東方のあけぼの

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三笠宮さまの古代オリエント志向

2016-10-28 21:21:55 | 三笠宮

薨去された三笠宮さまの古代オリエント志向について何故だろうと思うことがあったが深くは考えなかった。今度の報道で「主として宗教社会学の観点から」とご自身が話されている映像を見たが、なぜ古代オリエント史という「特殊な」分野なのかという疑問に「ひょっとしたら」という仮説が浮かんだ。

古代オリエントというとシュメールとかアッシリアのことかな、と素人考えをしてしまうのだが、ウィキペディアで調べるとご専門はアナトリアだという。そうすると以下の推測はあまり根拠がなくなるが、一応面白いので書いてみる。

世の中には、少数派だが、シュメールと古代日本の関係を信じている人がいる。似た言葉が多いとかいうのだ。また、時代は少し下りユダヤと日本は同じ祖先だという熱心な「信者」が日本とユダヤにいた。今でもいるらしい。ユダヤは古代オリエント文明時代には辺境の蛮族、パーリアであったわけであるが、文明的な影響は受けていたに違いない。 

ユダヤ教の神殿(現在或は中世以来のシナゴーグとは全く異なる。古代ユダヤの時代の神殿で現在では彼らの教典の中だけに残っている)と日本の神社の形や儀式との間には偶然とは言えない酷似があると主張する。シュメールとの関係を主張する場合とは違い、言葉だけではなく、ほかにも様々な類似を並べ立てるのである。昔結構面白がって読んだものである。

ところで皇室は年間おびただしい数の儀式を執り行う。すべて秘儀である。外部には伝えられたことがない。しかし天皇でなくても皇族はそれらを漠然とでも推測出来る立場にあるだろう。ひとつ、古代オリエントの宗教儀式と皇室の秘儀の比較をしようと思いつかれても不思議ではない。 

勿論「関連が見られる」とは発表出来ないし、しておられないだろう。しかし、そう言うヒントが身近にあればオリエント史(宗教学的な観点から)の研究者としては成果をあげられる。

色々調べてみると、この仮説は難ししそうではある。