前回見たとおり、皇太子妃の家系に色弱が遺伝する可能性ありというので元老山縣が待ったをかけた。薩摩藩主の血が皇室に入ることを嫌う長州閥の代表山縣有朋が反対したという解説が一般的である。これを奇貨として右翼が目の上のタンコブの元老を排斥して勢力を伸ばすために利用した。これが一般的な解釈のようだ。
問題は薩摩といっても色々とあることだ。西南戦争で手ひどくやられた西郷隆盛派は久光の血統が皇統に入ることに反対だろう。薩摩の勝ち組である久光系そして西南戦争で官軍側についた側は賛成だろう。ところで不思議なのは国粋主義の祖というべき(正確には祖とされたというべきか)西郷の系統を汲むいわゆる右翼勢力は賛成にまわっていることである。
杉浦重剛がいう「綸言汗の如し」という言葉を盾に皇室が一旦決めたことを変えてはいけないと右翼は山縣を批判したわけだが、時に応じて主張を使い分けるということだろう。
西郷隆盛の亡霊にとっては憎っくき「おゆら」の血が天子の血と混じるのは許せなかったであろう。右翼は元老を倒すためにだけ、この問題を利用したと思われる。そして見事に成功した。婚約は変更されず、山県有朋はこれを契機に一切の公職をさり、翌年失意のうちに御殿場の別荘で死亡している。その右翼も軍部の手玉に取られてしまうのだが。
もっとも、西郷も本音では嫡出、庶出にこだわっていないのかもしれない。こういう問題はあんまり杓子定規に、原理主義的に適用すると自分で自分の首を絞めかねない。西郷自身にも流刑先の奄美大島に現地妻がいたはずだ。子供もいた。たしか、維新後京都市長になっている。
そもそも、明治天皇も大正天皇も側室によって皇統が維持されている(明治天皇の生母は中山慶子、大正天皇の生母は柳原愛子)。