東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

コーヒーとお茶は違う

2023-08-21 20:08:06 | グルメ

食事と一緒にコーヒーを注文すると料理の前にコーヒーが出てくる。周りを見るとみんな文句を言わずにがぶがぶ飲み始める。コーヒーは食後に飲むのが当たり前だと思うが、不思議な光景だ。

考えてみると日本料理ではお茶が食前に出てくることが多い。それをまねたのだろうが食前のコーヒーは食欲を抑える気がするし、第一うまくない。

お茶の薄さは食前の水と同じだ。抵抗はない。それを真似てこういう習慣が出来

たのだろうが滑稽な気がする。薄いアイスコーヒーならまだ分かるが濃いコーヒーを食事前に出すセンスがわからない。

食前の飲み物としてビールやカクテルが出てくる神経は分かるがコーヒーはね??

コーヒーは西欧、アラビア、南米の脂っこい料理の後ならマッチするが、料理の前に飲んでおいしいのかね。

 

 

 


サラダを食って馬になった話

2023-08-16 16:20:41 | グルメ

欧米ではサラダは一般的ではない?ひと昔の話?

日本でもサラダがレストランを席捲したのはそう古い話ではない。日本の古来の習慣ではない。

今日某所でハンバーグを食ったらサラダが山盛りだった。このころは一般的な風潮だ。

どこに行っても大体において、何を注文してもサラダが山盛りだ。どうしてこんなばかばかしい習慣が広まったのか。女性の美容にいいという巧妙な宣伝があったのか?

あるいは太らないし、腹は一応一杯になるから、という説もある。これが若い女性にアピールしたというのだ。

海外では、ひと昔前の話だが、必ずドレッシングは何にするかと聴かれるが日本ではそういうことを聞かれることは一回もない。海外ではまずスープにするかサラダにするかと聞かれることはある。そうしてサラダというと、ドレッシングはどうするか、と聞かれる。にほんではいきなり食べきれないほどの山盛りのサラダがお仕着せのドレッシングをかけ出てくる。

干し草ばかりの飼料で青草に飢えている馬でもあるまいし、山盛りサラダは勘弁してほしい。

そんなことをすると、日本女性に相手にされなくなるのかな。

 


マックと暖簾分けの違い

2015-01-08 10:22:38 | グルメ
燎原に火を放つ、とはこういうことを言うんだろうな。

日本マックが速射ロケット攻撃に晒されている。外部の人間には本当のことはわからないから今のマスコミ諸君の努力に水を差すつもりは無い。

補助的に、ほんの少々補助的、補足的な観測を述べてみよう。

言論の自由は大切だが、食の安全、生活の安全の分野では、つまり経済活動の分野では「自由」はときに破壊的な影響を及ぼす。自由化は野放図と同義と成る。歴史に多数の例がある。TPPなんかも原則賛成でいけるが、個別では戦略的対応が必要でアメリカと同様に所詮外交力が必要と成る。

外食産業においても野放図な自由追求は安全性の公理の前には頭を下げなければならない。ファストフードなどのチェーン店の経営形態はフランチャイズでしょう。よくしらないが違っていたら改めます。

利益追求の方法は規模拡大とコスト削減しかない、アメリカ的経営学では。チャイナの腐敗肉使用事件ではコスト削減の弊害が出た。今回の「出るわ出るわ」騒動は規模拡大に伴う弊害が出たと見るべきだろう。

規模拡大という考えは、食い物屋の分野では日本的経営にはなく、暖簾分けという形を伝統的に取る。すなわち本店で長い間修行して主人が大丈夫と認めた職人に出店を許す。技量、安全性にとんでもない問題が出ることは無い。注:最近では老舗でも金だけで支店を売り渡す例もあるが。

客も暖簾を信用して利用する。アメリカ式の場合は遮二無二拡大する。勿論市場調査はする。そうして品質、安全性については詳細なマニュアルを作成して品質管理をはかる。それはそれでいい。しかし利益拡大に急だと、直営店ではなく、フランチャイズ(つまり金を持っているアカの他人が支店の権利を買う)に頼る。マニュアルが如何にしっかりしていてもその施行がいい加減なものになる。どうも今回のマック騒動、とくに国内の騒動をみていると従業員教育の不備がおおいように思われる。

これはマックではないが、外食チェーンで繁華街にある店でも在日の格好の投資対象になる。客として入ってもこういう店は大体分かる。経営者らしき女性が妙な日本語を操る、とか、従業員がいかにもそれらしい(fishy、におう)。こういう言葉を使ってはいけないらしいが。

そのほか、色々な徴候が出てくる。腹も身のうち、といいますぜ。ご用心を。

食い物屋はその日商売で毎日日銭が入ってくる。ということは脱税しやすい業種である。またいざという時に簡単に店をたたむことが可能である。ということで在日には格好の投資対象となるのである。