東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

67ドル、黙示録的記憶

2005-08-26 22:28:29 | 社会・経済
原油の価格が1バーレル67ドルを超えたとか超えない
とか。21世紀最初の世界的な大乱を予感させる。

1970年代は色々なことがあった。田中角栄なる毒物
が出現して小泉が出るまで30年あまりも日本の政界を
仕切ってきた。毒物を変人が制したということかな。今
度の選挙でわかる。

それはさておき、忘れられないのは長い間1バーレル1
ドル前後であった原油価格が70年代に入るとジリジリ
と値をあげてきたことだ。老練なビジネスマンであり、
賭博が抜群に強かった男が独特の感で、前途の不気味さ
を恐れていたのを思い出す。

原油価格が2ドルを越した年の秋、第四次中東戦争が始
まった。その後OPECは原油の大幅値上げを発表、価
格支配力はメジャーから産油国に移った。そういえば、
1971年には円が変動相場制に移行した。

日本にとって特に厳しいこの情勢を、日本は世界で一番
うまく切り抜けた。僥倖といってもいい。神の国と言い
たくなるのも無理はない。首相も靖国に参拝していたか
らね。死者の援護もあったと思いたくなる。生者だけで
はどうにも力の及ばないことがある。いささかオカルト
めいてきたかな。

閑話休題。第四次中東戦争前の原油価格上昇と第四次中
東戦争との因果関係は言われていないようだが、原油価
格が長期の上昇課程に入るとなにか起こる。今回の上昇
は1996年の12ドルから67ドルまで10年間一本
調子で駆け上がっている。特に今年は過去の最高値を抜
けてから未踏の60ドル台に入っている。なにか予想も
出来ないようなことが起こりそうだ。つまりリニアな手
法では予測できないような大乱がおこる予感がする。

今回は中東産油国もさることながら、価格上昇で大きな
利益を得た大産油国ロシアといまや石油の大消費国、大
輸入国になったシナがからんでくるだろう。シナは人民
元の市場相場移行への世界の圧力が強まる。硬直化した
シナの独裁的、アジア的後進体制は、70年代の日本の
ようにこの大波を乗り切ることは難しいだろう。





一書に曰く、東条は32口径の拳銃で自殺

2005-08-14 14:05:12 | 東条英機
このブログはあくまで良心的にいく。この記事は前の
「東条はおもちゃのピストルで自殺?」の補足である。
「一書に曰く」とは日本書紀が異説を紹介するときに
使う表現である。「あるふみにいわく」と送りがなする。

前稿出稿後、インターネットで東条は32口径の小型拳
銃で自殺したという記事を見つけた。これは東条が護身
用として別に持っていた拳銃であるという。つまり将校
用として支給されていた正規の拳銃を使わなかったとい
うことだ。この記事の正否を判断する材料は手元にない。
ある文に曰くとして紹介しておく。

32口径は22口径よりは火力があるがやはり主として
護身用それも婦人用だ。日本でも終戦直後の警官は32
口径の拳銃を持たされていたと記憶する。
殺傷力は弱い。主として相手の反撃力をそぐ目的で携行
させたようだ。アメリカ軍が日本の警官に強力な拳銃を
持たせることを好まなかったからだろう。今でも婦人警
官の拳銃は32口径かもしれない。

前の記事に更新として末尾に付そうかと思ったが長くな
ったので稿を改めた。

私としては22口径説がやはり有力だと考える。理由は
1・事件後の東条の様子からして大した傷は負っていない
2・石原慎太郎氏は都知事として警視庁の資料へのアクセ
スがある(当時、日本側の担当は警視庁と考えられる)
3・佐々淳行氏は警察庁公安エリート官僚の出身であり、
当時の第一次資料にアクセスできる立場にある。

いずれにせよ、東条由布子さんの、60年後に突如とし
て発表した大型拳銃説(それも娘婿のものというディテ
ールまでついたもっともらしい説)は採用しがたいよ
うだ。








東条英機はおもちゃのピストルで自殺?

2005-08-11 22:38:16 | 東条英機

先の投稿で、東条の自殺の際に使用した拳銃について、孫の由
布子さんが雑誌WILLの対談で述べたことを信用した。扱いな
れない大型拳銃を使用したために失敗したという「言い訳」を
紹介したが、この事実がすこしあやしくなった。

雑誌「諸君」9月号に石原慎太郎氏と佐々淳行氏の対談がある。
米軍憲兵が、「22口径で胸を撃つなんて」と笑ったという
(諸君9月号33ページ)。22口径の拳銃というのは玩具
みたいな、もっぱら婦人の護身用拳銃である。鳩も驚かない
豆鉄砲である。アメリカでは田舎の縁日の射的場に置いてあ
るやつだ。

22口径は頭部を撃っても一発で死ぬことは難しい。まして胸
部を一発撃っただけで死ねるのは僥倖を待つよりほかはない。
軍人なら常識だろう。まして、なぜ東条のような職業軍人が将
校用の拳銃ではなくて「売春婦の拳銃」と言われる玩具のよう
なピストルを入手用意していたのか、グロテスクである。MP
が侮蔑して笑うのは当然である。

もっとも、急所を外さずに3,4発撃ちこめば死ねるかもしれ
ない。安達中将の例ではないが、錆びたカミソリでも覚悟さえ
あれば立派に自決できるから。終戦直後に自決した軍人は沢山
いるが、そのなかで本土防衛総軍司令官陸軍元帥杉山元は自分
の胸部に四発拳銃を撃ち込んで自決している。彼の場合、22
口径ということは無いだろう。将校用の拳銃、38口径か45
口径を使用したものだろう。年齢も東条とほぼおなじ、大口径
の拳銃を至近距離から発射すれば、受ける衝撃はすさまじいも
のがある。それを自分で四発撃ち込むというのは相当の覚悟が
必要である。杉山夫人は夫の死を確認後自刃している。

もっとも*** 記憶は確かではないが、チャンドラーの小説
で女ながら22口径を二発心臓に撃ち込んで自殺する結末を持
つものがあった、チャンドラーの文章は「奇跡的」という言葉
を使っていたように記憶する。

東条は駆けつけたMPにその場で色々ややこしいことを言って
自己弁護をしている(当時の報道によれば)。したがって意識
はしっかりしていて本当に死ぬつもりなら二弾、三弾は自分に
撃ち込める気力は残っていたことがうかがえる。自殺に失敗し
ておきながら敵兵にくどくど自殺を正当化するような言辞を弄
するのは、やはり健全な倫理感覚を持っていたとは思えない。
大体男は弁解しないものだ。

それにしても、この情報ギャップはどこで発生したのか。由布
子さんは東条が処刑直前に会った教戒師に東条が言い残した言
葉として家族に伝えられたと言っている(教戒師はとっくの昔
に死んでいて確認できない)。米軍憲兵の誤認か、東条が嘘の
言い訳を言い残したのか、お孫さんが作り上げたのか。


巣鴨拘置所の東条英機

2005-08-10 10:14:33 | 東条英機
自殺未遂の傷も癒え、東条英機は現在の池袋サンシャイン60
ビルが建っているところにあった巣鴨拘置所に収監された。
敗戦後巣鴨拘置所は連合軍に接収され日本のABC級戦犯四千
人が収容され六十人の死刑が執行された。通称巣鴨プリズンと
呼ばれた。

東条英機はその後、A級戦犯に対する極東軍事裁判で絞首刑を
宣告され、昭和二十三年十二月二十三日早朝刑を執行された。
連合軍は皇太子(平成天皇)誕生日を死刑執行の日に選んだと
言う。

ニュース映画に残っている東京裁判での東条他の態度は落ち着
いたもので、ニュールンベルグ裁判でナチス首脳たちが見せた
ような醜態と対照的であった。もっとも、右翼の思想家大川周
明が精神異常をきたして免訴になったという椿事があった
(詐病ともいわれる)。

巣鴨プリズンでも看守を困らせることもなく東条は模範囚であ
ったようだ。東京裁判での東条の宣誓供述書が最近注目されて
いる。第一級の歴史資料などというものもいるがどうだろう。
たしかに要領よくまとまっているが、内容のほとんどは、当時
の内外の新聞で確認できることか、これまでに歴史家が言及し
ていることばかりだ。さながら能吏の作文をみるが思いはする
が。

これこそが、東条が高級官僚として、能吏としての実態であろ
う。身柄を収監されてその行動にはオプションはない。逆に言
えば、色々と思い悩むストレスから開放された東条にとっては
生涯でもっとも平穏な時期ではなかったか。思想、行動の選
択肢がなければ、能吏は学校における優秀な学生の如く、先生
を感心させる模範解答を書ける。

倫理と言うものは思想、行動の自由があって、つまり右せんか
左せんかの選択があるときに問題になる。自由なきところに倫
理はない。東条は倫理の重圧から開放されたのである。

権力を持つ能吏が倫理的に欠陥がある場合は、現代においても
多いのである。軍事官僚が大蔵財務官僚、道路・建設官僚、自
治官僚そして郵政官僚などに代わっただけであり、彼らが自由
意志と強大な権力を持った場合、倫理的たりうることは現代で
もまれである。






東条英機と安達二十三中将

2005-08-09 22:19:05 | 東条英機
安達二十三(アダチ・ハタゾウ)と東条とはあまり接点はない。
ここでは死に臨んで軍人としての覚悟の相違を述べる。

安達中将は昭和17年から終戦まで東部ニューギニアの第18
軍司令官であった。終戦後、ラバウルで戦犯裁判にかけられ
て終身禁固刑を受けた。昭和22年収容所内で錆びたかみそり
で自決した。

拘束されて二十四時間厳しい監視のなかで自決用の武器を入手
することもままならなかったのであろう、ようやく錆びたかみ
そりを密かに入手した。そのカミソリで看守の兵士の目を盗み
頚動脈を圧迫切開して自決した。起承転結の整った立派な遺書
も残した。さらに驚くことに作法どおりまず腹を一文字に切っ
た上で頚動脈を圧迫切開した。サムライの覚悟とはかくの如
きものである。

東条がピストル自殺に失敗したことはよく知られている。状況
は次のように報道されている。MP(アメリカ軍憲兵)が戦犯
として東条を逮捕するために到着すると、東条は家の中に閉じ
こもりピストルで左胸を撃って自殺を図るが、米軍の救命措置
により未遂に終わる。遺書はなかった。

状況を考えると、東条は最後まで、ひょっとして戦犯として訴
追されるのを免れるのではないかと希望的観測を抱いていたよ
うに見える。そうでなければ、中野正剛や安達中将の場合とは
ことなり、自由を拘束されていたわけでもなく、万全の準備を
して自決する時間は十分にあったはずである。MPが逮捕に現
れる土壇場になって、覚悟もなしに未練を残して、切羽詰って
手元が狂ったようである。あるいはためらいが失敗につながっ
たのか。ぶざまなことである。

かれは陸軍大臣時代「戦陣訓」なるものをつくり、全兵士に示
達している。そのなかに、「生きて虜囚の辱めを受けるなかれ」
という有名な文句がある。その彼が自殺未遂では示しがつかな
い。

この戦陣訓に基づき、敵軍の捕虜となり、後に送り返されてき
た兵士は上官から自殺を強要された。その際は失敗しないよう
に自分の頭部を撃つように命令していたという。いわば、軍人
としての常識なのだろう。ここでヒトラーを引き合いに出すの
もどうかと思うが、彼も自らの頭部を撃って自殺している。巷
間東条が胸を撃ったのは頭部がめちゃめちゃになるのが嫌だっ
たというが、戦陣訓の著者として、また武人としてあるまじき
身勝手というべきだろう。軍歌にも有名な文句がある。「海行か
ば水漬くかばね、陸行かば苔むすかばね」だったか。エステみ
たいな美意識はお門違いだろう。

当時から彼の自殺にまつわるはなしとして、間違ったところを
撃たないように出入りの医者から心臓の位置を聞いてそこに墨
でしるしをつけていたという。そして自分では書けないから毎
日夫人に書かせていたというのである。これは未遂に対するい
いわけらしい。つまりこれだけ用意周到に準備していたと主張
したかったらしい。なにか滑稽というかグロテスクな挿話だ。

ところが、60年目にして新しいjustification
が試みられた。東条英機のお孫さんが最近あちこちに出てこら
れるが、彼の自殺未遂を弁護するのか、いくつかの話をされて
いる。

まず、彼は自分の拳銃ではなく、娘婿が自決に使った拳銃を使
った。理由は先立って自決した愛する婿(陸軍少佐)と同じ拳
銃を使いたいというセンチメンタルなものだそうだ。そしてこ
の少佐が大柄な人で、その拳銃が東条が持っていた拳銃より大
分重かったと言う。それでうまく撃てなかったというのだ。こ
の理屈は逆に武人としての資格の欠如を示すのではないか。素
人の話ではない。

お孫さんによると、また彼は左利きだったそうで左胸を撃つの
は難しかったという。これも彼の武人としての日ごろの心がけ
の欠如を示すものだ。一生の一大事に不得手、なれない武器を
使うものではない。武士のたしなみだろう。安達中将のように
なにも武器が調達できない場合はやむをえないとしてもだ。

お孫さんは当日まで自殺しなかったことを、こう代弁している。
東条は逮捕しにきたら、「それが日本の官憲なら自分は逮捕に応
じる。日本国民には責任があるから」といったという。そして、
逮捕状が英文で書かれていたので自殺しようとしたのだ、と。ど
んなものだろう。お孫さんに失礼になるから、どうしてかという
ことは述べないがいかにも不自然だ。

彼女が今日に至って種々言われるのは周りの状況が変わってき
たから祖父を弁護しようというのだろうが、内容は逆効果を持
つものばかりだ。自殺未遂についてあれこれ弁解されるのはお
やめになったほうがいい。そっとして、黙っているのが孝行で
はないか。もっとも、上記に弁明が有効な人々が多いと言うな
ら何をかいわんやである。








東条英機と中野正剛

2005-08-08 11:26:16 | 東条英機
江戸時代、心中に失敗したものは日本橋のたもとに何日か手鎖
をはめられてさらし者にされたという。その後、女は吉原に売
られ、男は無宿者になったとか。

武士が切腹に失敗した場合の掟は武家法度にあったであろうか。
あるまい。武士が切腹に失敗するなどという事態は考えられな
かったに違いない。

それが幕府や藩の命令である場合には検死役が派遣されること
が多い。介錯という習慣もあった。しかし、自分の意思で、様
々な理由で自裁する場合でも武士が一旦自分で決めたことで失
敗するなどということはありえないことであった。諌死という
こともある。厳しい監視のなかで自決を決意することもある。
介錯など期待できない場合もある。

この精神は昭和時代にも生きていたようだ。昭和18年に衆議
院議員の中野正剛が自決した。彼は朝日新聞記者から政治家に
なった人物であるが昭和18年1月1日の朝日新聞に寄稿した
「戦時宰相論」が当時の東条英機首相を激怒させたという。内
容を見るとそんなに激しい内容ではない。東条はすこしでも自
分の政策に意見を述べるものは排除したという。記事にはむし
ろわざと韜晦していたずらに刺激しないような配慮も見られる。

個人的に好き嫌いが激しく、自分に反対する人物を召集して激
戦地に送るというのは東条が酷愛した手法であるという。毎日
新聞記者が「竹槍では勝てない。飛行機だ」という記事を書い
たというので、その記者を招集して玉砕が予想された硫黄島に
二等兵として送ろうとした。その記者は37歳と言う高齢で当時
の戦局では大正時代の老兵は一人も招集されていなかった。

さて、中野正剛であるが、東条は倒閣運動を画策したと言う理
由で憲兵に彼を逮捕させて屈辱的な取調べを行わせた。中野正
剛は数日後保釈されて自宅に戻ったが、東条は彼に自殺されて
は大変と自宅にまで刑事を派遣して寝室のとなりで監視させた。
東条としては、中野に逮捕という屈辱を与えて、惨めに生き続
けるのを世間に見せることが世間に対する牽制になって一番良
かったのである。

ところがである。中野正剛は釈放された夜、自宅寝室で見事に
抗議の自決をし遂げたのである。日本家屋であるから刑事が寝
ずの番で見張っている隣室との間にはふすましかない。ほとん
ど防音の効果はない。その敏腕の刑事も朝まで自決したことに
気がつかなかったという。民間人にしてこの覚悟である。自決
がいいと言っているのではない。武士的道徳で辱められたら自
決すると決めたからには、いかに厳重な監視下であっても抜か
りなく、しおおせるという覚悟のことをいっている。

中野正剛の葬儀には、東条の妨害にもかかわらず、大変な数の
参列者が集まったという。









日高義樹著「日米は中国の覇権主義とどう戦うか」

2005-08-07 16:32:45 | インポート

タイトルの本はあたい1400両、7月末徳間書店発行である。
NHK特派員、米国のシンクタンクの研究員として、米国政
策に影響を与えうる人物たちとの交流で得た彼らの意見を紹
介しているところが面白い。

東部のリベラルな新聞、学者、民主党員には理屈抜きで中国に
親近感を持っているものが多いと言う。いわれるまでもなく、
日々報道を見ていると分かることではあるが、根っこにある
オピニオンリーダーたちが生の声でどういっているかを聞く
のは一興である。一驚して一恐するところ、又なきにしもあ
らず。

共和党の軍事戦略思想たとえば今ラムズフェルド国防長官が推
進している「トランスフォーメーション」もやり方によっては、
思いもかけないfar reaching implicationsがあるが、日高
氏の観測も興味深い。ライス長官のあまさぶりもちょっと心配。

南下ロシアなき日英同盟、南下ソ連の脅威なき日米同盟のあや
うさもある。(シナの覇権主義の前では)

聞くところによると、アメリカはステルス機による威力偵察を
平壌上空ですでに大々的に行っているともいう。徹底した北鮮
の空爆破壊作戦計画も完了していると言うが、地上軍を派遣す
る計画はないとか。


靖国神社と文化、補足

2005-08-04 22:33:31 | 靖国

前の記事で悪霊とあるのは怨霊としたほうがいいかもしれませ
んね。

日本の歴史でも時代によって文化の様相ももずいぶん幅があり
ます。平安時代のように怨霊を恐れて数百年ものあいだ公式に
は死刑を行わなかった時代もあれば、江戸時代のように儒教を
重んじたせいか、過酷な刑罰が行われた時代もあります。

ある藩のお家騒動で、すでに処刑した人間に新たな罪科が分か
ったと言うので埋葬した死体を掘り出して腐屍をのこぎり引き
や磔の刑にしたという記録もありますし、有名なシーボルト事
件では捕らえられた幕府天文方の役人が獄死したとき、取調べ
が終わっていないと言うので死体を塩漬けにして樽に保存して
死罪が決まったときに塩漬けの死体を斬首したということもあ
ります。


靖国神社と文化

2005-08-04 21:51:06 | 靖国

首相の靖国参拝にイチャモンをつける国に対して、それは文化
の違いだからという理屈を前面に押し出そうとする人たちがい
る。テレビに出てくる武村健一氏がその代表であろうか。結構
いるようだ。

どうも危なっかしい気がする。まず文化の問題を出すまでもな
く、戦没者の追悼儀礼は他国の容喙を許さない厳粛な行為であ
ると相手の非礼を指摘するだけで十分であろう。文化が違うか
ら認めてくれとお願いするが如きアプローチは誤解を招きやす
くまた逆効果ではないかと心配である。鼻でせせら笑われるだ
けではないか。

神道というのは、あまり厳密な神学体系のない宗教(あるいは
習俗)であって、色々な考えを内包しているようだ(専門家で
はないから詳しくないが)。辛気臭い神学論争をやると迷路に入
り込むような気がする。死ねば皆神様になるという考えも別に
神道固有の考えではないようだ。

以下は宗教学の専門家ではない素人の理解であるので間違って
いればご教示をいただきたいが、仏教では宗祖つまり仏陀の考え
は人間の本性は皆仏であるというのではなかったか。もっといえば、
ゴキブリも豚も万物すべて同じという考えだろう。

親鸞の言葉だったか、「善人なおもて往生す、いわんや悪人お
や」かな、これも皆仏様になるわけだろう。一方では古代インド
の習俗の影響であろう、仏教には地獄、極楽という区別(迷信)
もある。

神道には死ねば皆神様になると言う明示的な経典はないと思っ
た。古来神道には悪霊鎮魂という考えがあり、悪霊のたたりを
取り静めるために祀るということがひろく行われている(いわ
ゆる菅原道真の天神さまなど)。矛盾した考えであるが、二元論
的なものも混じっているように思う。とにかく教義がはっきり
しないということが神道のいいところの一つなのであまり辛気
臭い議論はしないほうがいい。東条英機の霊などは悪霊鎮魂の
神社を作ると言う考え方もある。シナ、半島の狂気はあきらか
に悪霊に取り付かれているようにみえる。

死ねばみな神様というのは、A級戦犯も他の御霊もみな神様に
なっているというのが日本の「文化」だという理屈なのだが、
この点(世に言うA級戦犯の合祀問題)は東京裁判の問題性
(違法性)と、いずれにしても国内的にはA級戦犯という問
題はないという、なんというか法理論的なJUSTIFIC
ATIONだけで対外的な説明は十分ではなかろうか。

勿論当時の戦争指導者の自国民に対する敗戦責任という問題は
悪意ある外国の騒音を排除して冷静にかつ厳粛に追及されるべ
きだろう。まだ片付いているとはいえない。

正直いってわたしも良く分からないのであるが、文化まで持ち
出して、悪意を持っている国に縷々弁明する必要があるのかと
いう疑問である。


東条英機シリーズのシラバス

2005-08-03 23:19:20 | 東条英機
お約束して遅れている東条英機シリーズの概要(予定)を
お知らせいたします。

国家総動員体制の整備、精緻化、確立に寄与した陸軍省の能吏
として、40年体制 NIFTY―SERVEの昔

「生きて虜囚の辱めを受けるなかれ」島崎藤村の斧鉞ありとか
武人道徳を町の八百屋や床屋に強要した狂気 新撰組は志願者

武人のたしなみと覚悟 自分の始末をつけること
 中野正剛衆議院議員、安達二十三中将との比較

巣鴨監獄での模範官僚

健全な「右翼」が育つために克服しなければならないこと

「共同謀議」罪はフリーメーソン、トルーマン大統領一派の脅
迫観念

筆禍をおそれて、様子をみながらゆるゆるとまいる所存でござ
る。もっとも極めてマイナーなブログだからあまり気にするこ
ともないかも知れぬ。