東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

日本的生態系

2008-05-29 12:38:39 | 社会・経済

自治労とキャリア官僚というのは相互の集団利益を担保している。日本的生態系というべきものだ。

自治労に好き勝手に税金泥棒をさせる。たとえば年金の使いまわし、道路財源の娯楽費流用。お互いの給料に手をつけない。批判しない。

その代わりキャリア官僚の天下りや大型収賄には自治労は口を出さない。自治労に基盤を置く民主党がキャリア官僚のリストラに口を出さない理由である。行政改革を双方がつぶしているのである。

医師と厚生省も右に同じだ。健康保険財政の問題、あるいは高齢者医療の問題。そもそも、議論というものは満遍なくしなければならない。問題のパースペクティブを把握し、問題の裾野を一望するためには極論から始めなければならない。

だれも極論が現実政策になるとは思っていない。適切な政策は極論A、B、C、DからZ点をむすぶ範囲の中に存在する。

最初から極論を自主規制するなら問題のパースペクティブは得られない。だから日本人は外国の真似しか出来ない。

極論の一つとして医療報酬のカットがある。いな、これは極論というよりかはきわめて適切な現実的政策に導く可能性がたかい。

もっと、極端な医療保険の廃止も大いに参考になる。これも極論とはいえない。先進国でも医療保険(日本のようなパカ・チョン制度)のない国がある。

健康保険制度をなくせば、パカ医者の淘汰には大変に役立つ。現在の医者の95パーセントをしめる低能医者の所得はフリーターなみの、適切な(彼らには)所得に落ち着くであろう。パカ医者が使いこなせない高い医療器械を買いあさることもなくなる。

ちなみに、新聞でことあるごとに日本の医療水準は世界最高といっているのは、パカ医者が使いこなせないパカ高い医療器械、検査器械を町医者がもっているということを意味する。パカOLがグッチのバッグを持っているようなものである。

健康保険制度の当事者は管理者というか運営者、すなわち政府。それに受給者すなわち国民。そして医者を含む医療労働従事者だ。少子高齢化はこの三者いずれの責任ともいえないから、三方一両損で、全員が負担するのがスジである。

すなわち、受給者は医療費のアップ、医療労働者(医者など)は収入減、そして国はリストラ、制度改正。

それを受給者のみに負担させようとする、こんなことがあるのかね。日本のマスコミ労働従事者は極めつけのパカだから、ジャーナリズムでは、だれもこのことを言わない。健康保険財政の破綻の影響を医師はまったく負担しなくていいなどという理屈が通ったらこの世は終わりだよ。

それを政府、それに黒幕の医療労働者は受給者のジェネレーション・ギャップにすりかえる。世代間戦争に転嫁しようとする。天人ともに許さざる悪行といわなければならない。


島根の注射針使いまわし

2008-05-24 06:57:29 | 社会・経済

島根県の病院で注射針を変えないで使いまわしていたというニュースで大騒ぎだが、こんなのは業界では全国的な行為だぜ。銀座あたりの診療所でもやっていないところはないだろう。

理由は二つある。一つはコストを安くあげて不当利益をあげようというものだ。第二は看護婦が面倒くさがって省エネを決め込むことだ。

注射針を何時拭いたか分からない黒く汚れたテーブルの上にじかに置いて作業するなんてのはあたりまえだ。

人体の汚わい屋である医師に職業モラルを要求するのは無理だ。このごろ国会の馬鹿どもが後期高齢者医療保険について、ピーチクパーチクやっておるが、こんなのは医療報酬を十分の一にすれば解決することだ。

余談だが後期高齢者医療保険というのは語呂がいいね。韻を踏んでいる。官僚文学の佳作といえよう。

医者が極端にマネー・ハングリーなのは、かって「医者は人体の汚わい屋である」シリーズで縷説したとおりである。

汚わい屋というのは三島由紀夫の編集者によれば「糞尿汲み取り人」だそうだ。言葉狩りをおそれた腰抜けの編集者がひねりだした名文句だ。


日本のマスコミは田舎もの

2008-05-21 08:09:37 | 社会・経済

日本マスコミの田舎ものぶりは餃子野郎やキムチ野郎に劣る。今度は医療チームが行ったが、マタゾロ誇らしげに日本の医療チームは世界の最先端技術をもっている、と自慢して期待を持たせる。

緊急援助隊のときも「最先端技術を持っている」から四川省よ、もう安心だ、てな錯覚を日本の読者に与えた。

今度のような莫大もない災難の時には、生かされるかどうかも分からない「最先端技術」ではなくて、本当に必要なのは大規模な腕力仕事だ。医療でも災害救助でもね。それに善行は隠れて積むものではないか。

あんな、言わずもがなの自慢を大々的にして乗り込んで、相手がありがたがるとおもうのか。すでに、報道されるように反発されて消極的な非協力を引き出すだけだ。いくら餃子野郎とはいえ、そのくらいのガッツはあるだろうよ。

大規模な腕力仕事が必要であるという点では相手が受け入れないだろうが、自衛隊を一個師団とまではいわないが、工兵隊を連隊規模で派遣するのが一番効果的だったろうね。

とにかく、こういうときに場違いで不謹慎な「最先端技術を持つ日本チーム」というマスコミの言葉を聞くとシティーボーイのオイラはいたたまれなく、恥ずかしくなる。

チャイナが日本の援助隊を世界に先駆けて認めてくれたことを、ありがたがって強調したり、「最先端技術」を田舎ものまるだしで自慢したり恥ずかしいかぎりだ。

ちなみに言うが、「日本の技術は世界の最先端」という言葉もファクト・レベルでの検証が必要だ。

報道をすべて見ているわけではないが、たしかチャイナ以外の外国援助隊でロシアだけが四日目か五日目に生存者を救出している。偶然かも知れないが、友軍国であるロシアをグッド・ロケーションに案内した可能性がある。

日本とチャイナは戦略的互恵関係だそうだが、実質は仮想敵国なんだろう。ミサイルの照準は日本に向いている。日本のためにお膳立てをするわけがない。


街頭録音は信用ならない

2008-05-16 19:39:46 | 社会・経済

君は街頭録音という言葉を使うか。オイラの記憶もはっきりしないが、ラジオ時代にはたしか街頭録音といった。いまでいう街角インタビューかな。なにか事件や問題が起こると通行人を恣意的にピックアップして意見を聞いて、賛否半々だとか、みんな賛成だとか、反対だとか、さも世論のように紹介するやつだ。

これは最近のはなし。ラジオ時代には放送局の恣意的なバイアスは感じなかったが、マスコミが時代とともに劣化したせいか、最近は本当かいなという印象を持つことが多い。

その一例がパンダのレンタル。NHKをはじめインタビューを受けるおばさんたちはみんな、よかったわー、ばかり。日本国民もこんなに簡単に南京玉すだれの手品、いやいやコキントキの手玉にとられるのかと情けなく思った。

ところが今日の産経新聞に面白いアンケートがある。

読者1万214人に聞いたそうだが、その結果を紹介する。

パンダを貸与は賛成か:イエス 9%、ノー 91 %

高額のレンタル料に納得するか: イエス 3%、ノー 97 %

パンダで喜ばせてギョーザ問題などを隠す意図があると思うか:

イエス 88%、ノー 12 %

まんざら国民もバカじゃなかったわけだ。それにしても最初から福田首相のお先棒を担いでインタビューをでっち上げようとするNHKはひどいね。


オウムを超える反社会的集団現る

2008-05-15 21:11:47 | 社会・経済

グリーンピースというゴロツキ集団がある。今日のテレビニュースで妙なのがあった。NHKだったか、まだ消化不良気味だったが、明日の新聞ジャーナリズムがどうフォローするのか(そもそもフォローしないで無視することもありうるが)。

ニュースというのはこうだ。このゴロツキ集団の宣伝係りみたいのが鯨の肉を振り回しながら言ったとさ、この間調査捕鯨から帰国した乗組員が鯨のいいところの肉を小包で自宅に送ったのをグリーンピースが途中で勝手に開封して事実を確認しましたと誇らしげにいうたげな。

グリーンピースの弁護士のコメントを紹介していたが、悪事を暴いたのだから小包を赤の他人が勝手に途中で横取りして中を開けた行為は法的には許されるというのだ。

狂人の言動だ。オウムに勝る反社会的行為であり、峻厳、過酷、冷酷かつ非情に断罪されてしかるべきだろう。他人の郵便物、信書は当局ですら検閲や開封することは禁じられている。こんなことを看過したら近代社会のコモン・デノミネーターは崩壊する。その罪斬にあたる、いやロープにあたるというべきか。

グリーンピースにしてもシーシェパードにしてもどうしてこうクジラに血道をあげるのか理解不能だ。当局も出来ない信書開封をやりましたと誇らしげにいうなら、大して反撃もしない日本政府を相手にしないで体をはってヤクザやマフィア、それにならず者国家のマネーロンダリングの実情を洗う勇気を示してみよ。

ついでだが、該当する小包があって本当にそれを途中でロケイトできたなら、明らかに内通者がいる。どうして内通者をつくったか。脅迫か、買収か。内通者を作るなど謀略集団そのものだ。政府はグリーンピースやシーシェパードの通信連絡のすべてを検閲の対象とすべきだろう。

検閲の対象になるのは彼らであろう。ウラに彼らを洗脳して操り資金を供給する勢力がいる。捕鯨反対を主張するのは彼らの勝手だが、南極海での海賊行為や今度の信書開封は絶対に許されることではない。とくに今回の信書開封はオウムにまさる反社会的行為であり、破壊活動防止法の対象団体に認定すべきだろう。

総務大臣、法務大臣それから農林水産大臣か、ゴロツキ集団に対して冷酷峻厳な捌きを行うべきだろう。

+ インターネットでかなり書き込みがあるね。いろいろ情報もある。それによると、犯人グリーンピースは宅配便の荷物中継地の倉庫に侵入したそうだ。内通者は宅配便関係者かもしれない。これなら金で簡単に買収できるだろう。

洞爺湖サミットもある。公安はこの団体を徹底した監視下におく必要があろう。


「篤姫」の時代考証

2008-05-05 09:44:06 | 篤姫

NHK日曜ドラマの篤姫はどうも設定が珍妙だ。時代考証には鹿児島大学の原口泉教授が毎週の撮影に立ち会っているとかいう記事をどこかのブログで読んだが、衣装や建物、部屋の内装あたりが時代考証の対象になっているのかね。

せりふはめちゃくちゃだ。江戸時代の武士(といっても一般のことではなくて旗本の家庭のことらしいが)の家の女性は、何々じゃといったものらしい(自分より身分の低いものに対しては)

鹿児島ではどうだったかしらないが、とにかく、じゃ言葉は現代口語ではなく伝承にしたがっているようだが、その一方でほとんどのせりふは現代の若いおねえちゃん言葉だ。どうもベルトの下あたりにあせもが出来そうな違和感がある。どうせなら統一したらーどうじゃ。

篤姫(鹿児島時代)と尚五郎との会話や、付き合い方?も妙だ。民放の時代劇でも男女交際の風俗やせりふは時代劇風だ。現代風の設定ではない。NKKが今回とちくるったように小学生の学芸会風になったのは、なにかに目覚めたのかね。

さて、篤姫は視聴率がいいらしい。彼女の生涯は腹黒い斉彬の政略の道具にされたわけだが、現代のおばさん、お姉ちゃんはむしろ旗を押し立ててNHKに抗議にいかないのかね。理解不能じゃ。

斉彬は陽性一方の裏のない名君ということになっているが、わたしはその説をとらない。別の話になるので機会があったら別途ふれたい。

さて、場面設定がどうであるにせよ、尚五郎と篤姫が鹿児島であのような関係であったと設定すると、後世小松帯刀が徳川慶喜のブレーンのようになり、緊密な関係になったことが理解しやすくなる。いくら乱世の兆しがあったとはいえ、将軍が陪臣のそのまた家老とあのような関係になることはなかなか理解しにくいからね。

慶応三年秋の大政奉還は小松帯刀と坂本竜馬のシナリオだからね。それを慶喜が採用したのはよほど小松を信用していたからだ。実際に折衝したのはもっぱら小松だ。いくらなんでも浪人の坂本竜馬が将軍に合えるわけがない。

そして慶応三年11月の京都小御所会議まえに坂本竜馬は正体不明の暗殺者にやられる。小松は急病で鹿児島を出発できない。徳川慶喜は会議から排除される。一貫した作為なしには考えられない。そして明治新体制の枠組みができた。


サイパン・グアム陥落、東条英機再説

2008-05-03 17:26:15 | 社会・経済

昭和19年7月、サイパン、グアムの日本軍が玉砕すると、日本の敗戦は決定的となった。なぜなら米軍がサイパン、グアム、テニアン諸島に建設する長大な滑走路を持った基地から米軍の長距離爆撃機B29が日本本土まで無着陸で往復し、大規模な空襲を行うことが出来るようになるからである。

当然、東条の戦争指導の責任論が出て、辞任を要求する声が高まった。この期に及んでも東条は辞任に抵抗したので暗殺計画まで持ち上がった。作家の里見とんや華族の子弟グループが東条英機の暗殺を計画したのもこのときである。

いろいろ手練手管を使って居座りを図った東条もついに辞任に追い込まれた。この時点で自裁していれば、まだ名誉が保てたかもしれない。彼は国民に中世的な軍律を求めた張本人として自分の行動に整合性が保てた。しかし、かれはその後の政権にも小姑のようなちょっかいを出して、いたずらに生をぬすでいたのである。

天皇陛下は大元帥と呼ばれた(らしい)。大元帥とはなにか。戦争の指揮を執らせた将軍がその責を果たせない場合には、大元帥は臣下の将軍を問答無用で切り捨てるものと考えられている。これが古代チャイナ流の大元帥である。

無慮千数百年に及ぶ宮廷のみやびな伝統は、明治維新で天皇親政、王政復古を叫び、天皇を大元帥に擬したものの、それが機能することを妨げたようである。

統帥権を干犯したのは大正デモクラシーに汚染され共産主義思想にかぶれた青年将校であり、それを利用した波乗り上手の高級軍事官僚であったのだ。天皇は統帥権を一度も掌握していなかったと断言できる。

最後にもう一度断っておくが、以上はすべて日本国民に対する罪を論じている。外国がとやかく言うことは峻拒すべきである。講和条約、平和条約ですべてカタがついている。その上にアメリカは日本を徹底的に破壊することにより報復を過剰に果たしている。チャイナはアメリカや連合軍に日本の徹底的破壊を慫慂しており、日本の無残な敗戦に歓喜の声をあげ、その願望を満たしてもらっている。この上、なにをいうのか。

忠臣蔵では吉良上野介を討ち果たしたことで本懐をはたしているのだ。赤穂浪士がいつまでも執念深く吉良上野介ゆかりの人物をつけまわしているかね。総会屋みたいにいつまでも因縁をつけるな。


西南戦争に学べ、東条英機再説

2008-05-02 22:00:31 | 社会・経済

東条英機が愚将であったことは衆目の一致するところである。代表的なものとして兵站の無視をあげよう。日本軍の戦死者の相当部分は餓死であったといわれる。敵の銃弾に斃れるよりも味方の糧秣不足にやられたのである。

前回は南北戦争がアメリカのアジア侵略の速度を遅くしたことを述べた。今回は西南戦争が日本のアジア進出に貢献したことを述べよう。

明治10年に半年間にわたって九州各地で行われた日本最後の内戦がもつ意義は大きい。よく言われることは町人や農民から徴兵した兵士が昔からの武士階級を中心とする薩摩軍を打ち破って近代兵制への転換が成功したことである。

そのほかにも使用する近代兵器の評価を定める実験場となりその経験が日清、日露の戦争に役立ったことである。

これ等に比べると語られることがないことで、西南戦争の最大の貢献(その後の日本軍にたいする)は兵站およびそれをサポートする通信、輸送システムを学んだことであろうとわたしは考える。

西南戦争は東京から千キロ以上はなれたところが戦場である。半年間のあいだ戦闘を支えた兵站の経験は、その後の日清、日露の戦役の勝利に直結している。日清事変の戦場は日本から千キロか千五百キロの距離、日露戦争の戦場もせいぜい二千キロだろう。しかもその大部分は当時では大量輸送、高速輸送に一番適した海上輸送である。

日露戦争では最後には兵站が切れ掛かったが、とにかくロシアを追い詰めて講和条約に持ち込むまで戦線を持ちこたえた。西南戦争の経験なくして両戦役の勝利はなかったであろう。それも主として兵站に関して。兵站に必然的にともなうものとして大規模な無線電信通信網も西南戦争中に完成した。

日露戦争後、日本軍のなかでは兵站に関する重要性の認識は失われたようだ。現代戦では日露戦争とは比較にならない規模で戦争がおこなわれる。兵站の重要性は飛躍的にましているにもかかわらずである。

現代戦争は総力戦である、とは日本の軍部も声高にとなえたが、総力戦の意味を理解していない。日本の職業軍人、革新官僚(その代表は岸信介)のいう総力戦とは戦争に関する国民の議論を封殺するという意味であった。ちょうど、現代のチャイナに似ている。

また、国内(満州、朝鮮を含む)の産業生産能力を最高度に高めても兵站、輸送力(それを維持する防衛力と通信)が欠如していればまったく意味がない。

日本の軍部にもたとえばニューギニア戦線やインパール作戦では兵站の問題から東条のやり方を批判するものがあったが、東条はことごとく反対意見をしりぞけ、彼らを最前線にとばすか予備役にまわした。

その日本国民に対する大罪は斬に値する。明治維新以来80年の大業を烏有に帰せしめた罪をどうわびるのか。


総務出身の社長、東条英機再説

2008-05-02 09:07:40 | 社会・経済

東条英機の兵科は憲兵である。会社でいえば総務、人事、労務出身者が社長になった会社だ。こういう人事は激動の時代には向かない。めまぐるしく変転する外部の状況に適切に対応することを求めるのはたいていの場合無理である。こういう会社は没落する。

もともと軍事官僚が首相になるという慣例自体が外交で外国に手玉にとられるもとになる。一説には天皇は軍隊のクーデターを一番恐れていて東条なら軍隊を抑えられるだろうと考えて、元老の建言に同意したといわれる。二二六事件を経験した天皇としてはクーデターは深刻な脅威であったろう。

前の首相の近衛文麿も同じ考えで、陸軍は共産主義者の巣窟ではないかと心配していたといわれる。あの当時の外国からの強硬な手練手管を使った外圧に綱渡りで対処しなければならない未曾有の国難に直面した時期に、憲兵を使って自分の部下や国民を圧迫する知識しかない軍人を国政のトップにすえる、結果は分かっていたようなものだ。

謀略も軍人のたしなみではある。謀略とは外交の重要な一部を構成するが東条はこの面でもお話にならなかったようだ。

その彼が戦争指導も憲兵感覚で独裁しようとする。反対意見を具申する将軍は前線にとばす。批判的な意見をいうマスコミの記者は高齢であっても懲罰的な招集をおこない、前線にとばす。自分の戦争指導に意見を述べる高級官僚は本省の局長であっても一兵卒として最前線に送る。右翼の論客も容赦なく憲兵を使って検挙する。中野正剛事件というのがあった。右翼はほとんど反東条になった。

あと述べるべきことは東条の日本国民に対する罪である。幼稚な戦争指導の責任であり、サイパン陥落後の身の処しかたである。外国に対する責任は問うことではない。