東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

小池百合子君と守屋武昌君(6)盗聴器

2007-10-31 07:59:41 | 社会・経済

さてさて、30日、小沢君と福田首相が密室会談だ。いや結構。盗聴器の有無は念を入れて調べたのだろうネ。もっともエシェロンの網には引っ掛かっている可能性あり、だ。

昔は政治談合も汚職密談も料亭で行われたものだ。理由はだたひとつ。機密保持だ。料亭の従業員、仲居や女将、芸者は口が堅いのがいのちだった。いまはそんな職業倫理?なんてどこにもない。料亭労働者倫理規定を設けても無駄だ。ご時世には逆らえない。自衛隊倫理規定も有名無実な世の中だ。杉浦太蔵君、料亭に行くのにあこがれてはならん。あれも神聖な仕事だったのだ。

さて、これまでにも指摘したところであるが、スパイが盗聴を避けるために公園を会合場所に選ぶのは昔からのことだ。もっとも面の割れた官僚、経済人や政治家が日比谷公園を物欲しそうにウロウロすれば逆に目立つから公園に似た環境のゴルフ場が選ばれる。

もっともゴルフ場も安心がならない。高性能の遠距離集音マイクで数百ヤード先から狙われる。亀田の試合でオヤジやコウキの八百長指示の音声が拾われたようにだ。キャディーのバッグに録音機が仕掛けられているかもしれない。

守屋氏は山田洋行の所有する二つのゴルフ場を使ったそうだが、自分の所有するゴルフ場を使ったのは盗聴器のチェックが十分に行えるからだろう。ラフの木立のなかに隠しマイクがあるかどうか事前にチェックできる。

ところでマスコミ労働従事者諸君、山田洋行の専務(宮崎?)が山田洋行をオン出た後はどのゴルフ場でプレーをしていたのか調べてくれたまえ。そこんところ、よろしく!!

それから、守屋氏のプレーした日に他にどんな人物がプレーしていたかを調べることも大切だ。現地で意外な大物と落ち合っていたかもしれない。ゴルフ場の記録ははやく押収しないといけないよ。


自滅のウタ

2007-10-29 08:00:01 | 社会・経済

自衛隊ネタであるが、守屋問題とは違うので別に書く。

自衛隊の行進につれて演奏される行進曲。学が無いから何と言う人が作曲した何という曲か知らんのだが、不吉な音楽だ。新しいのに変えたらどうだ、といつも思う。

昭和18年の学徒動員の出陣式(明治神宮野球場)の古いフィルムを見ると必ず流れる曲だからだろうか。曲そのものも陰々滅々としている。こういう曲は陰気でも荘厳な雰囲気を醸せばそれもいいのだろうが、オイラにはとてもそんな感じがしない。もっとも葬送行進曲ではないのだから、やはり適切ではないか。

フランスの「ラマルセイエーズ」も陰気で威圧的な音楽だが、これは敵を虐殺、殲滅するという歌詞だからいいだろう。もっともこんな軍歌を国歌にするのはセンスが無さ過ぎる。

自滅を予感させるからだろうか(先入観で)。太平洋戦争でやられた怨念を相手にぶつけるような迫力があれば、それでもいいのだろうが、どうかね。

昨日もテレビで自衛隊の行進につれて演奏されていた。日ごろ感じていることを書いてみた。


小池百合子君と守屋武昌君(5)BIG FAT WHY

2007-10-29 07:37:24 | 社会・経済

さあ、証人喚問だ。ゴルフのことだが守屋君というのはどういう神経をしているのかね。彼は大変へただそうだ。いくらやってもうまくならない。110くらいでまわるらしい。普通はうまくなりたくてプロのレッスンを受けるものだ。

山田洋行とだけでも5年間に140回もゴルフに行ってすこしもうまくならない。レッスンを受けたり、練習をした様子もない。これでゴルフが嫌いにならないのは異常な神経じゃないか。

それでもゴルフに行く。何故かね、これはBIG WHYだよ。証人喚問でしっかり聞いてもらいたい。守屋君にはゴルフは苦行に違いない。これは接待ではないね。情報連絡の場だろう。ゴルフ場には盗聴器がない。仕掛けにくい。

元山田洋行の専務というのはいわゆるメディエイター、中間スパイの可能性が高い。アメリカと日本の。もちろん日本の特定の政治家のと言う意味だ。情報の流れが片方向か、双方向か、これも大事な点だ。もっぱらアメリカからのご意向拝聴と日本側の内部情報提供であれば大変なことだ。大正時代のシーメンス疑獄とは比較にならない。

公の場で行えない双方の談合の経由地(流行の言葉で言えば、インターネットの通信プロバイダーの役割)が専務とゴルフ場だったのかもしれない。

いやはや、民主党さん、しっかり頼むぜ。

+ 10月29日証人喚問の印象

自民党の田中なにがしだったかな、証人尋問だよ、貴重な時間をくだらないお説教で使うな。なるだけ実質的な尋問時間を減らして疑惑追及かくしに協力していることは明瞭である。このことによって守屋疑惑の本丸が政治家であることが判然とした。

オンナみたいな甲高い声を張り上げてミエミエの芝居をするな。山間僻地の小学校教頭みたいなお題目は沢山だ。

野党の質問はより具体的ではあったが、タマを最初から打ちつくしていないようだ。二段、三段と波状攻撃をしかける作戦なのだろう。参議院用のタマも取っておかなければならないしネ。ご苦労さんでした。


日替わり「イワン・デニーソヴィチの一日」

2007-10-28 18:48:52 | 社会・経済

10月28日:

この小説は三人称のかたりなんだが、実際は「イワン・デニーソヴィチ・シューホフ」の視点で語られる一人称小説に(近い)。意図的にこういう叙述にしたのか、目的や仕掛けがあるのか流し読みしかしないオイラにはわからない。いずれにしても、読んでいて時々混乱することは事実だ。

新潮文庫で読んでいるのだが、初版は昭和38年だ。単行本はその二、三年前に出ているのだろう。いまごろそんなものを読むのかといわれるが、オイラは原則として100年以上前の小説しか読まない。ちゃんと理由があるのだがそれはいずれ述べよう。オイラとしては、半世紀もたたない小説を読むというのは異例のことなんだね。

むかしからソ連時代の軍隊と旧日本軍(昭和の軍隊)はよく似ていると思っているが、この小説を読むとその思いが深くなる。似ているといっても昭和の日本軍だ。明治でも大正でもない。源三位頼政より明治維新まで続いた武家政治の戦闘集団でもない。まさに昭和の珍現象とでもいうべきものがある。たとえば「生きて虜囚の辱めを受けず」という東条英機の発布した戦陣訓だ。文章は島崎藤村が考えたらしいが。

10月30日:

96-97ページにイワン・デニーソヴィチが収容所に入れられた経緯が書いてある。彼と戦友の5人はドイツ軍の捕虜となったが、脱走して原隊に復帰した。ソ連軍はドイツ軍のスパイになったから釈放されて送られてきたのだろうと疑い、自白を強要する。検事の作った自白調書を認めて署名すれば収容所送り、拒めば銃殺ということだ。勿論彼には収容所に行くしかなかった。少なくともしばらくは生きていられる。

他の箇所にも同様の理由で収容所に送られた囚人の話が出てくる。これは「生きて虜囚の辱めを受けず」とまったく同じだ。ソ連や更級の抗日勢力の捕虜となり脱走して原隊に復帰した日本軍兵士は相手のスパイになったと一方的に決め付けられて自決を強要された。

ソ連の場合、捕虜を取らないのが一般的であることが背景にある。つまり投降してきた敵の兵士は殺してしまうのである。これが「捕虜を取らない」という意味である。アメリカ軍も太平洋戦線で日本軍兵士に対しておおむね同様の方針であった。足手まといでいつ逆襲してきたり脱走するかもしれない敵兵士は皆殺しにするのが掟なのだ。食料も余分にいる。貴重な戦闘員を監視役に割かねばならない。収容所を作り維持しなければならないからだ。だから殺されないで帰ってくればスパイになったから帰ってこられたと疑われるのだ。

ま、戦場では「捕虜をとれる状況」と「捕虜を取れない状況」が厳然としてあるわけだ。もちろん、「捕虜を取れない状況」のほうが圧倒的に多い。利口な手だね。あとで映画「戦場にかける橋」も作られないし、「バターン死の行進」などと戦争犯罪で裁かれることもない。戦場の合理性というわけだ。欧米の合理性にはこの手のものが多いから注意しなければならない。

勿論投降してきたときの状況が、自軍の状況に十分の余裕があるときは捕虜を取る。強制労働にも使えるし、温情をかけたようにして後々宣伝懐柔に使えるからだ。

11月4日:

皮膚感覚について述べよう。小説や文章では作家によって、あるいは作品によって厳然たる皮膚感覚の相違がある。一つには作者の好み、技量の卓越、欠陥それに叙述のシチュエイションが求める皮膚感覚が異なるということがあるからである。

収容所ものというとドストエフスキーの「死の家の記録」を思い出す。ほかにも収容所小説はあるのだろうが、オイラが思い出すのは「死の家の記録」だけだ。皮膚感覚とは、別の言葉でいえば印象的な叙述、つまり記憶に残る叙述ということだがソルジェニーツィンとドストエフスキーでは明瞭に違う。

スターリン独裁下の「イワン・デニーソヴィチの一日」では零下30度という厳寒のつらさが全編に貫かれている。また極限の飢餓状態状態である。19世紀中葉の(前半だったかな)ツアーリ帝政下に書かれたドストエフスキーの「死の家の記録」では寒さのつらさは読後の印象には残っていない。もっとも大分前に読んだので、現在途中まで読み返しているのだが、やはり記述そのものがない。

零下20度という記述はあるのだが生々しく皮膚感覚に訴えるものはない。むしろこんな環境にあっても印象に残るのは、再三記述されているのは獄舎のなかの暖炉の上に這い登って聖書を読みふける旧教徒のすがたであり、囚人が時々連れて行かれる市中の浴場のすざましい灼熱地獄の描写である。

飢餓、これは文学にはなべて共通の描写の対象である。戦争文学、収容所小説、犯罪小説、社会派小説みなしかりだ。飢餓がなぜ皮膚感覚だっていうの? 喉に手を突っ込んで胃袋を引っ張りだしてみねえ。皮膚と繋がっているだろう。

さて、「イワン・デニソーヴィチの一日」は四六時中極限の飢餓状態に置かれている囚人の様子が印象的に描かれている。「死の家の記録」ではどうだ。はっきりいって飢餓は描かれていないと断言できる。盗みを働いて入ってきた囚人が白いパンや肉の入ったスープを食べて「うまれて初めてこんなうまいものを食った」なんて言っている。

ドスとエフキーの小説で印象的なのはアルコールに対する囚人の渇望である。監獄ではどこでも飲酒は禁じられている。これを非人道的待遇というのはどうかと思うが。ドストエフスキーの小説はどれでもアルコールへの渇仰がふんだんに描かれているが、「死の家の記録」も例外ではない。「悪霊」、「罪と罰」、「カラマーゾフの兄弟」などすべての小説でアルコール依存症の描写を除いたら彼の小説はスカスカになってしまう。現代でいえばドストエフスキーの小説はドラッグ小説といってもいい。

続きは別に稿を起こした、(日替わり「イワン・デニソーヴィチの一日」2)をご覧ください。


小池百合子君と守屋武昌君(4)

2007-10-27 13:20:27 | 社会・経済

ささやき怪獣石場ザウルスは怪猫ギャオ小池をあやつれない::

ピンポイント爆撃などアメリカに出来ない。イラクを見よ。ピンポイント爆撃が成功したというには術後の経過が順調にいくことが当然に随伴しなければならない。ピンポイント爆撃だけなら目のいい子供や遠視のパイロットでも出来る。

レーザーメスを使った手術もよほどのてだれでないと難しい。そのことを如実に示したのが人形遣いががささやき怪獣石場ザウルス、あやつり人形が怪猫ギャオ小池による今回と守屋とのK-1マッチであった。

蜂の一刺しで守屋を沈黙させて排除、防衛、沖縄利権を竹下、橋本一派(今は津島派というのかね)に奪回するのが今回の狙いであったのだ。ギャオ小池はレーザーメスという品質ではないよ。自分は手を汚さずに彼女をエイジェントとして利用しようとした。うまい手だと思っていたのだろう。

ところが、実際には錆びたなたで腹を切り裂いたような結果になり、自分達もかかわった利権、旧悪が露見する羽目となった。もともと虫の良すぎる話だったのだ。

今度のことが石場ザウルスの暴走なのか、旧竹下系の大物の意向なのか。ベテラン達がこんな危なっかしい素人内視鏡手術を認めるとは思えない。いまごろ、石場ザウルスは野中、額賀、久間他の防衛族の古手に叱りあげられているのではないか。


小池百合子君と守屋武昌君(3)

2007-10-26 07:15:04 | 社会・経済

前回投稿以降、マスコミはようやく満遍なく防衛利権の実態を報道するようになり、そのなかで守屋次官ゴルフ接待事件を位置づけるようになった。ご同慶のいたりである。マスコミ各紙の報道は当ブログのパースペクティブを裏付けるものばかりでホッといたしておる。

怪獣石場は新進党だっけ、自由党だっけ以来よしみを通じていた小池百合子をたきつけて 守屋のあぶり出しを画策した。防衛利権、沖縄利権よ、来い来いというわけだ。

しかし、小池百合子が得たりやオウ、とイリオモテ山猫よろしく白昼国民の面前で守屋次官にむしゃぶりついて引っ掻き始めるとは思わなかっただろう。

クスリの盛り方を間違えたからいきなりあそこまで興奮させてしまったのだ。

マスコミにもう一つヒントを与えよう。山田洋行のアメリカ法人の接待先である。平成の長井雅楽、長野主膳たちへの各種くすぐりである。接待もあり、便宜供与もあり、情報提供(アメリカ有力国防関係者への引き合わせ、情報((アメリカ宣伝用の))提供など)が考えられる。平成の「安全保障専門家、軍事評論家、日米関係専門家、あやしげなシンクタンク研究員」などである。

歴史のお勉強:長野主膳は井伊直弼のふところ刀で、日米修好通商条約を勅許を得ないで調印するなどに暗躍した。この日米通商友好条約など世間のだまし方は今のテロ特措法と本質的に酷似している。井伊直弼暗殺後に首を刎ねられた。

長井雅楽:長州萩藩士、幕末の公武合体論者、公武合体というのは日米同盟至上主義と瓜二つである。アメリカ=幕府、日本=宮廷と置き換えるとわかりやすい。その後藩論が転換して切腹させられた。


小池百合子君と守屋武昌君(2)

2007-10-21 13:15:06 | 社会・経済

第二話 匙加減:須田慎一朗とかいう、あれは経済評論家というのかリポーターというのか、が時々夕刊フジにいい事を書いている。小池百合子と守屋君が引っ掻きあいをしているときにインサイド・ストーリーを書き始めたのだが知りきれトンボになっている。いっこうに先を続ける気配がない。なにか圧力がかかったのか、もっといい話を持ち込まれたのかもしれない。そこでオイラが続きを代作してみよう。

あれは小池百合子が睡眠導入剤とアルコールを混ぜたのを竹下派に飲まされたんだね。魚心あれば水心、彼女も合点承知の介だ。安倍首相がすっころぶと嗅覚を働かせたのだろう。彼女もソロソロ次のパトロンを物色していたのだ。守屋次官に関する怪情報は野中か石場あたりから吹き込まれたのだろう。

彼女も年でヤキが回っているのか、登君の郎党が匙加減を間違えたのだろう。大体、彼女のテクニックは陰で爺さんをこっそり揉み揉みするのが得意なのだ。今回のように表舞台で派手に見栄を切る者ではないのだ。

防衛省は利権の宝庫であるという点では厚生省と双璧をなすものである。ながらく竹下派がその利権を抑えてきたのであるが、小泉首相の時代に、他の省庁の利権と同様に駆逐されてしまった。守屋前次官は小泉政権で異例の長期にわたり次官を努めさせられたわけで、その心は防衛利権からの竹下派の徹底的排除である。

防衛利権の一大宝庫である沖縄問題も竹下派の思うようにはさせなかった。小池は沖縄担当もしていたんだろう。現地の政治屋とも親密なことが報道されているが、防衛利権の再奪取を狙う竹下派と小池百合子の接点はその辺にある。

守屋次官は小泉首相の付託にこたえたわけではあるが、その過程で個人的余禄をポッポに入れてしまったわけである。山田洋行とかいう会社は竹下派排除のデバイスとして重要な役割を果たしていたのかもしれない。いずれにしても、諸君、新聞紙面がにぎやかになって退屈しなくていいではないか。

小泉首相の最終的監督責任もあろうが、石場、久間などの竹下派の防衛大臣の監督責任は重大である。もっとも、利権の争奪で石場と守屋はきわめて険悪ななかであったという。実態は奇麗事ではないのだ。


小池百合子君と守屋武昌君(1)

2007-10-20 11:20:56 | 社会・経済

モリヤという名前もどう書いたものかトント忘却しておったわけである。あらためて調べたら標記の如くであるような。

当ブログでは初代防衛省事務次官の守屋君を日本相撲協会の理事長に推薦したのであるが、ここ二三日、山田洋行との癒着がマスコミをにぎわしておる。ま、北の湖よりはマシで目端が利くだろうと思ったわけだ。

次官時代に老嬢小池百合子君と仁義なき、あられもなきバトルを繰り広げてしばらく紙面を飾ったものであった。

昨日のテレビだったか、小池百合子君がテレビのインタビューを受けていた。「今度の疑惑もさきに次官の更迭を考えていたときの理由ですか」と聞かれて「それも含めてもろもろのことを考えて」てな答えであったな。ようするに肯定しているわけだ。

今回はこれについて考えてみよう。小池百合子はこのことを知っておったのか。それをどういうふうにしっていたのか。つまり、ゴシップとして知っていたのか。噂として知っていたのか。永田町を駆け巡る怪文書が元ネタか。それとも、マスコミ、検察に先行して事実と把握していたのか。

ゴシップとして、噂として知っていたのか。ありうる。なぜなら大部前からうわさとしては流れていたからである。もしうわさを盾に次官を追放しようとしたなら、許されることではないし、いまごろマスコミで表面化したからといって、自分の先見の明を誇るようなことを言うのは人間としてクズである。

それでは事実を大臣として把握していたのか。それなら大したものだ。しかし、こそこそ追い落としに使うのではなくて正面から言うべきだろう。私用の携帯に深夜ワン切りでかけて連絡が付かなかったのどうのとコソコソするべき問題ではない。大臣の資格はない。ようするにどっちであったとしても小池百合子は政治家として失格であったということである。

当ブログは小池百合子が政界怪情報をネタに守屋もと次官の追い落としをはかったと断定するものであるが、次回はその闇情報ネットワークを考えてみよう。


テレビがすべきこと

2007-10-18 08:32:31 | 社会・経済

テレビ各局は真っ先にすべきことは亀田の試合を一切報道しないと決意表明をすることだ。そして民放連盟はTBSの態度を糾弾することである。これが出来て初めてテレビ業界には自浄能力があったということになる。

このごろはテレビを見る気がしない。亀田だらけだ。昨日からは亀田親子の「謝罪会見」関係ばかりだ。分かりきったことをクダクダ飯の種にする。ああいう人間と運悪く現実生活で遭遇したらどうする。本当に謝罪をする人間などとは思うまい。謝罪しろ、などという気にもならない。ひたすら遠ざけるだけだろう。それが世間の健全な知恵というものだ。

おまけにウソでもうわべを取り繕えば馬鹿ならうっかりするかもしれないが、テレビ各社がここぞとばかり非難しているように、昨日の会見はおよそ謝罪とは思えない内容だ。下を向きっぱなしで肩を落としてションボリ見せているところだけはTBSの三流プロデューサーの振り付けに従ったのだろうが。しかも子供じゃあるまいし金平会長が同席してしゃべりはそちらにまかせっきりだ。

会見の前にはお抱えの手なずけたマスコミを使って、ダイキだかなんとかいうのが、一晩中泣いていたとか、台所をうろうろして包丁を見ていたとか、お涙頂戴の田舎芝居で風向きを変えようと見え見えの作戦だ。これもTBSの悪徳プロデューサーの入知恵だろうが、近頃はネズミでもこんな罠にはかからないぜ。むかつかせるだけだ。

場末の工場の廃屋で深夜賭けボクシングを興行するのはかまわない。田舎のサーカス小屋でインチキ興行をするのはいいだろう。よくはないが、こちらは関知しない。しかし、公共の電波を使うことは絶対に容認出来ない。こんどやったら総務省は直ちに放送免許を取り上げよ。

日本ボクシング・コミッションだっけ、今度の騒動で何人かがマスコミにも出てきたが、ひどいものだ。まともに話が出来るのがいない。今後、JBCのボクシング試合は全部公共の電波からしめだすのが手っ取り早いのかもしれない。


度重なる反則でTBSの放送免許剥奪

2007-10-15 09:19:06 | 社会・経済

亀田親子のボクシング試合だが、有料のケーブルテレビで流すなら俺には関係ない。ただし、本番AVビデオと同じでモザイクは入れたほうがいい。

ボクシング・コミッションが亀田親子にどんな罰則を下そうと、下すまいとほっておく。オレもそれほど暇ではない。ああいう興行もあるんだな、てなもんだ。

興行だからあの程度はヤラセルと放送局が許可、判断してもかまわんだろう。オレはTBSがあの反則や一連のショーアップのための汚らしい言動を振付けてきた大本だと思っている。あれは二流のテレビ・ディレクターが大根タレントのために、ひりだしそうなセリフだよ。それを国民の財産である希少な電波資源を使って金儲け、視聴率稼ぎのために、テレビ局が電波にのせたことが大問題なのである。

今日ボクシングコミッションの処罰が決まるそうだが、それより先に総務省はTBSの放送免許を剥奪すべきだ。ボクシング・コミッションが今日の午後処分を決めるなら、総務省は午前中にTBSの免許を取り上げるべきである。

今朝のみのもんたの番組を見ても、TBSにはまったく反省の色がない。