直木の南国太平記が新聞の連載だったことは大きい。昔は学生が小説を読むと軟弱だと言われて、学校で見つかれば今で言ういじめ、制裁を受けた。家庭で小説を読んでいるところを見つかれば親にこっぴどく叱られたものである。一般の学校でもそうであるから軍関係の学校でエログロ小説を読んでいるところを見つかったら大変なことになる。
新聞の連載小説なら新聞記事を読むついでに毎日読んでもチェックが周囲から入らない。一日分の分量もわずかだからすぐに読み終えてしまう。タリバンや北朝鮮ではないから、新聞を読むぶんには文句をいわれない。
陸軍士官学校や幼年学校の生徒が寄宿舎から親の家に週末に帰って新聞小説を一週間分読むわけだ。部隊勤務の若い士官だって新聞は毎日読む。どうも困ったもんだ。
この小説の読者に与える影響はいかん。皇室に対する尊崇、敬愛の念を心の奥底から揺るがすものだ。とくに若い読者の無意識領域を侵食することははなはだしいものがある。
そこに大正デモクラシーだ。昭和初期の退廃的な風潮だ。モボ(モダンボーイ)、モガ(モダンガール)、エログロ・ナンセンスだ。銀座の肉弾カフェである。若い士官が影響されないほうがどうかしている。
それに昔から日本の野心家の習性である、玉(ギョク)を握る、錦の御旗をおったてる、つまりミカドの権威を大衆操縦に利用するということがある。この二つが合体するのは自然の勢いである。
ここで年表を披露しよう。
南国太平記の連載が昭和5年6月から昭和6年10月まで
満州事変勃発が昭和6年9月18日
二二六事件発生が昭和11年2月26日
一連の軍クーデターの後始末ということで皇軍派の粛清を通して統制派といわれる東条英機らがクーデターの実質的果実を享受する(軍部支配の完成)。
二二六事件で銃殺刑を宣告されたある大尉だったか中尉だったかが、次のような趣旨のことを言った。われわれのいうことが天皇には分からないのか、天皇の発言はなんだ、天皇をお叱り申し上げる、そういうことなら、昭和天皇に退位してもらって秩父宮(三笠宮ではなかったと思うが)に即位してもらう、と叫んだというが、この将校の言動はまさに天皇を軽んじ、一方では利用しようという気持ちを示している。
南国太平記は戦後もまだ天皇制批判が強かったころ、たしか昭和30年代だったと思うが、どこかの出版社から再版されたようだ。しかし、その後は絶版になったのか、本屋の店頭では見かけない。文芸春秋社も恐れはばかってお倉入りにしているのかもしれない。
もっとも、直木三十五の小説そのものがほかの小説でも最近は出版されることがないようだ。たまに見かけて読んでみても(物好きに)、拙劣にして砂をかむように興味索漠としたものだ。これで直木賞を廃止せよという意味がわかったかな。
もっとも、これでオマンマを食っている物書きは困るだろうがね。