甘利前幹事長が辞任した後任の人事に不自然さを感じたが、それだけではコメントにならないので当時は記事はアップしなかったのだが、最近の林外務大臣の無能ぶり異常ぶりが目立ってきたので、一連の動きとして遅まきながら書く。
甘利氏が選挙に落ちた責任を取って辞任した後で茂木外務大臣を後任の幹事長に任命した時には、その素早さと意外さに驚いた。もっと驚いたのは空席となった外相に林氏を素早く任命したことである。まるで林氏を外務大臣にするために茂木氏を幹事長にしたような印象を受けた。
林氏は首相のお気に入りで考えも近いという。危ないと思ったのは、オウキシナ外務大臣との電話会談で訪中を要請されたということを「得意げ」にあちこちで喋り散らしていることである。シナ側はその時点で電話での内容を発表していない。もし、公表して断られればメンツをつぶされる。まず小当たりに林を試してみたというところだろう。
また、日本の外務省も内容には言及していない、つまり伏せていたのに林氏は数社のマスコミに自分から「要請された」と喋り散らしている異様さである。こういう状況で一方的に発表するということは「いそいそと」行きたいということを表している「と受け取られて」当然である。
その後、彼は「要請を受けたが、まだ決めていない」と言っているが、相手側も公表していないことを発表するということは「いきたい」「受ける」ととられるのが外交的常識である。その前に世間の常識でもある。もし、今後「いかない」と決めればシナはメンツをつぶされて怒るだろう。また、アメリカは不信感を抱くだろう。いな、「要請を受けた」と一方的に表明した時点でアメリカは不信感を抱いたに違いない。
林氏は報道によれば政界きっての親中派だそうだ。それにふさわしい言動だったと言える。ヤハリと世間や世界では思われる。そういう彼を外相のポストにすえるために茂木氏を幹事長に流用した素早さもなるほどと思われるだろう。今後首相の外交政策は厳重に注意していかなければならないことになった。
知中派を外相にする手はある。しかし常識のかけらもない親中派を外相にするということは政治的な非常識である。
例の小室圭夫妻の結婚の件である。あまり興味のある問題でもないし、ここでも書いてこなかったが不思議なことがあるので少々。
ニューヨークの弁護士試験に合格して生計の目途が立ってから結婚を強行するという計画だったのだろう。そのために彼は三年も米国でロウスクールで学んだわけだ。
それなのに、合否発表を待たずに強行した。それがあと二年とか三年先になるから、もう待てないというなら分かるが、試験の結果発表の日時は事前に分かっていて、しかもそれが結婚のわずか一月前後(注)先なのに、それを待たずに踏み切ったというのが理解できない。いずれ事情があったのだろうが、マスコミの報道では分からない。彼が自分勝手に「絶対受かる」と関係者に請け負うなどあってはならないことだ。
注 マスコミ報道を正確に記憶しているわけではないが間隔は一か月も無かったのではないか?
マスコミは報道するならその辺のところを取材すべきだろう。結婚詐欺か、あるいは二人の意図的な合作か、ほかの理由があるのか。常識では考えられない。宮内庁の役人がそれを信じたというなら、これは笑い話だ。
ホウスイとかいうテニス選手のセクハラ告発の不自然さについてワシントンポストが習近平側の謀略ではないかと報じている。ありうるね。いかにも不自然だし、なんというか、下級官僚が書いた作文みたいだった。
本当に彼女が個人的に告発するなら、亡命を覚悟して海外でするだろう。文面もあのように素人政治家が書いたような文章にはならない。いずれにせよ、あんな告発をして彼女の利益になることはない。
聞くところによるとセクハラの相手の元副首相は李克強首相派であり、江沢民派にも近いという。ちかごろ政権内部で勢力争いがあるというが首相派の追い落としを狙ったという説は首肯できる。
しかし、やり方が拙劣である。無能な官僚が絵図を書いたようだ。ということは習近平派にまともな仕事師が払底しているということだろう。つまりそれほど内紛状態の収拾がつかなくなりつつある証拠ではないか。近々政権内部で大混乱が発生する可能性がある。
昨日彼女はテレビに出てきてバッハIOC会長と話したが、彼女は監禁されているのではなくて、習近平の保護下かつ監視下にあるということだろう。いずれ習近平からご褒美が貰えるだろう。
追記:彼女が消息不明になったのは相手側(元副首相側)から彼女の安全が脅かされたので、習近平一派が彼女を保護下に置いたというのが一番説得力のある説明だろう。
コロナ規制が緩和されて外国人の入国制限が緩和されたという。最近あまり耳にしなくなった非欧米語が週末の街に飛び交う。久しぶりに聞くせいかひどく響く。もっともしばらく聞かなかったので余計耳についたのかもしれない。
見ると大体大きなリュックを背負ったり、おおきなスーツケースを曳いている家族連れだ。居住外国人には見えない。どちらかと言えば観光客風だ。あるいは新規入国者風だ。しかも小さい子供ずれが多い。ようやく日本に来れてよほどうれしいのか大きな声で呼び交わす。コロナは大丈夫かな、と不図思う。
現在と違うのは日本側の(表面的?)感度の鈍さ
1894年、日本とシナ(清国)の間に両国海軍による、いわゆる黄海海戦が行われ、日本海軍の決定的勝利によりシナ沿岸の制海権は日本の手に落ち戦争の帰趨は決まった。シナの行動は黄海海戦の前夜に酷似する。国民性は変えようもないらしい。日本も海軍の近代化をはかっていたが、清国も海軍の西欧化をはかり、自国の海軍(北洋艦隊)は日本を圧倒出来ると妄信した。現在のシナ(チャイナ)も同じかんがえを持っていることは明瞭である。
海戦の前年、シナの艦隊は太平洋に進出し、駿河湾沖で示威行動を行った。これが黄海海戦の誘因である。日本側の軍事的、諜報的感度が現在よりも優れていたため、翌年の黄海海戦の勝利につながった。
先日、シナはロシアと共同し、両国艦隊が日本の太平洋沿岸を威嚇しながら日本を一周した。明治時代の日清戦争前夜と酷似した発想で日本を脅かした。今回、日本側の反応は平和ボケなのか、極めて鈍い。もっとも図り事は密なるをもってよしとするから、自衛隊は怠りなく対策を考えているのかもしれないが。そう期待しないと危ない。
補足1:本日発売の夕刊フジ一面(註)にシナ艦隊が日本を一周したのが前代未聞と書いてあるが、間違いだ。かかる軍事威嚇行動は上記のようにシナに前歴がある。 註:正確には二面にある「一面から続く」という箇所、記事署名は加賀孝英氏
補足2:シナはラテン語系のチノなどの読みである。これに明治時代に支邦の字を当てたから彼らは嫌がるのだろう。また、非日本人的日本人が悪乗りする。仮名で書く分には問題はない。
補足3:中国と言う呼称も問題がある。徳川時代から山陰山陽を日本では「中国地方」といった。信長暗殺の後、秀吉が遠征軍を反転させたのを「中国大返し」というように。じゃによって、かの国を中国と言うのは、なんというのかな、商標権侵害に類する。シナと表記するのがまぎれがなく、誤解もない。