道風景の中に佇む緑帯203系を拝むのは、個人的にはこれが最初で最後となりそうです……。
 203系の今後につきましては、恐らく最近のKCJ新規所属車 (メトロ7000・05系) と同様に赤+黄帯となりそうですが、現在の帯はそのままに黄色の帯を付け足す程度で良いのではないか……と思わなくもありません (^^;;)。

第三ジャカルタ炎鉄録 (1) やはりJALITAは神

2011-08-08 00:13:00 | インドネシアの鉄道


 東南アジア最大の都会であるジャカルタの交通事情は、急速な経済発展のコインの裏側として年々悪化の一途をたどり、助っ人として走り始めた日本中古冷房車が現地の人々にも好評を博して年々増強された結果、今やジャカルタは東京の電車の一大同窓会場となっているのは周知の通りです。私自身もそんなジャカルタの鉄道シーンに惹かれ、一昨年、そして昨年訪れて大いに乗って撮ったものですが、ここには「約2年に1回の検査入場のたびに車両の外観が大いに変わる」という一大特徴があり、一度撮った車両が一年後の再訪時に同じ姿で走っているという保証は全くなく、結果として毎年通って最新の状況をフォローしなければならないという、一度ハマッたら抜けられない(いや、やめられない)底なし沼な状況があります (^_^;)。そこで今年も、どれだけ浦島太郎な気分を味わえるだろうか……という期待をこめて、約1年ぶりにジャカルタの地を訪れてみました。当初は帰国まで更新しない予定でしたが、今回泊まっている宿には無線LANが整備されており、撮影データのストレージとレタッチ用として持参しているPCから更新できる条件が整っていますので、予定を変えてハードな鉄活動の合間を縫って更新したく存じます。



 最初にお断りしておきますが、今回も例によって線路内立入撮影をしまくっております。しかし正式には線路内立入は認められておらず、あくまで現地の人々と同じように線路内に勝手に入っても一切黙認・放免されているに過ぎず、あくまで自己責任であることはご承知おき下さい。当ブログをご覧になった方がジャカルタ現地を訪問され、線路内立入で事故を起こしたとしても、当ブログは一切責任を負いかねます。また撮影も、とくに断りのない限り完全に無許可で撮影しておりますが、正式には許可を取得しておいた方が良いらしいことを申し添えます。
 それにしても今回のっけから驚いたのは……入国時の究極の難関であるスカルノ・ハッタ空港でのビザ取得~入国審査の過程が夢のように変わり、降機からタクシーに乗るまで約30分ほどしかかからなかったことです! まぁ一応これも、他の国からの便の到着が少ない時間に着くANAの新設直行便に乗ったためかも知れませんが……当初は「午後3時降機→午後5時頃タクシー乗車→渋滞に巻かれて午後6~7時頃に宿到着」という難行苦行を予想していたため、日曜につきスカスカな高速道路を飛ばし、降機から何と約1時間後にチェックインできたときには、本当に夢か幻ではないか……と吃驚するばかりでした (^^;)。
 というわけで、宿は高架線のすぐそば、駅は徒歩4~5分のところにあるため、何はさておき日本中古車に再会したい!と思いさっそく駅へ。そこにイキナリ現れたのは……検査を受けて何とも「ド赤」な顔に変わった8613F「JALITA」でした!! この編成の検査出場前後の姿をネットで見た際には正直なところビミョーな気分でしたが……そんな迷いは実物の前に完全にすっ飛びまくり (^^;)。嗚呼……やっぱりこの編成はまるで私の到着を待っていてくれたかのようです♪ 

東急8606F・田園都市線45周年HM姿!

2011-08-05 00:00:00 | 大手民鉄 (東急)


 東急がかつて、溝の口から先の人煙稀な (?) 山里が果てしなく広がる多摩丘陵に突如複線の鉄道を建設し、田園都市線として開業させてから早くも45年。3450形の2連が広漠たる丘陵地に釣掛の雄叫びを響かせながら駆け抜けていたという、まさに隔世の感がある当時の模様はRP誌の東急増刊号からもうかがい知ることが出来ますが、以来田園都市線はつくし野→すずかけ台→つきみ野と終点を延ばすとともに、破竹の勢いで進んだニュータウン開発によって利用者数も激増し、今や押しも押されぬ沿線不動産人気路線としての名誉と首都圏最混雑路線の一つとしての悪名の両方を受けて今日に至っています。
 そんな田園都市線は同時に、小田急(とくに江ノ島線)沿線住民にとっても、中央林間から都心へ座って通える有難いバイパス路線でもあり、8500系急行の猛烈にダイナミックな走りを堪能しながら都内との間を往復出来るという点で、今や趣味的にも最高にアツい存在として注目を集めていることは多言を要しないでしょう。1984年春に田園都市線が中央林間まで全通した際 (中央林間駅の構造は、さらに延伸を考慮したものになっていますが、恐らくその可能性は低いでしょう)、東急と小田急は合同で、東急デハ8501と小田急クハ8251を券面に印刷したD型硬券の「連絡運輸開始記念切符」を主要駅で発売したものですが、とりあえず青葉台で発売されたバージョンをゲットするために国道246号線をチャリで飛ばしたのも懐かしい思い出です (→電車賃が勿体ない貧乏中学生だったもので。^^;)。また、そのついでに恩田の工場にも初めて寄り道し、入換用の怪しい車両陣 (当時は詳しい形式名を知らない……^^;;) がゴロゴロしている光景に驚嘆したものです……(遠い目)。



 そして……時の流れは早いもので、溝の口~長津田間の開業から45年、中央林間までの全通からも27年が経過し、車両も3450・5000・7000・7200といった中型車から8500とメトロ8000の天下へと移り変わり、さらに今や新5000の大増殖や東武50050の「東武田園都市線」状態な運用によって8500の立場が大幅に狭まっているなど、一見すると未だに「新線」というイメージを抱いてしまいがちな田園都市線にも既に「歴史」が相当降り積もっていることを痛感します。しかし誰が何と言おうと、「田園都市線を最も代表する車両は8500系である」ということは、恐らく多くの愛好家の共通認識なのではないでしょうか (個人のゲリラ放送ブログにつき、「走るんです」派の反論は受け付けません。笑)。
 何とも嬉しいことに、実は東急社内でも同じ認識であったようで……このたび8606Fに田園都市線 (溝の口~長津田) 開通45周年記念HMの貼付が始まったのは、誠に東急ファンのはしくれとして快哉を叫ばずにはいられない一大慶事です♪♪ バンザーイ!!\(^O^)/ しかも8606Fといえば……今や8500系唯一の幕装備・スカート無し編成であり、2006年、そして今年の2度にわたって奇跡の検査入場を果たし、とくにインドネシアに渡った同僚たちとは全く対照的に登場時の姿を大略そのまま保っているという神秘的な存在!! 主な変更点は正面のHゴム色と内装程度でしょうか? そんな、検査上がり立てでピカピカな8606FがHMを掲げている姿は、東急から東急ファンへの最高の贈り物と呼ばずして一体何なのでしょうか?! (*^O^*) 本来であれば、開業45周年に合わせて4月にHMを出す予定だったのかも知れませんが、掲出時期がこの夏に延びたのは恐らく震災の影響でしょうか? (HMには「がんばろう!日本」の文言が入っています)
 あるいは今回のHMは、副都心線直通準備が終了したのち再開されると思われる5000系新造・8500系大量廃車を控えた前夜祭のようなものかも知れません。しかし少なくとも、8606Fの検査期限まであと3~4年あるわけで、それまでのあいだ事実上の8500系非軽量鋼体車さよなら運転を兼ねた様々なHM企画が展開される可能性もあるでしょう (東横線と同様のさよなら運転は、相互乗り入れの形態や沿線撮影地の少なさからして難しいでしょう)。一ファンとしては、そのことに熱く期待せずにはいられません☆

碓氷峠トロッコ・保線用モーターカーで運行

2011-08-04 00:00:00 | 保存・園内・特殊車両


 信越本線の名を高からしめてきた横川~軽井沢の碓氷峠越え区間は、長野新幹線の開通によって廃線となって久しくなりましたが、遊休化した鉄道用地や軌道を流用して碓氷峠鉄道文化むらが開設され、その目玉としてEF63の保存体験運転や「峠の湯」までのトロッコ列車の運行が行われているのは周知の通りです。そんな碓氷峠トロッコは、急勾配に対応した特殊装備で固めた特注DL(DB201) が2両の特製客車を牽引していましたが、去る黄金週間に致命的な故障が発生したため長らく運行を休止しており、鉄道文化むら公式HPでは「部品を金型から再生産しなければならず、年内の運行再開は難しい」とアナウンスせざるを得ない状況に……。
 しかしその後、66.6‰勾配に突入しない「ぶんかむら」~「まるやま」(重要文化財に指定されている丸山変電所跡)間であれば、別途牽引車を調達して再開可能であるという判断に至り、去る8月1日から目出度く営業運転が行われています。ではどのような車両が牽引車として抜擢されたのかと申しますと……公式HPでは「リースの気動車」とありますが、訪れてびっくり、何と保線用車両製造の老舗・松山重車両工業製の軌道モーターカーではありませんか!!



 私が昨日そんな珍景に遭遇したのはかな~り偶然のこと (^^;;)。もともと昨日は平日休みを使って、小学3年生となってますます「鉄い」少年になっているのに親が鉄分ゼロなため欲求不満な甥っ子を新幹線に乗せてやると約束しており (叔父さんはツラいですが、まぁ冥利には尽きます。笑)、当初は東海道新幹線に乗って浜松・豊橋近辺でJRC&ローカル私鉄めぐりでも……と思っていたのですが、直前に襲った駿河湾沖地震のため上越新幹線に進路を変更~。そこで「んじゃ~新幹線は200系に乗るとして (^o^)、さらにそこから先どこに行こうか」と思案してピーンと来たのが碓氷峠鉄道文化むら。
 ここは個人的に約2年半前、いつもお世話になっております「ぱれっと」様からお誘い頂いてEF55の最終運転に乗ったついでに訪れ、思いもかけず極めて充実した保存車両陣に驚喜しつつも、冬期のドピーカン天気につき展示車両を様々な角度から撮れない・トロッコが運休している・EF63も動いていない等々の遺憾を感じつつ、また改めてトロッコが走っている曇り日に再訪したいものだと思ったところです。そこで公式HPをチェックしたところ、件のトロッコ運休→一部営業再開の告示を眼にするに至り、「うををっ、何と長期運休していたのか……しかし自分が行こうと思ったタイミングで再開するのは超ラッキー☆ しかも『リースの気動車』ってどんなシロモノなのやら……DE10?」という妄想が頭の中をグルグルと (笑)。
 しかしまさか……夜間に人知れずレールや砂利を運ぶ保線編成の先頭に立って黙々と働く軌道モーターカーがこのような晴れ舞台 (?) に立っているとは!! 余りの珍景に思わず眼が点になった私、そのあとは乗って撮ってフィーバーしまくったことは言うまでもありません (^^;)。森林鉄道などのトロッコ列車ならばさておき、小型モーターカーが多数の観光客を運ぶという事例は、例えば他に南阿蘇鉄道や門司港トロッコなどがあると記憶しておりますが、どちらも牽引機は専用として新造されたものですので、最初から保線用車両として製造されたモーターカーが旅客用として現在抜擢されている事例は寡聞にして聞かず……。というわけで、一見するとこの上なく地味でプチな光景が恐ろしく濃いぃものであることを思うにつけ、余りにも偶然過ぎる展開に喜びを禁じ得ないのでありました……♪

十和田の熱過ぎる夏 (7) 夢の七百撮影会

2011-08-03 00:00:00 | 地方民鉄 (東北)


嗚呼!前パン釣掛式電車の麗しき並び!(*^^*) ※画面右上隅の柱を消しています (^^;)。



撮影会前半戦……オールスター勢揃い!!



撮影会後半戦・十和田色オンリーの図! モハ3401の顔に影がかかっているのがビミョーですが (汗)。



モハ3603の平面顔も忘れるわけには行きません! いつかこの顔を改めてじっくりと……。

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 数回に分けてレポートして参りました「海の日」連休の十和田・旧型車両の競演の模様も今回が最終回。ELも含めた臨時列車が最も多数運行された17日には、七百に留置された車両がちょうどベストな光線状態となる午前11時前後を選んで (?) 撮影会が開催されまして、その際に必死に撮影したカットの中から何枚かアップしてみましょう~。
 この撮影会は一日乗車券を提示すれば誰でも自由に参加できましたが、貴重な釣掛式電車や凸型ELがズラリと勢揃いするとなれば、多くのファンが色めき立たずにはいられないわけでして、開場直前には七百駅のホーム上に200~300名ほどがひしめくという前代未聞の展開に……(@o@)。しかも、撮影会をするためにはどうしても上り本線を利用しなければならず、定期列車運行の合間を縫って車両入換・ロープ張りによる会場設定を行うという綱渡り的なイベントでしたので、展示時間が短いという制約もカヲスさに輪をかけておりました (爆)。というわけで、ただでさえ短時間の撮影会は入替制となり、宝の山を前にしながらもモミクチャになりながら超速攻・無我夢中でいろいろなアングルを撮りまくらなければならず、じっくりと旧型車と語らうというわけには行かなかったのは残念……。
 それでも、今やこれだけの車両がズラリと並ぶこと自体が最高に貴重であるのは多言を要さないでしょう! しかも撮影会のあいだは、曇りがちな天候の中にあって駅周辺にのみ光が差すという絶妙なライティング! バックの空が暗く、手前の車両がド順光という状態は、個人的に最高にドラマチックだと思うのであります……(*^O^*)。
 というわけで、後で撮影したカットを眺め返してみますと、やはりこれは一瞬の夢の宴であったなぁ……ということが思い出されます。その夢を具現化するためには関係者各位の多大な配慮や準備が必要であることは言うまでもなく、ここに改めて厚くお礼申し上げるとともに、今後もなるべく永きにわたって貴重な車両群が維持されることを祈念しております m(_ _)m