東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

刀は使うもの

2015-04-17 08:23:52 | 明治維新は誤りだったか
承前:明治の元勲たちは明治日本の軍制を作った。西欧を真似た。第一は徴兵制度の導入である。国民皆兵制度である。明治10年の西南戦争は薩摩武士団と農民軍隊(勿論指揮官は元武士や武士の子弟だが)との戦いで、その勝利は明治政府の最初の軍制上の成果である。

第二は職業軍人養成、軍事官僚制度の確立整備である。明治の軍制は山県有朋らが作ったのだが、第二弾が陸軍士官学校であり、陸軍大学である。たしか1874年だったと思う。私事だが私のひいじいさんが初期の卒業生で、卒業すると義和団事変(北清事変)鎮圧で北京に派遣されている。

やがて陸軍大学が設立される。ここを卒業しないと将来、将官になれない。またまた私事で申し訳ないが私のひいじいさんは長州出身だが、陸軍大学の入学試験に三度も失敗して将軍の夢を断たれ50歳前に大佐で退役した。

彼ら、すなわち陸軍大学卒業生の中から将軍が出始めるのが大正になってからではないか。陸軍大学というのはいわば鉈を研ぐようなところである。しかし、刃物と気違いは使いようという。山県たち元老が元気な間は彼らがチンピラ陸軍大学卒業生を自由自在に操れた。その成果が日清事変であり、日露戦争である。もっともそのころ将軍達は旧武士やそのせがれ達で陸大卒業生は下級中級幹部だったのだろうが。

山県らの手落ちは鉈を操る制度を作らなかったことである。これは意図的なことと思料される。下手に作るとそいつらに軒先を貸して母屋を乗っ取られることを怖れたのだろう。これは俗にいう「文民統制」の欠如ということである。

元老達が達者なうちは良い。元老達が次々と死んで行く。最後の元老山県は大正末年死亡した。いっぽう鉈たちは大正時代後半から続々と将軍になり、軍事の中枢を占める。軍事技術、作戦を操るのはうまい。しかし、彼らにそれ以上の視野はない。元老は彼らをコントロールする「制度」を作らなかった。あるのは悪名高い「統帥権」(天皇の)である。実質上軍事官僚を使役するものは一人もいない。そういう状況が昭和初期に一般的になったのである。

つまりナタが無知能自動操縦をはじめたのである。誰も止めるものがいない。おそろしいことだ。

もう一つ言わなければ成らないのはアメリカが本気で日本をつぶしにきたことである。これに日本は外交的に有効に対処できなかった。そして軍事力を政治的に制御する装置がまったくなかったのである。あとはアメリカさんの手のひらで踊らされて昭和20年になったわけだ。

もう一つ言っておくが、試験制度による官僚制度だから薩摩長州の陸軍海軍に対する支配力はどんどん弱くなった。それに死亡という元老達の退場である。この意味で、「明治維新という誤り」の著者の見解は間違っている。

昭和軍閥はむしろ戊辰戦争で「賊軍」だった幕府親藩出身の陸大卒業生が多い。東条英機は盛岡藩だし、満州事変の絵図を描いた石原カンジは会津藩あたりではなかったか。また二二六事件を主導した将校達はほとんどが東北あるいは北陸出身者ではなかったか。二二六の精神的指導者と言われた北一輝は佐渡の出身であり、これも薩長のためにわりを食った地方である。

昭和以降の将官の出身地の統計をとってみるといい。陸軍大学という制度は薩摩長州の勢力を削いでいた筈である。むしろ戊辰の恨みをエネルギーにしている連中の方が多い。薩長派閥政治打破というのは、あるいは元老政治打破というかけ声は「戊辰戦争の恨み」をはらすということにすぎなかった。


明治維新は誤りだったか

2015-04-16 20:58:37 | 明治維新は誤りだったか
新聞の広告でびっくりして本を買うこともあるのだ。「明治維新という過ち、日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト」原田伊織著 毎日ワンズ出版

というのだが、新聞の広告には司馬遼太郎批判とか坂本龍馬が虚像であるとかいうコピーがあったようだ(記憶である、新聞はもう手元にないので)

司馬遼太郎もいいのだが(おもしろのだが)、あれだけ国民の間に瀰漫すると、つまり国民的作家になると眉唾したくなる性分なので、どういうことだと興味をもったわけである。

なにしろ霞ヶ関の官僚がみんな愛読書の第一に司馬遼太郎をあげるというのだから、相当に病根は深い。小説として面白いとか痛快な男に描かれているということと、史実とは別物である。これが通用しなくなっている。

読んでみると、読みにくい所も有る。プロの書き手と言う訳ではないらしい。しかし、多いにのっているところもあるわけだ。

ま、明治維新がそこいらのあんちゃんが吉田松陰に誑かされて(感化されて)革命の手榴弾になったのは事実だし、革命とか維新とか言う「神経症的おまつり」には無頼漢や犯罪素質者が活躍の舞台が与えられるのは昔から洋の東西を問わない。

著者の際立った意見というのは、そういう無頼漢、テロリスト、狂人がつくった明治日本は明治大正昭和平成と直線的に下降しているというのだが、これは同意出来ない。

革命時の策士(西郷隆盛のような)は無頼漢、テロリストをうまく利用するわけだが、彼らがそっくり明治政府を作った訳でもない。また、あんちゃんレベルでスタートした連中も学習して進歩するのもなかにはいる。

そうでなければ、弱小後進国の日本が極短期間に世界があっと驚く五大列強になれたわけもない。

私は司馬遼太郎の言う様に明治と昭和では様変わりしたと観る。大正はいってみれば移行期だ。明治がアップトレンド、昭和前期がダウントレンドである。明治は元老達が作った。昭和は元老が作った「制度」が崩壊させた。その「制度」とはなにか。司馬遼太郎も分からなかったらしい,その原因を紹介したい。

陸軍士官学校、陸軍大学校(および海軍兵学校と海軍大学)である。すなわち上級軍事官僚養成制度である。皮肉なものである。つづく