東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

友達のことを悪く言うヤツとは友達になれない

2015-04-29 20:22:09 | 東アジアの悪友
友達のことを悪く言う人間とは友人になれません、と普通はいうものである。オバマ大統領も聞こえるか聞こえないか小さな声で習近平に言ったことはあるらしい。しかし、彼の思想なのか、取り巻きのたちの悪い女性主義者たちに引き摺られたのか、相手に分からせる努力はしなかったようである。

訪米中の安倍首相、今までの所よくやっているようだ。アメリカも「友人の日本のことを悪く言う国とは友達になれぬ」とかなりはっきりと表明したようだ。共同記者会見はそのようにとれる。

安倍チームの成果であろう。また外交的とくに欧州との関係で手詰まりのオバマ政権としては最後の望みは日本しかなくなったのかも知れない。

ある評論家が、「アメリカ人の友人から、安倍はなぜアメリカにくるのだ。オバマはレームダックで彼と話しても意味がない」と言われたと書いていたが、そしてこれがそのH氏の意見でもあるようだが、大きな間違いであろう。

レームダックだからこそ、あそこまで押し込めたのである。その辺を読むのが政治的力量のある証拠ではないか。

麻生発言のどこが問題なのか

2015-04-24 06:41:08 | 東アジアの悪友
麻生大臣の発言がニュースになっているらしい。記者会見で中国人の記者が「AIIBへ参加しないのを野党が批判している」と言ったら、麻生氏が笑って「日本では野党はなんでも言える。パクられることもない」と答えたそうだ。

これをチャイナが問題にしているというのだが、どこが問題なのかな。笑ったことが馬鹿にされた様に感じたのかな。それとも発言の調子なのか、麻生さんはいつもあんな調子だよね。あるいは内容が悪いというのか。

自分たちのことを棚に上げて見当外れな因縁をつけてくる種族性があらわれている。靖国参拝を口汚く罵る連中がこんなことで問題を意図的に大きくしようとしていることに驚く。

国家のために命を捧げた兵士を祀るのは最高に厳粛な行為だ、どこの国にとっても。それをあしざまに世界中に口汚い聞くに絶えないことばで罵る。絶対に許されることではない。

韓国のほうが、物が小さいだけにもっと悪質ではあるが、中韓との関係を改善するとか首脳会談をするとか言っているが、日本はこれまでの侮辱をまず謝罪させなければ、一歩も先に進んではならない。未来の少国民は政府の対応をみている。

英霊に対する侮辱を購わせるには相応の厳しい対応が必要である。半島流に言えば「何回でも何千回でも謝罪させるのは当然である」。中韓種族の習慣から言えば「重い懲罰的な経済的制裁」も課す必要がある。

日本の子供達が大人になってから自国に誇りを持てるような人間に育つ様に、日本の政治家は厳しい行動で国家の尊厳を示さなければならない。

安倍首相バンドン会議に出席

2015-04-22 06:32:25 | 東アジアの悪友
まだ、バンドン会議なんてあるんだね。安倍首相が出席のためにインドネシアに到着したそうだ。

そのころ、60年前にもうなるそうだが、チャイナは周恩来あたりが出て来ていたんじゃないかな。しきりに一枚看板のように言っていたのが「覇権主義反対」だった。これでアジアやアフリカの新興国に取り入ろうとしていた。彼ら自身が最貧国だったわけだからね。

第三世界だとか、覇権主義反対がチャイナの一枚看板だった。笑っちゃうね。国が成長するとそんなことは忘れた様に傍若無人に南シナ海や東シナ海で振る舞っている。

その後、締結された日中平和条約でも大きな柱は「覇権主義反対」である。奴らはそのことを覚えているのかな。歴史を正しく認識して後世に伝えているのかな。

武力を持てば使いたくなる、覇道にはしり、他国を侵略する意図を隠そうともしない。中国には歴史を直視する姿勢が100パーセント欠如している。

60年前に自分たちが主張したことを、都合が悪くなったら平然と知らんふりをする国民にすでに決着済みのそれよりはるか昔のことで因縁をつけられる筋合いはまったくない。

マスコミは毎日、日中平和条約の反覇権条項を大書報道すべきであろう。

芸人A・K死亡番組の異常

2015-04-20 09:00:55 | テレビ
総務大臣は職務怠慢につき即刻その職を免じられるべきである。

芸人A・Kの死亡報道は常軌を逸している。一週間に10分以上の報道を行ったテレビ局は即刻放送免許を取り消すべきである。注:一週間にだよ、一日にではない。社会の公器をなんと心得ているのか。自分たちの仲間(ワイドショーや芸能記者)の死亡を公器を使ってヨイショする。おまつりに仕立てる。厳罰をもって望むべきである。

お笑い系の芸人は勿論社会に存在意義はある。お笑い系はお笑い系らしく立場をわきまえた扱いをすべきであろう。それでこそ、その芸は珍重されるのである。

なにも、最近のAKの話ばかりではない。この種のゆがみが再三観られるので一筆書いたわけである。

刀は使うもの

2015-04-17 08:23:52 | 明治維新は誤りだったか
承前:明治の元勲たちは明治日本の軍制を作った。西欧を真似た。第一は徴兵制度の導入である。国民皆兵制度である。明治10年の西南戦争は薩摩武士団と農民軍隊(勿論指揮官は元武士や武士の子弟だが)との戦いで、その勝利は明治政府の最初の軍制上の成果である。

第二は職業軍人養成、軍事官僚制度の確立整備である。明治の軍制は山県有朋らが作ったのだが、第二弾が陸軍士官学校であり、陸軍大学である。たしか1874年だったと思う。私事だが私のひいじいさんが初期の卒業生で、卒業すると義和団事変(北清事変)鎮圧で北京に派遣されている。

やがて陸軍大学が設立される。ここを卒業しないと将来、将官になれない。またまた私事で申し訳ないが私のひいじいさんは長州出身だが、陸軍大学の入学試験に三度も失敗して将軍の夢を断たれ50歳前に大佐で退役した。

彼ら、すなわち陸軍大学卒業生の中から将軍が出始めるのが大正になってからではないか。陸軍大学というのはいわば鉈を研ぐようなところである。しかし、刃物と気違いは使いようという。山県たち元老が元気な間は彼らがチンピラ陸軍大学卒業生を自由自在に操れた。その成果が日清事変であり、日露戦争である。もっともそのころ将軍達は旧武士やそのせがれ達で陸大卒業生は下級中級幹部だったのだろうが。

山県らの手落ちは鉈を操る制度を作らなかったことである。これは意図的なことと思料される。下手に作るとそいつらに軒先を貸して母屋を乗っ取られることを怖れたのだろう。これは俗にいう「文民統制」の欠如ということである。

元老達が達者なうちは良い。元老達が次々と死んで行く。最後の元老山県は大正末年死亡した。いっぽう鉈たちは大正時代後半から続々と将軍になり、軍事の中枢を占める。軍事技術、作戦を操るのはうまい。しかし、彼らにそれ以上の視野はない。元老は彼らをコントロールする「制度」を作らなかった。あるのは悪名高い「統帥権」(天皇の)である。実質上軍事官僚を使役するものは一人もいない。そういう状況が昭和初期に一般的になったのである。

つまりナタが無知能自動操縦をはじめたのである。誰も止めるものがいない。おそろしいことだ。

もう一つ言わなければ成らないのはアメリカが本気で日本をつぶしにきたことである。これに日本は外交的に有効に対処できなかった。そして軍事力を政治的に制御する装置がまったくなかったのである。あとはアメリカさんの手のひらで踊らされて昭和20年になったわけだ。

もう一つ言っておくが、試験制度による官僚制度だから薩摩長州の陸軍海軍に対する支配力はどんどん弱くなった。それに死亡という元老達の退場である。この意味で、「明治維新という誤り」の著者の見解は間違っている。

昭和軍閥はむしろ戊辰戦争で「賊軍」だった幕府親藩出身の陸大卒業生が多い。東条英機は盛岡藩だし、満州事変の絵図を描いた石原カンジは会津藩あたりではなかったか。また二二六事件を主導した将校達はほとんどが東北あるいは北陸出身者ではなかったか。二二六の精神的指導者と言われた北一輝は佐渡の出身であり、これも薩長のためにわりを食った地方である。

昭和以降の将官の出身地の統計をとってみるといい。陸軍大学という制度は薩摩長州の勢力を削いでいた筈である。むしろ戊辰の恨みをエネルギーにしている連中の方が多い。薩長派閥政治打破というのは、あるいは元老政治打破というかけ声は「戊辰戦争の恨み」をはらすということにすぎなかった。


明治維新は誤りだったか

2015-04-16 20:58:37 | 明治維新は誤りだったか
新聞の広告でびっくりして本を買うこともあるのだ。「明治維新という過ち、日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト」原田伊織著 毎日ワンズ出版

というのだが、新聞の広告には司馬遼太郎批判とか坂本龍馬が虚像であるとかいうコピーがあったようだ(記憶である、新聞はもう手元にないので)

司馬遼太郎もいいのだが(おもしろのだが)、あれだけ国民の間に瀰漫すると、つまり国民的作家になると眉唾したくなる性分なので、どういうことだと興味をもったわけである。

なにしろ霞ヶ関の官僚がみんな愛読書の第一に司馬遼太郎をあげるというのだから、相当に病根は深い。小説として面白いとか痛快な男に描かれているということと、史実とは別物である。これが通用しなくなっている。

読んでみると、読みにくい所も有る。プロの書き手と言う訳ではないらしい。しかし、多いにのっているところもあるわけだ。

ま、明治維新がそこいらのあんちゃんが吉田松陰に誑かされて(感化されて)革命の手榴弾になったのは事実だし、革命とか維新とか言う「神経症的おまつり」には無頼漢や犯罪素質者が活躍の舞台が与えられるのは昔から洋の東西を問わない。

著者の際立った意見というのは、そういう無頼漢、テロリスト、狂人がつくった明治日本は明治大正昭和平成と直線的に下降しているというのだが、これは同意出来ない。

革命時の策士(西郷隆盛のような)は無頼漢、テロリストをうまく利用するわけだが、彼らがそっくり明治政府を作った訳でもない。また、あんちゃんレベルでスタートした連中も学習して進歩するのもなかにはいる。

そうでなければ、弱小後進国の日本が極短期間に世界があっと驚く五大列強になれたわけもない。

私は司馬遼太郎の言う様に明治と昭和では様変わりしたと観る。大正はいってみれば移行期だ。明治がアップトレンド、昭和前期がダウントレンドである。明治は元老達が作った。昭和は元老が作った「制度」が崩壊させた。その「制度」とはなにか。司馬遼太郎も分からなかったらしい,その原因を紹介したい。

陸軍士官学校、陸軍大学校(および海軍兵学校と海軍大学)である。すなわち上級軍事官僚養成制度である。皮肉なものである。つづく

粛々と

2015-04-10 17:32:23 | 政治(内政、外交、軍事)
週末の筆ならしに、大したことじゃないが、政治家が使う「粛々と」について。
本人達は格好いいと思って使っているらしいが、いかにも身に付かない、耳障りな言葉だ。この言葉を政治家が初めて使うのを聞いたのは前世紀末かな、聞いた時にはセンスの無い言葉を使う無教養ものだ、と思った。昔の政治家は平均的政治家でも今の政治家よりも漢学、漢字の素養ははるかにあったが、こんな珍妙な言葉は使わなかった。

実をいうとオイラは読んだことも無かった。しかしいかにもセンスの無い言葉だ。ミーハーが使う言葉だよ。確かに辞書にはあるがね。某が言っている様に「上から目線」だから駄目だというのも異様な言いがかりと感じたが。それ以前の問題だよ。

言葉は身の丈に有った物を使うものだ。そう思ったのは初めて聞いた当時なんだが、その後格好いいと思う連中が増えたのか、頻りに耳にするようになった。そうしたら不思議なものであまり気にならなくなった。

ま、語彙が乏しい連中だからしょうがないが、あまり使わない方がいいだろう。
私の書き方のほうが、よほど「上から目線」だって、あいすみません。


追加:インターネットで検索したら政治家がなぜ粛々とをやたらとつかうか、というのがあった。上の記事で前世紀末に出現して非常に違和感を感じたとかいたが、このヤフーの記事によると竹下登が4回使ったのが初めらしい。思い出したよ。大体そのころとは分かっていたのだが。およそ、政治家の中でも教養と正反対無関係な竹下が「粛々と」やった物だからその異様さが印象に残ったのだろう。意外だったのは民主党の菅直人が一番多くて14回も「粛々と」を発声したそうだ。

この男もミスマッチの最たるものだ。やっぱり狂った人間は症状に出るんだな。政治家が「粛々と」を使うのは賎婦が「ざあます」言葉を使うような物だ。精神病院に行ったような気になる。


大阪新撰組 橋下徹組長の切腹申し渡しに一票

2015-04-05 10:52:04 | 橋下徹
政治改革なんて呼びかけると、世間の滓があぶくの様に浮かび上がってくる。したがって、改革を主唱するものは時々灰汁を掬い取らねばならない。幕末新撰組のもとに集まった連中にもかなりこういうたちの悪いのがいた。近藤勇や土方才蔵はこういう連中には容赦なく切腹を命じた。

一説には新撰組が斬り殺した反幕府の浪人達よりも新撰組内で切腹させられた人間の方が多かったという。上西エリカ某を除名したのは適切機敏な処置であった。

もういつになるか忘れたが、小沢一郎が自民党を出て、「改革、改革」なんて訳の分からないことを騒いだ時にも、集まった連中の半分以上は此れを自分の儲け、立身出世の絶好の機会として群がった者達が多い。

わたしも全く知らない男から「同窓のよしみで」なんてDMが来たことが有る。たちの悪い不動産屋だった。こういう連中には改革なんて儲けの機会と狙うほかに目的は無い。

維新の会も大分苦労したらしい。まだまだおかしいのはいるだろうが、今回の措置で多少は粛然と襟をただすかもしれない。

その後の民主党なんてこのような連中の集まりだろう。まだ維新の会のほうがまともである。