東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

カイロ・ローコスト・ツアーの悲喜劇

2011-01-31 06:51:06 | 社会・経済

今日の株価が楽しみだが、個人的なことをおいておいて、

民主党のバカ政府がチャーター機を派遣するといっている。とんでもないことだ。

近頃LCC(ローコスト・キャリアー)なんてさかしらなことを回らぬ舌で言うマスコミがある。ローコスト=ハイリスク・キャリアーというのが正式名称である。

カイロ空港はまだ閉鎖されていないようだ。エジプト航空が飛ばないだけらしい。エジプト航空の格安航空券を持った観光客が立ち往生しているのは、他の航空会社がバカ安の航空券の乗客を振り替え輸送で受け付けないからだろう。商売としてはあたりまえだ。こういうリスクは最初から承知して格安航空券は買わなければいけない。

革命前夜の雰囲気で、外国へ脱出しようとする乗客は急増しているだろう。座席に余裕があっても格安航空券は当該航空会社のみしか使えない。高い金を払う乗客を押しのけて、引き受ける航空会社などない。

世界には危険がいっぱいである。格安航空券を買う人たちの年齢は高いようだ。おじさん、おばさんというより、おじいいさん、おばあさんが多いようだ。持病のある人も多いだろう。

普段から彼らが無考えに海外に出かけていくのをあきれて見ていたが、これからもこういうケースは増えるだろう。

政府は金融商品の時でも、顧客の自己責任なんて偉そうなことを言う。それなら格安航空券で立ち往生した観光客にも自己責任を説教すべきだろう。あいかわらず韓国に行く観光客が多いようだが、悪い前例を作らないようにしてもらいたい。


サッカー・アジア大会決勝

2011-01-30 09:11:13 | 社会・経済

とうとう最後まで実況を見てしまったが、オーストラリアのシュートの決定力のなさは昔の日本見たいだったね。

それと、最後のあたりでGK川島への意図的ボディ攻撃は選手たちの自発的工夫なのか、監督からの指示なのかな。

川島が飛び上がってボールを止めるところに、肩から当たっていく。ら胸や腹めがけて何回も体当たりしてきた。川島の体が伸びきって一番無防備になった状態をねらうからボクシングのボディブローのようにしばらくするときいてくる。

PK戦にもつれ込むと読んで、川島の体を動かなくしようとする作戦だろうが、再三おなじパターンが見られたから監督の指示かもしれないね。悪の経典だったりして。

あれで、長友、李の得点がなくて、PK戦になったら、川島の体は韓国戦の時のように動かなかったろう。自陣ではデフェンスはすぐにPKを取られるから自由が利かないが、攻撃側はファールを取られてもゴールキックになるだけだし、最悪でもイエローカードだろう。

日本も見習うべき、練習しておくべき手かもしれないね。


すが直人売名内閣

2011-01-25 07:58:12 | 社会・経済

民主党の幹部はすべて売名我欲のかたまりである。鳩山、小沢、あれは何と言ったか、いま外務大臣の、、前原、それにすが直人。

今回はすが直人のことを。この人物は実力がないことを自覚しているからか、あるいはどうせ長くないと判断しているからか、実績が残せなければ名前を残したいという「遠大」な目的のもとに発言、パーフォーマンスをしている。

昨年の八月十五日だったか、村山談話を上回る(悪いほうに)首相談話を東アジアの悪友たちに向けて発出した。狙いはあきらかである。今後東アジアの悪友は政権が変わるたびに「すが談話」の踏襲を踏み絵として求めてくる(村山談話への言及は消えてなくなるだろう)。そのたびに悪友たちの善友としてすが直人の名前が出てくる。

さて、今回の消費税増税やTPP(だっけ?)提案、これも自分の政権が長くないと判断して(そのくらいの知力はすがにもある)、また、自分たちが野党になったときに、自民党が消費税問題を扱う時にあれは俺が最初にいったんだと威張り散らすつもりの布石である。

政治家の売名我欲は国を危うくする。自民党時代にもあった。今の日本に残っているテーマでめぼしいのは(将来政治家として名前が残せそうなのは)、北方領土問題解決と拉致問題解決である。はっきり言えばこの二つは武力でしか解決しない。

自民党時代にも、これらの問題をもてあそんだ政治家は多い。その99パーセントはこれらの問題を解決した政治家として将来再三名前が出ていることを期待しているからである。したがって、この問題が動き出しそうになった時には、要注意である。

売名我欲政治家は日本の実質的利益を損なっても、問題を解決したという美なる虚名を歴史上で獲得するために売国行為を行う可能性が強いからだ。民主党の場合は悪党政治家の行為にいざとなると自民党と違い、歯止めがかからない。厳重な監視が必要である。

小沢一郎一派の居直り、開き直りがまかり通ることがその実例である。


切腹という「奇習」

2011-01-20 09:08:27 | 社会・経済

オバマとコキントウが談合をしたがうまくいかなかった。

ツルギの機能は相手を襲うことっである。自分に向かうことは極めて珍しい。日本の切腹が奇習として世界で有名なのもそのためである。

舌はツルギである(聖書)。舌とは理屈であり、あげつらいである。だから原始的なかたちでは相手を一方的に罵ることになる。チャイナ人の喧嘩は二十一世紀の「高度文明発展段階」の現在でも石器時代的純粋さを保つ。

その点で混じりけがない。尖閣問題を見ても分かる。チベット問題をみても分かる。ノーベル平和賞問題を見ても分かる。一方通行である。

日本や世界はもう少し洗練されている。チャイナ流じゃあんまりだ、というわけだ。これから先は上級者向けの広義の言語分析になるのだが、ブログでは無理だ。


正義の値段

2011-01-13 10:43:06 | 社会・経済

市場原理では、すべてのものは需要と供給のバランスできまる。そこでだ、正義の値段はどう決まると思うかね。

はい君、鼻垂れボクロの女性

正義は正しい理論で決まります。

君の名前は

森裕子です。

そうすると商品とは別のカテゴリーに入るわけか、メタだな。超越論的だね。大陸的だ。それで正しい議論と言うのは、どうして決められるのだね。

それは

一方が簡単に論破されればいいが、なかなかそうはいかない。それに議論なんてものの99パーセントは一方的な思い入れがあれば相手を説得することは不可能だ。

需要と供給で決めるとに抵抗があれば、どうだね、人数で決まるか、多数派が勝つか、これが民主主義といわれるね。あるいは暴力装置で決まるか、これが専制とか一党独裁と言われるね。

前にも言ったように知性と言うのは相手、自然を従わせるために発達した機能で対外的だ。振り返って自分を反省するという機能はなかった。それに対応する人体、精神のコンフィギュレーションの手直しもない。それでもごく一部の人には疑似能力としていくらか見られる。

したがって知性を反省的に使うというのは、極めてアクロバテイクな使い方である。時速100キロで車を後進させるようなものだ。チャイナで文化大革命と言うのがあった。この時には自分の意見に賛成しないものには暴力的に自己反省をさせた。

大体、反省と言うのは回帰的な作業だから自己なんてつけるのは語の誤用なんだけどね。

そうすると正義を決めるのは情念かもしれない。これも汎地球的なものはないから厄介なことには変わりない。なんだね、森裕子君

先生、もっと明るい話をしてください。

いや、これは失礼をした。では次回


舌はツルギである

2011-01-12 19:55:07 | 社会・経済

舌はツルギである。なぜか分かりましたか。君の名前は、直人か。君の答えは。、、形が似ているから、違うな。よほど君の舌は長いな。馬見たいなのをもっているのかな。おっと、馬の長いのはスカイツリーか、いや陰茎か。

機能的に考えること、ツルギと同様に舌は攻撃の武器である。脳みそが発達した人間の場合に限るよ。

動物は攻撃の武器の優れたほうがうまいオマンマにありつく。たくさんの女とできる。人間でも同じだ。もっとも遅れて発達した知能がもっとも強力な武器であることが認識された。だから舌で理屈っぽいことを巧みに言うほうが相対的に優位を占める。

言論の争いの勝者に与えられる金メダルが「正義」である。

原始時代は俺にそのオマンマをよこせ、その女とは俺がやる、だったのが、だんだん上等に進化すると、俺の言うことに反論できるかとなる。

そうして口舌の争い(現代風に上品に言うと議論)をすると勝利のあとに来る美酒、美味、美女を予感してアドレナリンがブチョーと血液に注入され、体温が上昇する。このメカニズムは21世紀においても変わりがない。

正義、正義と唱えること即席懐中カイロとなる所以である。

次回: 正義の市場価値は、需要と供給からみた正義の商品価値は

& 上述したようなコンフィギュレーションが人体内に何時頃確立したのか、100万年前か、石器時代か、いずれにせよそれよりかは新しくない。そしてこれは人類が宇宙人に進化するまで変わらない。カンチャン流にいえばアプリオリに人類を規定しておる。

&& だからどうしたっていうんですか? 先生

君の名前は? 

由人です

どうもしやしないさ


暴力を解禁する正義

2011-01-11 18:29:13 | 社会・経済

正義に似た観念には大義とか錦の御旗なんてのがありますな。革命のときには犯罪者、犯罪素質者も参加してオンパレードになります。革命を機に隠れていた犯罪素質を自覚する人たちも多い。

近現代で、犯罪者動員の天才は外国ではスターリンでしょう。日本では西郷隆盛ですかな。今の民主党の改革なんてのも、質の悪い連中の体温を上げる効果があるようです。小沢一郎とか仙石なんとかなんかもミニ版ですな。

正義という旗を争うのは運動会の騎馬戦です。自分版の「正義」が勝利すれば相手に対する優位性を誇示できる。だから正義に対する争いは血みどろになるのです。うまいものが食える(人類数千年の歴史の言葉に直せばそういうことです)。

つづく


サンデレ教授開講の辞

2011-01-10 20:11:14 | 社会・経済

お待たせしました。諸君、用意はいいかな。最初にお断りしておきますが、私がこれまでの著書、講義、テレビ出演で話したことをここで再び述べることはありません。そんなのはフェアじゃない、まさに非倫理的であります。顧客を欺いて二度同じ商品を売るようなものですからな。

二番目に注意しておくことは、私が申し上げることはたやすく同意出来ないものばかりだろうということです。たやすく受講者が同意出来るということは皆さんがすでに抱いている考えを述べるということです。これも詐欺ですな。家に帰れば台所にあるような商品を売り付けるようなものですな。

正義とは何か、と言うのが問題です。哲学のいいところは出発点となる概念はかならず無定義で始めます。その後展開する議論は精緻を極める、例外はありません。そこが哲学と言う商売の気楽でいいところなのです。

正義と言う概念が多義的で限定的なものであることは高名なる同僚教授サンデル氏の講演を聞いたかたにはお分かりでしょう。以下に示すのも数多くありうる定義の一つに過ぎません。

数千年の歴史の間、世界のいたるところで正義ということば心地よく響くのは、その生理的効用がアヘンに数倍する効果を肉体に与えるからであります。

皆さん、とくに若い諸君、何が何だが分からなくても「正義、正義」と唱えると今日みたいな寒い日でも体がポカポカしてきませんか。懐中カイロ効果といいます。

宗教はアヘンだ、とマルチャンか誰かが言ったそうです。であれば、共産主義はアヘンだ、といってもいいわけです。

大体において「正義は我にあり」と思いこむと暴力行為が承認されたと若い人は思いこみます。革命なんて言うのは大体そういうものですな。

つづく