東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

いじめ(5)

2006-11-21 20:50:52 | 社会・経済

前回はちょっと私立学校をほめすぎたようだ。個人的経験によると私立というのは二つに分けられる。一つは進学校というかエリート校というか。他の大多数は小金を持った親達のぐうたら息子、ギングロ娘にセーフティネットを提供するところだ。こういうところは大体甲子園に出たりして野球が強い。

第一分類校ではおそらくいじめのような悪さをするものは放校するだろう。他の親への責任があるからね。親はそういうケアに対して金を払っている。第二分類校ではどうだろうか。マスコミ労働従事者諸君、分類のヒントを上げたわけだから是非取材して報道してくれたまえ。


いじめ(4)

2006-11-21 08:28:54 | 社会・経済

私立ではいじめが少ない、あるいは無いということを時々聞くが本当だろうか。もしそうなら、問題解決の重要な手がかりになる。ところがマスコミはまったく触れないのだね。

昨日のテレビタックルでたけしだったかちらっとそのようなことをいったような気がした。もっとも一晩寝た後だから記憶もあてにならない。文部省のコメントでもこのことは全くふれない。なんでも私立ではいじめをしたほうはすぐに退校処分にするということらしい。公立で退校処分が難しければ体罰しかあるまい。

公立では制約があってそういかない。教師も年金目当てでトラブル回避の安全運転。親ともめそうなことには見て見ぬふりをするとか。総会屋やゆすりみたいな親がいるからね。そうしてみると校長先生もかわいそうだ。手足を縛っておいて警察行動をしろと言うみたいなものだからね。当事者というのは、学校内に限って見ると

いじめる連中

いじめられる子供

その他の生徒

教師ほか学校側

ということになるかね。三番目のその他の生徒というのが今はいるのかね。どうも近頃の生徒は全員がいじめるほうに同調するというのが風潮らしい。これが何回も触れるように家畜的なグループ・ダイナミックスだ。傍観するならまだいい。あるいは健全な集団なら正義感のある力のある生徒がいて牽制したものだ。今はそういうことが全く無いらしい。もとより、教師が目を配っていて直ちにいじめる生徒を叱り飛ばせれば一番いい。もっともいじめも子供ながら陰湿巧妙になっていて、なかなか尻尾をつかませない。嫌な世の中になったものだ。

私立にはいじめがないという話が本当ならマスコミの諸君も君らなりに知恵を絞って調査報道をしてもらいたい。もっともマスコミ労働従事者の諸君はみな公立出身で私立のことはわからないかな。


いじめ(3)

2006-11-20 20:09:13 | 社会・経済

過去と比較する統計がない。おそらくないであろう。だからはっきりと云えないが、こらえ性がない。耐性の無さが最近の児童には甚だしい。いじめで自殺するというのも一種の「切れる」現象だろうが、どうしてこうも簡単に折れてしまうのか。神経がまいってしまうのか。

近頃の子供は幸せだ。それは町で母親に連れられた幼児の笑顔を見ても感じる。たしかに平和だ。経済的にも恵まれている。他の国に較べて一番かわいらしく見える。だから順調にいけばいいが、思いがけない困難にぶつかると呆然としてしまうのだろう。信じられないのだ。「諸国民の善意を」信じていたのが、現実にぶつかって、なす術をしらないのだ。

現在のこどもは多数のフィクションを教え込まれて育つ。本当に必要なことは教えられない。要するにバーチャルな世界に生きている。現実にぶつかり、自分が被害を受ける側になると何がなんだか分からなくなってしまう。彼らの教え込まれてきたフィクションではいじめなどということはありえないことなのだ。だから現実に遭遇すると、自分に責任があると思ってしまう。有りえないことが起こるということは自分に原因があると思ってしまう。

戦後教育を受けてきた大人も同じだ。北方の蛮族に口汚く罵られると泡をくって村山談話やら河野談話を口走る。

これは日本的な現象だ。このネガ(あるいはポシ)が、アメリカの学校で頻発する銃乱射による大量殺人だろう。いじめられた時に相手が悪いと断定するのがアメリカ、自分が悪いと思うのが日本というわけだ。


いじめ(2)

2006-11-19 10:30:21 | 社会・経済

人間から攻撃本当を抹殺することは出来ない。牧場の埒内で家畜の攻撃本能はもっぱら中に向かう。外部の飼育者に歯向かうという発想は家畜飼育マニュアルで神経を抜かれている。端的に云えば外柔内剛である。試みに密集した家畜の群れに強いストレスを与えてみよ。家畜飼育者にはよく知られたことだが、その後には仲間に集団で攻撃され踏み潰された弱い家禽の死骸が転がっている。

家禽小屋のなかのいい子は外の監督者に対してへつらい、仲間をぎびしく統制する。強制収容所でナチスの代理となって仲間のユダヤ人を取り締まる連中と同じである。現在の教育基本法ではそういう子供が優遇される。社会全体もそういう構図になっている。リーダーというのは集団のメンバーを守るものであって、家畜飼育者の品質管理要員ではないのに、である。

こう思い至れば教師、校長、教育委員会がいじめる側を多として、いじめられる側を放置する性向が理解できる。かれらは記者会見で問い詰められると謝罪するが、積極的にいじめを取り締まる意識は毛頭ない。教師達、校長などは無意識レベルでは相変わらずマスコミを馬鹿にしているのである。ここに気がつかなければならない。もっとも悲しいことにマスコミの諸君も家畜飼育マニュアルで教育されてきたんだよね。

世界に平和を、皆兄弟は結構だが、もともと集団というものは外剛内柔が自然である。そのために集団があるようなものではないか。人類全体でもそう、国家単位でもそう、家庭単位でもそうだ。そうでないのを植民地という。おおもとを正さないといじめという現象はなくならないだろう。


いじめ(1)

2006-11-18 08:41:02 | 社会・経済

いじめについて語ろうとすればマスコミの報道に頼るしかない。なぜなら私はいかなる意味でも当事者でないからである。教師でもなければいじめの加害者、被害者の親でもない。

いじめについて実のあることを語ろうとすれば、個別、具体的かつ詳細に語らなければならないだろう。マスコミの報道は量こそ気違いじみた多さで氾濫しているが、具体的な内容はほとんど無い。それに内容は画一的でこれほど情報密度の低い報道もない。

プライバシーの問題があるということだろう。情報がないので想像でしかないが、いじめの原因というかタイプは画一性の問題だと思われる。現在の教育は、60年前に与えられた教育基本法という家畜飼育マニュアルに基づいている。家畜の生産者にとって商品の均質化というのは至上命令である。品質管理だね。

上にも下にも、語弊があるというなら、右にも左にも、前にも後ろにもずれた、はみ出した商品は排除される。人間の場合には身体的なものに加えて性格というか、精神というにはまだすこし年齢が若すぎるかもしれないが、そうそう、心理的なタイプとでもいうかな、そういうものが家畜生産マニュアルで定めた基準値から外れてはいけない。許された偏差値は許容範囲が極めて狭い。

基準値を決める大本は教育基本法だが、日教組のさじ加減というのも影響が大きい。文部省の教育指導要領とかいうのもある。身体的に特徴があったり、背が低かったり、ちょっとユニークな性格の子供というのはいじめの対象となる。付け加えれば家庭の置かれた社会的な環境も影響、逆影響があるのかもしれない。マスコミがまったく報道しないから推測だが。

たちの悪いことに人間には、児童といえども意識というものがある。本来家畜の品質管理は飼育者のすることだが、家畜もちょっとした知能があるものだがら、飼育者を代弁したつもりで毛色の変ったこどもをいじめる。これが加害者の側のメカニズムである。児童にも自意識というものがある。いじめられる側では今度は自己規制をする。これがいじめられる側のメカニズムである。

自殺したこどもの遺書が公開されるが、その内容には燃えるような呪詛、遺恨の言うものがない。わたしが死ねばいいんでしょうとか、お荷物がなくなっていいですね、といった類のものだ。これは自殺するこどもが捨て台詞として皮肉をいっているのではない。ほんとうに思っていることを淡々と表現しているのではないか。


出城の運命

2006-11-14 08:41:35 | 社会・経済

核はリース・パーチェスで、補足:日本はアメリカの出城である。出城というのはあくまで本城を守る戦略的なカードでしかない。出城にまつわる哀れな話は戦国時代には無数にある。今度の休みには歴史小説を読むのもよかろう。


核はリース・パーチェスで

2006-11-14 08:19:59 | 社会・経済

たけしのTVタックル 2:核論議をしないといけない、じゃなかった、してはいけないという狂論にはさすがに賛成するものはいなかったようだ。もっともフクシマ?さんは黙っていたかな。

持ちこませずという原則についてはさすがに直すべきだという意見が大勢だったようだ。しかし、肝心な議論がなされていない。前にも書いたがその場合、核の運用権はどこにあるのかということだ。アメリカの防衛のためなのか、日本の防衛のためなのか。

アメリカのためなら、日本が核の一撃を受けるまではアメリカは動かない可能性がたかい。持ち込む場合、運用権は譲歩しても日米共同指揮とすべきだ。わずかにこの問題に触れたのは志方氏のみだ、きわめて遠慮がちにね。

その場合はリース方式で行くべきだろう。所有権はアメリカにある。使用権は日本にある。それにしても軍事評論家という小川某なるものの意見もひどいものだった。次回はもう少しましな人物に変えるべきだろう。

たけしのTVタックル3:郵政反対派復党問題:大部分が認めるようなのには驚いた。日ごろの言動はおかしいが、この問題に限っては大竹、福島氏の意見が健全というべきだろう。下拙は強硬な郵政改革論者ではないし、まして住友の西川なる商業道徳に問題のある人物をトップに持ってきてから危惧の念を持っている。このことは何度か書いた。

復党させて選挙に有利になればいいがね。確実に有利になるのは岡山の片山おたふく丸虎之助くらいだろう。平沼氏の衆議院の票をそっくりいただこうと言う計算だけだからね。しかし、有利になるだろうかね、全国的に考えて。ここは安倍さんの思案のしどころだ。

小泉首相が小泉チルドレンを相手に使い捨てにされないようにと警告したが、これは一般論でもある。国民のムードを読み誤ると安倍さんも使い捨てになる。それを狙って、自分の身を削る危険を冒して復党運動をしている内外の議員も多いだろう。よく計算することだ。


事実と政策の間

2006-11-12 11:08:28 | 社会・経済

今日日曜の産経三面に石平という中国人評論家の寄稿がある。「核論議是か非か、議論封殺 最悪の選択」というものだが、短いなかに要領よく論点をまとめている。内容は現物を見ていただくとして蛇足を加えないが、NHKの国際放送に至極もっともな命令を出すことに言論弾圧の目論見を邪推する与野党のやからや、マスコミの大部分が国の政策の根幹に関わる問題への議論を封殺して現状を維持しようとする態度をとるのは阿呆としか見えない。

日本が唯一の被爆国であるというのは事実である。

核廃絶が最良の結果であるのは自明のことである(反対するものはいない)。

日本の非核三原則というのが時代の産物であり、つねに見直されるのは当然である。国の政策というものは常に行き届いた議論と点検に基づいて練り上げられるべきものだからである。とくに冷戦が終わり、北朝鮮が核保有を主張したり、世界情勢がまったく一変した状況で非核三原則の点検がされるのは当然である。その上、冷戦が終わったのに中国は核ミサイルの照準を日本に合わせたままである。アメリカは照準から外しているというのにだ。

非核三原則を守らなければ核廃絶を訴えられないのか。そんなことは無い。

それなら非核三原則主義が核廃絶運動の主導者としての地位を保証するのか。そんなことは無い。世界の現状を見よ。

非核三原則を取ることが核廃絶運動の資格を獲得する条件になるのか。あるいは廃絶運動で世界からリーダーとして尊敬されるのか。一度各国に聞いてみるがよかろう。

百歩譲って非核三原則を守ることが運動に有利としよう。しかし国民の生命と財産が守れるのか。「諸国民の善意を信ずる」のかね。

政治家の責任はまず国民の生命と財産を守ることである。理想を語ることも結構であるが、学者も評論家もマスコミも、そして大衆も理想をかたる。政治家、行政当局の第一の責任は国民の生命と財産を保全する措置をとってから(最大限譲歩して措置を取りながら)理想を語ることである。

日本は唯一の被爆国である。その残虐さと悲惨さを知っている。だからこそ核攻撃をさせてはいけない。政策のプライオリティーは核攻撃をさせない抑止力を持つことである。抑止力とは必ずしも核を持つことのみではない。しかし丸腰で強盗を説得できるなどと、国民の生命と財産を守る責任がある人間が主張してはいけない。国民はなんのために税金で政治家を養っているのか。国民の生命と財産を守ってもらうためだろう。本末転倒してはいけない。

核攻撃を受けた国こそが一番核保有の権利を持っているといえる。しかし、そこまでいかなくても真面目に真剣に核論議をすることが石平氏のいうように抑止力にもなる。ポーカーで最初から手の内を明かす馬鹿はいない。

二階君でも鳩山君でもいい。唯一の被爆国という事実から、冷静な議論がどのような結論を導き出すか国民を説得したまえ。私は核保有とか持込が唯一の結論だとはいわない。まだ議論はつくされず、その議論が国民の判断のためにに開示されていないのだがら判断のしようがない。君たちの主張は前提(事実)から証明抜きで結論(政策)をおしつけるものである。政治家の責任を果たしていない。給料を全額国民にかえしなさい。生活資金は北京から貰えばよかろう。


子供の将来を考えよ、向井亜紀の場合

2006-11-10 18:44:36 | 社会・経済

今日の日刊現代である。1,2,3面と中学生のような作文が毎日載るので普段は買わないのだが週末は競馬記事を見るために買うときがある。16面に「向井亜紀の代理出産への執念」という記事がある。

亭主の高田某というのと一緒に盛んにテレビに出ていたが、随分でしゃばりなオンナだと思っていた。しかし、子宮を摘出してもどうしても自分の子供が欲しいというのは執念なのかな、とある意味面白い女だと、深くも考えなかった。

ところが、この記事によると「代理出産をあえてオープンにした場合、日本の司法がどう応えてくれるか知りたくて裁判を起こした」と本人がいっている。とんでもない女だ。代理出産というややこしい経緯をあからさまにすれば、やがて物心ついた子供は自分が異常な状態で出産してきて実質母親が2人いるということを知るようになる。そして母親がそれをおおっぴらに裁判で争っていることを知ったら混乱するだろう。恥ずかしく思うだろう。まったく無考えなおんなだ。

代理出産の場合は、外国で出産して日本に連れてかえり、自分の子として出生届けをだすものらしい。法律の制約がある、なしにかかわらず、全くの自分の子として育てるのが子供に対する当然の配慮だろう。この向井という女の頭の中はどうなっているのか。目立ちたいのかね。国会議員に立候補してこの自分の問題を丁々発止と国民の目の前で公演したいらしい。あきれたオンナだ。


10チャンとソフトバンク広告

2006-11-09 09:56:51 | 社会・経済

日米野球が終わった。5戦全敗は予想された。野村監督が25人も辞退者が出たからだと言い訳しているが、見苦しい。あれは最初に監督が決まって、それから監督が選手を選ぶんだろう。野村監督の下ではプレイしたくないというのもあったんじゃないかな。それに試合中の態度を見ると選手を落ち込ませる雰囲気を漂わしていた。昨日は終盤の代打でチョコっと監督の腕をみせたが、すでに遅し。

おっと、今日は日米野球の話じゃない。日米野球で10チャンネルが何試合か放映権を取ったようだが、その中でやたらとソフトバンクの広告が出てきた。例の「スパイはいないか」という陰気なCMである。孫君はよほどあのCMが気に入っているとみえる。

ほかの局ではソフトバンクの広告をほとんど見ないような気がする。ソフトバンクは10チャンネルに集中的に広告しているようだが、違うかな。統計をとっているわけではないので、その辺を確認したかったワケ。

そこで、ヒマ人のあて推量がはじまる。ほかの局はソフトバンクの広告を拒否した。あるいは広告料が10チャンネルに比べて高かったか。あるいは集中的に広告を出稿することでソフトが10チャンにフエイバーを与える。それによって朝日新聞と10チャンがソフトバンクにネガティブな報道をしないように談合する。この辺の疑問を報道評論家にしてもらいたいワケ。朝日新聞の報道に干渉すればかなりな程度悪影響を防げると思ったのか。