サムライジャパンとしてワールドカップ・ポーランド戦の最後の十五分間の戦い方を評価する。
観客の感興をそぐものであったのは間違いない。しかし、興業としてみるならば、勧進元すなわちスポンサーであるキリンビールにとっては三試合で終わるのより四試合か場合によってはそれ以上の可能性があるのは無条件に歓迎である。テレビ局にとっても三試合で終わるのと四試合以上放映できるのでは収益上雲泥の差がある。また日本サッカー協会としても収益という観点からはキリンビールやテレビ局と立場は全く同じである。西野監督の采配は正解である。
また、スポーツマンらしくないとか潔く戦えという意見があるが、それはそれでいい。しかし、サムライ・ジャパンなんだろう。サムライという観点から見るとどう考えても西野監督の戦い方はサムライそのものの行動である。それもサムライがもっとも輝いた戦国時代の武士のありようそのものだ。
最後まで敢闘精神だとか、玉砕というのはサムライの一般的な戦い方ではない。ほかに方法がないなら見境なくぶつかっていくのもいい。しかし、いやしくもサムライなら、特に戦国時代的なサムライなら勝つためにあらゆる可能性を追求しなければならない。ほかに手立てが全くなくなった場合には死を賭して最後まで戦う。あるいは「まな板の鯉」になる。それが武士道である。ポーランド戦の場合、もっとも確率の高い可能性がボール回しなら、それが大正解である。
最後にワールドカップというのはスポーツなのか、という反問がある。関係者は謙虚に反省しなければならない。予測だが今回の日・ポ戦の結果、柔道のように消極的として指導という制度が導入されるかもね。すでにゴールキーパーには遅延行為としてイエローカードを出されることがある。川島は常連じゃなかったかな。そういう印象がある。今後はルール改正でボール回しがイエローカードの対象になる可能性もある。しかし、今のルールにはない。観客はつべこべ言う権利はある。金を払って見に来るお客の発言を制限してはならないが、業界関係者、マスコミにはつべこべ言う資格はない。
チョイ追加:
武士道華やかなりしころとして戦国時代をあげたが、徳川時代はすでに武士道は形骸化して「小笠原流」になっていた。戦う男たちの倫理ではなくて体制擁護の御用思想であった。武士道というと平安末期の源平、鎌倉時代、室町はチョイ休みで戦国時代ということになる。
「葉隠れ」は江戸時代の小笠原流である。「武士道とは死ぬことと見つけたり」とかね、あれは武士道ではない。徳川という体制擁護の御用思想である。戦う武士の倫理コードではない。持ち上げるやつはバカである。