地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

ことでん開業100周年 (6) 長尾線1200&1250

2011-08-20 08:55:00 | 地方民鉄 (琴電)


 昨年6月を最後に偉大なる歴史に幕を閉じた京急1000形のうち何両かの先頭車はその後も解体されず、長らく久里浜工場の片隅でひっそりと保留され続けていましたが、このうち4両には新たに琴電1300形として生まれ変わるべく白羽の矢が立ち、秘かに (去る5月の久里工イベントでも全く見えない場所に置かれていましたなぁ……-_-;) 改造工事が続けられて来ました。それがこのたび無事完成を迎え、ここに来て急激にネット上での露出が増えているのは周知の通りですが、昨日『神奈川新聞』朝刊で琴電行きの旨が紹介されたのに続きまして、琴電公式HPの「ことちゃんツイッター」でも、1300形の増備車が間もなく仏生山に到着し長尾線に投入される旨が「ことこと」と (^^;) つぶやかれ始めたではありませんか! 
 というわけで、1300形4両を迎え、長尾線はさらなる一大変化を遂げることが明らかになりました。これまで旧型車引退後の長尾線では、元京急の1250・1300形と、全然車体が小振りな元名古屋市交の600形が入り乱れていたのは周知の通りですが、たとえ600形がラッシュのピークから外されているとは言え、その前後の時間帯でも余りにも輸送力不足過ぎ……。そこで琴電としては、朝夕の長尾線運用をほぼ京急車で揃え、余剰となる600形を琴平線のラッシュ時増結用として転属させ (仏生山以北は日中でも客が多いため、日中使用はちょいとキツいでしょう・・・)、老朽化が進む1070・1080形各1編成を廃車にするという方針のようです……。



 そんな長尾線では、私が訪れた5月下旬の時点でも既にちょっとした変化がありました。何と……本来琴平線用として投入されたはずの1200形・1215+1216編成が長尾線色に塗られ、長尾線運用に入っている……(@o@)。塗り立てホヤホヤの姿に100周年記念HMもキリリと決まり、何とも衝撃的でウレシイ一幕ではありましたが (*^O^*)、さてかくなる上は、1200と1250の番台を分ける意味は奈辺にありや? (^^;) 1250は性能的にみて、1300形を除く全形式と混結できる点も含め、1200と全く同じであるはずだと記憶しておりましたので……。
 ともあれ、こうして1215+1216が長尾線色となり、さらに1300形2本も長尾線に入るということで、600形は長尾線に1編成しか残らなくとも良いことに……(汗)。恐らくは「ことちゃん遍路号」編成あたりが残存し、瓦町での車両交換による日中運用で細々と走ることになるのでしょうか。そして長尾線は従来からの1250×3本と1300×2本を合わせ、計8本の京急天国に! もちろん琴平線も京急天国ですが、琴平線には元京王5000系の1100形も入りますし、今後は600形も連結されることから、京急濃度の高さという点では恐らく長尾線の方が上となるのでしょう (厳密に計算したうえで記しているわけではありませんので悪しからず ^^;;)。かつては小型車百花繚乱であった長尾線が、数年の時を経ていつの間にか圧倒的な京急700・1000天国となったという事実には、隔世の感を覚えずにはいられません……。

青い森鉄道を撮る (上) 701系紫帯

2011-08-19 00:00:00 | 地方民鉄 (東北)


 ジャカルタ遠征で得られた膨大なカットの他に、先月あちこちで撮影したカットも膨大にあり、レタッチが全く遅々として進まず途方に暮れる今日この頃 (笑)。そこで、同時並行的に日本国内のネタもぼちぼちアップして参ります~。
 十和田でのイベント運転が終了した後は、三沢にて大湊線方面から来たDC快速「しもきた」に乗って八戸へ。「JR東日本パス」使用可能最終日&連休最終日ということで、16m級DC2連ではどうにもこうにも混み混み状態……(-_-;)。一応この運用は正式には「JREキハ100の青い森鉄道乗り入れ」ということになるのでしょうが、所詮これは新幹線開業に伴う在来線分離のカラクリ。車両の所属は八戸運輸区ですので、離れ小島の大湊線からねぐらに帰るには必ず「地方民鉄他社線」を利用しなければならないというヘンテコな状況が生じています (汗)。ちなみに、気動車を操る運転士氏もあくまでJRE所属であり、青い森所属の運転士は電車列車のみを運転するということなのでしょう。



 というわけで、各駅に長いホームを擁する堂々たる複線をかっ飛ばして八戸駅に到着~。ドッと吐き出された客のほとんどが直ちに新幹線ホームへと吸い込まれた中、私は少々時間がありましたので在来線の撮り鉄に興じてみることにしました。
 6両編成の特急型車両が居並ぶことがなくなった八戸駅在来線ホームは、まだまだ新しいにもかかわらず寂寥感を醸し出しまくり……時折2両編成の電車や八戸線のDCが出入りするのを除けば、広大な空間はひっそりとしています。夜から朝にかけては金太郎が牽引する長大貨物や寝台列車が通過し、この区間では名称が消えてしまった《本線》の面目躍如なのかも知れませんが……。
 そんな八戸駅で最も一般的に見られるのが、青い森鉄道の紫帯701系。昨年のJREからの移管に際し、紫帯のJRE701系に青い森鉄道のステッカーを貼っただけのシロモノですが、「これも一応地方民鉄車両なのか……」と思うとフクザツな気分ですね~。走るんです系車両一般については興味の薄い私ですが、701系を見ると撮ってしまうのは、正面デザインが意外とゴツい (?) 雰囲気だからなのでしょう (^^;

第三ジャカルタ炎鉄録 (5) 高架線の103系

2011-08-17 11:09:00 | インドネシアの鉄道


【ジュアンダ/8日】マスジッド・イスティクラル (独立モスク) をバックに!



【サワー・ブサール/10日】アウトカーブからド順光で!



【ジャヤカルタ/13日】17日の独立記念日を控え、駅にも国旗が装飾♪



【ガンビール/14日】帰国日は官庁街で構えたところ、青103が別れの挨拶に!

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 本日はインドネシア独立宣言から66周年の記念日。ジャカルタの街のあらゆるところにメラ・プティ (赤白の国旗) がはためき、めでたい雰囲気が充満します。というわけで (?)、そんな首都ジャカルタの中心を貫く大動脈・中央線高架を快走する青103系を撮り貯めた成果をドーンとアップしてみましょう~。そもそもインドネシア独立宣言は、日本軍政崩壊の2日後、植民地再支配を目論むオランダの機先を制するかたちでなされ、以後の独立戦争は敗残日本軍人有志の支援を受けながら苛烈に展開されたという経緯があります。そんな縁あって、インドネシアと日本の経済協力の歴史は長く深く、中央線の高架複線化も1990年代に円借款により推進されたため、架線柱をはじめ基本的なスタイルは日本風。しかもそもそも日本軍政時代にジャワ島内の鉄道幹線が1067mm軌間に統一されましたので (勿論、突貫工事で大量に動員された現地労務者の犠牲は銘記されるべきでしょう)、日本風の線路を走る日本の電車が南国の風景と渾然一体となっている今日の情景は、あるいはもしかすると66年前の時点で決まっていたのかも知れません。
 というわけで、今回の訪問では何とか、これまで撮りそびれていた103系と独立モスク (インドネシア最大のモスク) との組み合わせをゲットしたいと思ったのですが、このアングルは8両編成の後ろが架線柱で切れる可能性が高く、広角で一瞬のタイミングを切り取るという最高に難しい撮影……。しかし!バリバリに成功して超ガッツポーズです♪ その後も、午後のバリバリ順光を狙って中央線高架を訪れるたびに103系高運編成は姿を現してくれまして、青塗装時代最後の雄姿を心行くまで撮りきった……という充実感に満たされたのでした。しかも、12日あたりに一旦ジャカルタ・コタから東~ブカシ線運用に入り、その後環状線を1周して方向転換し、再びボゴール線運用に戻って来たらしく (東線での運用を撮りそびれた……-_-;)、先頭に立っている2両のクハ両方を午後の順光で撮影出来たという……(笑)。う~ん、今回の訪問はある意味で、103系青編成の最後を追いかけるためだったのかも知れません (*^^*)。

第三ジャカルタ炎鉄録 (4) 下町のメトロ05系

2011-08-15 12:11:00 | インドネシアの鉄道


 約一年ぶりにジャカルタの電車シーンを訪れてみて驚かされるあんな変化にこんな変化……まぁいろいろありますが、最も驚いたのはメトロ05系が大手を振って頻繁に行き交っていることでしょうか?! しかも、東西線時代と比べて下手をすると似合っているとすら思える赤+黄ラッピングをビシッと決めて……。
 そんなメトロ05系のジャカルタ入りは、昨年私が訪れ帰国した直後に (笑) 第一陣が到着したとのこと。その約1ヶ月前、川崎市営埠頭にて大挙して船積みを待つシーンを目撃したものですが、その際には「あぁ本当にジャカルタに行くのか……」と思いつつも、田都・半蔵門線ユーザー目線 (かつ、ふだん東西線は余り使わず) からみて05系という車両はどう見ても「チャキチャキの最新鋭車両」であり、出来ることならば「半蔵門線の08系は座り心地が悪過ぎて要らねぇので、その如何にも乗り心地の良さそうな05系を半蔵門線にくれ!」とすら勝手に思っておりますので (笑)、多少歯がゆさを禁じ得なかったものです (^^;;)。



 ともあれ、こうして02・07~10Fの計5編成が既にジャカルタにて営業運転を開始しており、とりわけ東急車が入線しないスルポン線では絶大な存在感を見せているほか、東線~ブカシ線でもかなりの確率で運用されており、昨年までこれらの区間ではメトロ5000系・東葉高速1000系の比重が高かったこと、そして東~ブカシ線では東急車も結構走っていたことを思い出すにつけ隔世の感があります……。とりわけこれらの運用が走ることになる西線~東線(ひっくるめて環状線?……正確には1周すると方向転換してしまう大江戸線状態ですので環状ではありません)は、なかばスラム街と化した区間も含む下町ゾーンを走りますので、そんなところを05系が走る光景は誠に混沌の限りとしか言い様がありません……(^o^;;)。
 もっとも、最近はインドネシア運輸省当局や鉄道会社が線路脇スラムの解消を進めており、凄絶としか言い様のない光景が展開していたパサール・スネン駅南側の雰囲気がかなり変わっているほか、2年前までは2~3両分しかホームがない駅が多く軌道もヘロヘロ気味だった東線の整備も進んでいますので、「古き良き (?) 環状線情緒」と05系の組み合わせを楽しもうと思えば、やはり西線のドゥリ~アンケ界隈や東線のクマヨラン界隈ということになるでしょうか。というわけで、独立記念日を控えてメラ・プティ (インドネシア国旗) をはためかせつつ、同時に何故か正面窓の東京メトロマークも残しつつ走る09Fが下町を走る光景に、目まぐるしく変わりゆくインドネシアの縮図を見る思いがしたのでした……。

第三ジャカルタ炎鉄録 (3) 線路市場と103系

2011-08-10 23:26:00 | インドネシアの鉄道


 ジャカルタの新顔として203系が数ヶ月後にデビューするのは非常に楽しみなことですが、103系の活躍が今後も続くことも103系ファンの端くれとして非常にうれしいことです。そんなジャカルタの103系のうち、低運編成が現在入場していることにつきましては、リンク頂いている『Asian Railway Plaza』様にて紹介されている通りですが (結局滞在中に出場試運転シーンを拝むのは難しそう・・・T_T)、高運編成は低運編成と入れ替わりに入場するのを控え、青塗装時代最後の活躍を続けています。高運編成は基本的に現在ボゴール電車区に常駐しているようで、東急8000・8500系やメトロ5000・7000系、そして都営6000系8連と完全に共通運用されており、2年前の初訪問時は概ねどの運用に入るか決まっていたのに対し (毎日同じ車両が同じ運用に入るため、終日運用に一旦入ると疲弊が激しいことに……)、今やどの運用でやってくるのか、はたまた車庫で朝から寝ているかは (最近の立て続くメトロ車の増備により、冷房車の車両数には余裕が生じている雰囲気)、毎日朝から見張っていなければならないという状況です。



 そんなボゴールの冷房車8連運用のうち、最も注目に値するのは下町・ドゥリの線路市場にやって来る運用でしょうか。線路市場は、ブカシ・スルポン・タンゲラン線運用車であれば朝夕やって来ますが (これはこれでスゴい光景ですので、そのうち改めてご覧に入れます)、ボゴール線運用車は1日1往復のみ。朝7時半頃に客を満載してボゴール方面からマンガライに到着し、ジャカルタ・コタ到着後デポックまで折返し、さらにデポックで入庫せずそのまま折り返してマンガライ→タナ・アバン経由アンケ行きとなるのがその運用に当たります。現在のボゴール所属車は東急のスペシャルな編成 (8003・8039・8604・8613F)、そして103系高運といった垂涎の顔触れが揃い、まさにこれらの編成を目当てに訪れている私としては、どうしてもこの運用を毎朝見張らずにはいられないのですが……何故かメトロ7000系で来ることが多いという印象が (汗→まぁそれはそれでいずれ見てみたいですが)。
 しかし……去る水曜日の朝にマンガライで観察していたところ、何と!103系がこの運用に入っているではありませんか!!\(^O^)/ そこで、9時30分にマンガライを出る「チリウン号」(環状運転列車) に乗っていざドゥリへ!! 7月ダイヤ改正後のKCJは余程のことがない限り遅れても10~15分程度で済むため (その「余程」に当たることもありますが……爆)、約10数分後には103系が来るだろうと見込み、強烈な臭いに耐えながら手ぐすね引いて待っていたところ……ほぼ定刻通りに103系がタナ・アバン方面から登場!! しかも、猛烈に爆走しながら……(滝汗)。通常、この線路市場に列車がさしかかりますと、安全上の理由からそれなりに徐行するものですが、今回の103系に限っては一切の妥協なくかっ飛ばして来まして、激しくホコリや紙屑・ビニール袋を巻き上げながら接近する光景は、私自身が物心ついて以来数限りなく眺めて来た103系の走行シーンの中でも最もワイルドなものとなったのでした……(@o@)。タナ・アバン方面からの到着シーンに比べれば、アンケで折り返して来たボゴール行の発車シーンははるかに穏やかなものでしたが、車両スレスレに迫るパラソルは見ていてヒヤヒヤしますね……(笑)。
 とまぁこんな感じで103系を追いかける滞在となっていますが、勿論このような混沌とした光景ばかりではありませんので、他のカットはまた改めて (笑)。