1868年2月というと鳥羽伏見の戦いの翌月だ。明治維新政府が成立していたといっていいかどうか分からない。官軍なるものもどの辺を行軍していたものやら。まだ関西のあたりをうろうろしていたコロか。
この2月、堺に上陸していたフランス軍艦の乗組員が町で犯罪を犯し、土佐藩兵士が鎮圧に当たってフランス水兵を殺傷した。犯罪を犯したのはフランス兵であるにもかかわらずフランスは土佐藩士の処刑を要求して、力関係で押し切られた新政府は土佐藩士に切腹を命じた。堺事件という大岡昇平の作文もある。
このときに日本側にあって事件を担当したのが小松帯刀であった(2月時点のNHK篤姫では肝付尚五郎。かれは後に小松家の養子となる。つまりおちかさんの婿になる)。戦争ではなくて、軍隊、兵士が犯した犯罪、起こした事故(つまり刑事責任を問われるケース)でだれが裁くのかというのは当時の双方の力関係できまる場合もあれば、どの法律が適用されるか法体系が整備されているかどうか、などによってさまざまなバリエイションがある。沖縄や堺事件では一方が外国軍隊である場合である。
片方が民間人、片方が軍人の場合にはどうするかという問題も大きい。
平時、戦時、母国、占領地、外国などの組み合わせによってもさまざまなケースがある。イージス艦あたごの場合は、平時、国内で漁船と軍艦との事故ということになる。ま、平時、国内では海上であっても警察(つまり海上保安庁)が捌くというのが一応コンセンサスのようだ。法理論的な裏づけがあるのかどうかは専門家ではないから分からない。
この事件ではどう動くのか興味を持ってみていた。昭和のはじめは、こうだった。すなわち国内、街中で兵士がトラブルをおこせば警察のご厄介になる。ところが昭和10年前後になると非番の兵士が街中やバーで民間人と喧嘩しても、警察の処理に軍部が反対するようになる。ここに力関係の変化のバロメーターを見ることができる。
今回のイージス艦は公務中の活動である。また役人根性からいえば、省(防衛省)と庁(海上保安庁)の格意識の問題も是在り、世相、人情、世論の変遷をはかるバロメータとしても見逃せない観察対象であるのだが。
今日の産経新聞の一面意見記事にあるように、自衛隊に一次裁判権があるとする考えもある(法体系的にそうなっているかどうかは別だが)。しかし、自衛隊のお粗末で倫理観に欠け、使命感のかけらもない対応を見ていると実際的には、自衛隊に裁判権、処理権を与えることは大きな間違いと言わざるをえまい。
+在日米軍もよくトラブルを起こすが海上での事故は記憶にない。盛り場での非番兵士の非行は沖縄では日常茶飯事だし、空軍は時々墜落事故を起こす。しかし、東京湾内外の船舶の込み合った海上で、イージス艦に比べてはるかに操船が難しそうな馬鹿でかい図体の第七艦隊空母が漁船や民間の小船と衝突したというニュースは半世紀以上もなかったのではないか。
ハワイではえひめ丸事件かな、米国の潜水艦が事故を起こしている。日本ではなだしおだったか、あれも東京湾だったか遊漁船と事故を起こしている。しかし、水上艦艇が事故を起こしたというのはまさに空前絶後のケースではないのか。
石破大臣が辞任要求に「事故原因を究明するのがわたしの使命」なんて言っているが、そんな大げさな調査が必要なのかね。きわめて単純、初歩的な職務怠慢であることは明瞭である。
飛行機の墜落事故は現代でも技術的な調査に時間がかかる場合もあろうが、今回の事態は「原因究明」「再発防止」なんて力む問題ではない。
それと何故深夜というか早朝というか、あの時間に混雑した海域を航行したかということだ。昼間になるともっと渋滞するからかな。明るくなるまで沖待ちをして時間調整をしてもよかったのではないか。