東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

石原慎太郎の「都議会のドン内田茂」の使い方は「天才」的だったか ?

2016-08-19 02:48:29 | マスコミは死んだ

週刊文春がまた期待を持たせる連載*をはじめた。いわく、「小池百合子が切り込む 都議会のドン 内田茂 疑惑の核心」

石原慎太郎は吉田茂が札束を「天才」的に使った様に内田なにがしを使ったか、が次回のテーマかもしれない。

*  記事は連載をうたっていないが、当然一回で収まる問題ではない。

内田なにがしの徒党と都知事の関係は一言で言えば「お互いに相手のシマには干渉しない」というヤクザの仁義のような物である。内田が築きあげようとしたモデルである。この仁義を守りながら実質どれだけシノギをあげたかが都知事の実績となる。

都知事は内田たちの利権には目をつぶる。そのかぎりで内田は都知事の構想やアイデアはバックアップする、あるいは反対しない。簡単に言えばそういうことだ。

内田が力を確立した時機と石原都政はだぶる。石原都政の前半は知事の方が実をとったように見える。後半は内田がまさっていただろう。週刊文春が取材する一つのラインとなる。

一つは石原の高齢化だろうし、都民銀行の蹉跌がバランスを大きく傾けたのだろう。石原氏はこの処理で相当内田に世話になっていると思われる。

このような観点から猪瀬、舛添両知事と都議会の関係も取材検証の対象になるだろう。毎週400円の出費はいたいけどね、楽しみにしていますよ。

 


生後一ヶ月で死んだインターネット・マスコミ

2016-08-10 07:21:01 | マスコミは死んだ

 前回死んだマスコミの一例を示した。これは還暦を過ぎたテレビ・マスコミのことであったが、まあまあ寿命だろう。合掌。鳥越なんてのは典型的なゾンビだろう。ジャーナリストと自称すればなんでも通ると思うなよ。昔は覗き屋といって軽蔑されたものだ。

今日は昨日生まれたインターネット・マスコミである。インターネット・ジャーナリズムという言葉があるかどうかしらないが、ヤフーなどのポータル・サイトに出ているニュースのことである。ニュースのテイをなしていない。ヘッディングのセンスがない。ほんの短くしか一項目が表示されない。短ければ最初の一、二行で内容を感じさせなければならない。それがジャーナリストの腕である。

インチキ広告を書くコピーライターみたいな真似をするな。大体スペースは余っている。広告ばかりのせるな。わざと気を持たせるために次をクリックさせるようなテクニックのつもりなら邪道である。そしてクリックすると次に示される頁が表示されるまでのスピードが猛烈に遅くなる。ひどい時には以下は有料サイトになると表示がでる。こういうことは最初の頁で案内するものだ。不動産屋の詐欺広告じゃないんだよ。 

そして致命的な欠陥は最初の頁にクレジットが入らないことである。インターネット・ニュースを流すところは新入で信用出来ないところが多い。そう言うところははじく(見ない)ことにしているが、ニュースソース(媒体名)が最初の頁にない。これは見出し編集のジャーナリストとしては非倫理性の極みと言わなければならない。