東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

ドイツやイタリアが謝ったって ?!? 初耳だ

2015-08-19 08:12:18 | 戦後70年首相談話
30分くらい前だったが、ヤフーか何処かのニュースで首相談話に対する海外メディアの論調を集めていた記事があった。紹介しようと思ってInetを覗いたらもうないね。すこしさかのぼってniftyも確かめたがもう見つからない。したがって、ソースはご紹介できない。たしか、共同か時事だったような気がするが。

欧米のメディアが偉そうにケチをつけているが、彼らは自分たちの植民地支配に言及されると、乏しい倫理観を守るために、かすかにある良心のうずきを忘れるために日本を非難する。笑うべきことだ。

そのなかで、「ドイツやイタリアは謝罪したのに日本はしないから」というのがあった。理解不能である。

ドイツが謝ったって、聞いたことがない。よく赤色ちゃんが引き合いに出すワイツゼッカー演説にそんな箇所はないようだ。といっても彼らが全文を紹介したことは一度もないから真偽不明である。どうしてマスコミは全文をどこかで紹介しないのかな。それが読めればもう少し具体的に論評できるがね。

それにワイツゼッカーは何について謝ったのか。謝っていないとすると何に言及したのか。おそらくユダヤ人大量虐殺であろうか。それとも、大戦前に次々と周辺諸国を侵略したことであろうか。おそらく、第二次世界大戦の引き金となった周辺諸国への侵略については触れていないだろう。これは推測だよ。現物がなければ推測しかできない。

ワイツ某はユダヤ人虐殺について、「私が悪かった」とか「ドイツ国民が悪かった」と謝ったのか。謝っていないと思う。なぜなら「個人がしたことは我々には謝ることは出来ない」と言うのがワイツ某の言葉らしいから。
つまり「ヒトラー」は悪いヤツでした(と認めた)。しかし、わたし達ドイツ国民は関係ないと言っただけなのではないか。

「イタリアが謝った」というにいたっては初耳である。しかるべき機関なり人物の発言があるなら、具体的に調べろ、それがマスコミの責任である。欧米のマスコミだけがこうした責任がなく、勝手ほうだいに発言できるのか。

イタリアは大戦の後半2年間は国内内戦状態にあったと理解している。連合国側についた勢力とムッソリーニ派に分かれて国内が戦場となった。最後にイタリアの暴徒がムッソリーニを電信柱に吊るした。これをもって謝罪したということなのかな。


戦後70年談話を英文で読んで

2015-08-15 18:00:25 | 戦後70年首相談話
昨日テレビの中継で視聴したのより、かなりインパクトがある。この全文はこれからの日本の立場を明らかにするスタンダード、ベースたりうるだろう。英米からの反応も「反省、謝罪」しかピックアップしたものしか、今の所ないようだが、これらのコメントは反射的にだしたものだろうから、日本政府は繰り返し、深くこの記念碑的メッセージを欧米の中心に打ち込んでいくべきだろう。済度しがたい中韓のような連中はほおって置けば良い。

欧米のこれまでの反応は自己防衛、自己の正当化のために中韓を利用し、唆して来たところがあった。中韓が強烈に日本を誹謗しているから、自分たちが戦前、戦中、戦後に行って来た非人道的行為はなかったことになると逃げ込む色合いが濃厚であった。問題を局所、一時点に絞って歪曲するのではなく、全体の布置で解き明かした今回のアプローチは従来の呪縛を解き放つ力となるだろう。深く、繰り返して世界に向って打ち込めば。

誰が書いたのかな。日本文よりインパクトがあるばかりでなく、格調が高い。

Timidな首相70年談話

2015-08-15 06:50:10 | 戦後70年首相談話
料理であらゆる材料、調味料をぶち込んで、その不調和を和らげるためにやたらと水で薄めた料理のようであった。もちろん、首相の当初意図した趣旨ではなかったろう。まだ、公明党を突き放すには時期が早いという判断だったと思う。

こんなものを発出すると、それぞれ正反対の陣営から不満が出る。村山氏は印象が薄くてなにを言っているのか分からない、と談話を発表したがそのとおりだろう。

中韓はそれぞれ一部分を取り出していちゃもんを付けている。彼らはどういっても理解しようとしないのは最初から分かりきっている。

アメリカ国務省の報道官の談話というのも間髪を入れず発表されたが、これも早すぎる。事前にお伺いを立てていたことは明白である。しかも談話の「反省、おわび」のところだけ取り上げよかったと言っている。中韓のエイジェントであることを証明している。首相の強調したかったところはすべて無視されている。

オーストラリアのアボット首相もいち早く『反省、おわび』の所だけを取り上げている。

当ブログで当初から言っているが、終戦記念日にこの種の談話を発表するというタイミングは最悪である。村山、小泉談話の継承かどうかという言いがかり、論点を提供する。「反省、おわび」意外の部分を鮮明に強調した談話を別の機会に発表するような検討をしたことがなかったのか。もしそうなら側近達の判断の誤りを糺さなければならない。

元旦の談話でもいい。4月29日でもいい。いくらでもそれにふさわしい記念日、節目はある。よりによって終戦記念日を選ぶというセンスを疑う。

叡慮の存するところ4、間の悪いことは重なる

2015-08-11 11:27:51 | 戦後70年首相談話
次の間の悪いことは日英同盟が失効したことである。確か大正10年か12年ころであった。元老山県の死去とほぼ同時である。これは何を意味するか、特にアメリカにとって。

日本を攻撃してもアメリカはイギリスから反撃されることがないことを意味する。とてつもなく重要な意味を持つ。日本という鴨をじっくりと時間をかけて挑発し腰の拳銃に手を伸ばした所で殺し屋早撃ちの西部のドンビャクショウであるアメリカが抜く手もみせず日本を撃ち殺すということである。日英同盟が失効してから昭和二十年の敗戦まではアメリカの描いたシナリオ一直線である。オレンジ計画と言われている。

日英同盟はたしか一回延長されたが二回目は日本も延長に真剣ではなかった。これがそもそも、ぼんくらの証明である。勿論自然消滅したのではない。アメリカの執拗な首尾一貫した政策である。日本は日露戦争の勝利、第一次大戦でもぼろ儲けで元老が持っていた用心深さを失った。どうでもいいじゃないの、日英同盟なんて、というのが軍部のおごりであった。

アメリカが日英同盟を妨害した工作は執拗であった。これに気が付かない方がどうかしている。イギリスに対して数年間にわたり周到な外交工作を行いイギリスが延長しないように工作した。

太平洋の安全保障のために四国同盟かな、イギリス、フランス、アメリカ、日本で軍事同盟を作ろうという甘いわなを持ちかけ日本は騙された。終わってみれば日英同盟は失効して、それに変わる軍事同盟なんてどこにもない。

不安になって日独伊同盟とか日ソ不可侵条約を結んだが滑稽というよりほかない。
日独伊三国同盟は負け犬、狂犬と同盟を結んだものだし、日ソ不可侵条約は約束を守るはずのない強盗のような相手と条約を結んでいる。

叡慮の存するところ3、間の悪いことは重なる

2015-08-10 06:51:31 | 戦後70年首相談話
大正から昭和へという時代は近代日本の転換点になった時期で間の悪いことがかさなった。特に軍部台頭、暴走につながった事象が連続した。

第一に軍縮をあげなければならない。日本政府は抜本的な軍縮を計画していた。軍縮そのものは世界の大勢となっており、その圧力もあった。

軍縮というのは、身もふたもない言い方をすれば職業軍人のリストラである。猛烈な反発が出る。現代でも同じだ。リストラと言うと労働組合がとたんに戦闘的になる。反抗的になる。相手が軍人となると更に危険となる。

国際的にも軍縮会議が連続して開かれ、ここで欧米から日本に要求された内容が例によって欧米のわがまま勝手な要求でこれが日本の世論や軍部を憤激させた。現在のTPP交渉でアメリカの滅茶苦茶な要求に農協が頑強に抵抗したような物である。

結果的にはこれが日本の軍縮反対派のゴールをアシストした。もっとも欧米が一枚上でそうなった上で、日本をのっぴきならない所に追い込む計画だったのかも知れない。すくなくとも、結果的にそうなった。

もっとも、この時点では日本の庶民は軍縮大賛成であった。町中で軍服を着た人間に出会うと「税金泥棒」と罵声を浴びせた。私の祖父は軍人だったが、外出する時には背広に着替えないと街を歩けなかったそうである。

軍隊内部での注目すべき変化は下級将校に瀰漫して来た下克上の危険な雰囲気である。これは大正デモクラシーの悪影響である。民主思想というのが危険思想であるというのはあながち間違いではない。515,226など下級将校の不満分子の跳ね上がりが頻発した。将校でも新聞は読む。週末には家に帰れば街に溢れかえった雑誌、新聞、小説でデモクラシーを謳歌している雰囲気に浸る。下克上当然の雰囲気となる。

さて、大陸では手を変え品を変えて抗日運動があり、日本人に対するテロが日常茶飯事である。それもあって、最終的には満州国建設に至る軍事的作戦が行われた。これが次々と成功すると、民衆は「税金泥棒」という罵声を浴びせることを止めて「兵隊さん、有り難う」の歓呼の渦が巻き起こった。

職業軍人が「これだな」と思わないわけがない。軍縮は豆腐のように叩き潰された。職業軍人は官僚である。士官学校卒業時の成績で一生は決まる。また陸軍大学、あるいは海軍大学に入学出来れば「上級公務員」として将軍への道が開ける。

それに上乗せ出来る道が軍事官僚には、他の分野の官僚とはことなり、あったのである。戦争で軍功を上げることである。軍人の大好物である勲章がもらえる。昇進にもはずみがつく。求めても戦陣へ赴くことを画策する。なければ作る場合もある。軍人にはゴールデン・エイジである。

新聞がこれをあおる、つまり『兵隊さん、有り難う』を連日連夜連呼する。そうすると、日本人のスポーツ選手が国際試合で勝った翌日のスポーツ紙のように売り上げ部数がどんどんあがるのである。マスコミに倫理観がないのは現代だけのことではない。昔からのことである。

それやこれやで、あなた、日本はリバー オブ・ノー・リターンを越えたのである。もはや元老という抑制装置はないのである。合掌。

時期をほぼ同じくして日露戦争勝利の要因だった日英軍事同盟が失効した。これについて書くべきだが2000字を超えそうなので次回に。


叡慮の存するところ2、縦割りOK

2015-08-09 16:40:35 | 戦後70年首相談話
官僚制度が文句なくOKの場合が有る。仕事の効率性がフルに要求される場合である。官僚制度は利刀である。戦後に例えれば壊滅から復興への過程では官僚制度の切れ味が最高度に利用された。高度成長期も終わりになりバブル以降になると官僚制度の効率性は必要なくなり忘れられる。効率性を無視しても日本という機械は動き続ける。この場合官僚制度とは無停電電源装置となる。政党政治が機能しなくなり停電しても無停電電源装置があるから表面上の変化はない。したがって官僚どもは自分の既得権益のみに関心を向けた。

絶対に官僚制度の独走を許してはならない場合は国家として乾坤一擲の決定あるいは政策変更をする時である。それに反して、規定の目標に向って貧窮のなかで遮二無二進む意外にない場合には縦割りがもっともよく切れる刀となる。

さて、そろそろ表題の本題(叡慮の存するところ)に入る。今朝のテレビで、今上天皇が今年の年頭にのべられたお言葉、「満州事変以降をふりかえり」云々について議論があった。

一部の出席者が言っていたが、これは陛下が暗に他のことについて言われたのではないか、との意見があった。具体的にその論者は述べていないから彼がどういうつもりで言ったのかは不明である。

叡慮の存するところを忖度することは恐れ多いことであるから、そういうことではなく、私見として歴史についての指摘をしたい。

東京裁判で連合国が満州事変から論難を開始していることが現在の国民の認識になっているかどうかは知らない。これは甚だ恣意的な行為であり、まず反論しなければならない。満州事変から初めれば彼らには都合がいいということにすぎない。
なぜアメリカのハワイ略奪から始めないのか。時期はそう離れていない。一方はアメリカのさとうきび入植者がテロリストのようにハワイ王族を拉致監禁してハワイを支配下に置いた事件である。アメリカ下院はこれを追認してハワイを正式の領土とした。

満州事変は日本の軍部が関係して、本国政府が追認した。実質的な違いは存在しない。当時の国際社会では日常茶飯事のように行われていたことである。

おかしいと言えば東京裁判の記録映画にはハワイの地図がない。太平洋戦争は日本がハワイを攻撃したことから始まった。ところが裁判所となった四谷の旧陸軍士官学校の講堂に掲げられた地図は太平洋でハワイの西から始まっている。いかにアメリカが自国のハワイ略奪を日本側から指摘されるのをいやがっていたかが如実にわかる。**

 叡慮の存するところ

2015-08-09 09:24:00 | 戦後70年首相談話
先ほど終わったフジテレビ、なんと言うのかな「報道2001」か、猪瀬もと都知事が出ていた。健在だね。

意思決定が戦後も戦前も同じで縦割りだというのが問題だと言っていた。忘れてはならない視点だが、組織というもの、あるいは党派というものがある限り日本だけの欠陥(長所の場合もあるのだが)ではなかろう。アメリカでも同様ではないか。もしアメリカが現在に至る歴史で縦割りの欠陥面が国策を誤るまでに表面化していないとしたら、その理由を、我が国との違いを究明しなければなるまい。

それにはしかるべき理由があるのか、単に幸運に過ぎなかったのか。大いに論じなければならない。この観点から日本の明治維新以降を分析するなら三期に分かれよう。明治から大正末年まで、大正末年から終戦まで、そして戦後である。

大正末年まで縦割りの弊害を阻止したのは維新の元勲すなわち元老達である。明治維新が成功しなければ日本は欧米の植民地になっていたことには何の疑いもない。明治の日本の指導者の念頭を片時も離れなかったのは、欧米という肉食恐竜から身を守ることであった。したがって、外部の情勢蒐集につとめ、我が国の国力を冷徹に把握した。そして国際協調というか組むべき同盟相手を慎重に選択した。すべては元老達の合議によるもので、制度的な裏付けはない。ないからうまくいったということだ。しかしもちろん、制度的な裏付けがないことが生き残りの条件ではない。結果的に彼らの判断が正しかったということである。

元老達が鳩首談合したのは制度的裏付けに基づく物ではない。大正末年最後の元老山県有朋が死去すると、縦割りの上に君臨し調整する装置はなくなる。皮肉にも明治の元老達が苦心して完成させた官僚制度がようやく送り出した鬼っ子(精華)である官僚制度が肥大完成の極に達した。そしてもっとも完備した官僚制度は陸軍と海軍である。ここで猪瀬氏の説と繋がる。

韓国を安保同盟国から外せ

2015-03-08 18:55:31 | 戦後70年首相談話
アメリカは韓国の親権者としての責任を自覚せよ。日本にいかなる付け回しをすることも許されない。許しがたい罵詈雑言を浴びせる相手と、なんの謝罪もなしに「仲良くしろ」などという日本国民の神経を逆撫でにするような無神経なことを言ってはならない。日本国民がかかる侮辱を許容すると考えてはならない。アメリカはもし自国がかかる侮辱を受けた時に許すことはあるまい。西部劇でそういう場面は見たことが無い(突飛な比喩で申しかけないが分かるでしょう)。

勿論アメリカが韓国の親権を放棄することは自由である。しかし、その場合でも日本が親権を引き受けるということを期待してはいけない。ま、その場合チャイナが親権を持つのであろう。日本が清国から韓国を解放してやった時まで数千年に渡って半島の親権はチャイナがもっていたのだから、「チャイナ固有の領土」といってもいいんじゃないの。尖閣と違って日本も文句を言わないでしょう。

従って戦後70年目に今後の日本の安全保障を考える時に日米韓という提携は必須の前提条件ではない。日米韓が一体にならないと日本の安全保障は確保されないという考えは現在では亡霊である。厳密詳細な現状認識や再検討を経ない謬見である。

かかる前提で日本の安全保障を考えるのが現実的であるとか、いつまでも日米韓トリオでやるべきだというのは時代遅れである。現実にまったくそぐわないという意味では非現実的である。それは無施策と永続する政策の未決定(すなわち無作為による任務放棄)状態を放任することであり政治の責任が問われることになる。日米韓の安全保障以外は考えられないというのは考え抜かれた政策ではない。間違った、時代遅れの固定観念である。首相は有識者会議に諮問したが、この問題はその場で十分な時間をとって検討すべきである。すでにそう言う考え方を表明した本も有る。それが合理的で唯一の方策で有るかは分からないが、検討すべき問題である(普遊社新書 誅韓論)。

古森義久氏によるシャーマン演説全文解説

2015-03-05 08:13:16 | 戦後70年首相談話
昨日「全文は分からないが、夕刊フジのトップ記事でハイライトされている部分についてのみ」と断って論評したが、下記のサイトで全体に渡って論評している記事を読んだ上での感想である。

# 3月4日 古森義久 「日本は付け足し、国務次官演説に見るオバマ政権の中国偏重ぶり」
 jpress.ismedia.jp #

要するに表題の通りの内容で、これならばこのブログで指摘して来た観察や分析と重なる。昨日の記事は褒めすぎたかとも思うので補足する(訂正すると言った方が良いのか)。ま、褒めてやって、よい性質を善導するのも教育の役割である。

マスコミも全文の論評を載せるべきだろう。全容は上のサイトを読んでいただくとして、これが日本のフジなどの一部マスコミで取り上げられた経緯は以下のようなものであろう。

古森氏の書いている様に、この部分は全体のごく一部にすぎない。それを韓国メディアが例によって血眼になって探し出し、事大アメリカ様の思し召しを命より大切と心得る韓国人が錯覚し、韓国軽視だとかアメリカに見捨てられたとか錯乱狂乱して例の火病患者特有の騒ぎかたをした。その狂乱ぶりをみてフジが書き立てたということだろう。

昨日の記事は一部分だけを取り上げて褒め過ぎではあったが、少しでもアメリカが正しい方向に行く様に善導するたしにでもなるかと、残しておきましょう。犬でも褒めることが大切というではありませんか。

才媛シャーマン国務次官

2015-03-04 20:09:24 | 戦後70年首相談話
前々回に書いた記事、マスコミのフォローが全く欠けていたのでどうも間違っていたらしい。本日の夕刊フジの一面記事で疑念解消。読者の皆様にお詫びかたがたご報告します。

発言者はダニエル・ラッセル国務次官補ではなくてシャーマン国務次官。ラッセルよりか偉いんだ。女性である。知名度はない。とにかくマスコミに登場した記憶は無い。この人と確認したのは紅っぽいブラウスをしている写真がフジにかなり大きく出ていたから。眼鏡をかけた女性。ここまでは3、4日前にNHKで見たのと同じだ。NHKでは幽霊みたいに見えたが、フジの写真はなかなかシャープな才媛に見える。どうしたんだろう。NHKはピントのあわない安っぽいカメラで素人が撮ったものだろうか。

そういえば、今朝の産経でも小さく問題の発言を取り上げていた。ただし写真なし。先月28日の発言だそうだが、フジによれば時事通信などがネット配信をしただけらしい。発言の内容はごく簡単にしか紹介されていないが、アメリカの発言としてはかなりまともになって来たようだ。こういう変化はニュースとして大きく取り上げる価値はあると思うがな。

どうしてだろう、日本のマスコミは韓国に遠慮したのかな。韓国をちょっとでも批判するような記事は外電でも韓国のためにふれないようにする日本のマスコミの「おもいやり」か『遠慮』かな。なさけない。

韓国人、韓国マスコミにはかなりなショックを与えたらしい。事大主義でアメリカを通して日本を一方的に叩けると思っていたのが、冷や水を浴びせられた格好で、泣き叫んだり狂乱しているらしい(夕刊フジのタイトルでは「韓国錯乱」)。

フジによると発言のキモは「政治指導者が過去の敵を非難することによって安っぽい喝采をあびることは難しいことではない。しかし、このような挑発は進展ではなく麻痺をもたらす」。才媛ですな、見事な表現である。

それはいいが、韓国にとって日本は現在まぎれも無く敵国だが、戦中戦前は日本の一部だったら敵国というのは正確ではない。あるいはシャーマン才媛は敵国と言っているでしょう、だから日本の敵国ではなかった韓国のことを言っているのでは有りませんよと、(反撃されたら)かわすつもりだったのかも知れない。

お願い:この記事を読まれた方はあわせて、3月5日の拙稿「古森義久氏によるシャーマン演説全文解説」をお読みください。