バスケットボールの応援実況、実況放送はきちがい染みている。のべつ幕なしにガキのエクスタシー染みた絶叫が続く。聞いているほうはあのスタイルが気持ちいいのかな。
ゲームの特色が目まぐるしく変わるのが原因だろう。エクスタシー染みた絶叫を立て続けにやられては神経がもたない。球技ではエクスタシー絶叫で一番間がいいのは野球の中継であり、サッカーこれに次ぐ
観客のエクスタシー絶叫はあれでいい。文句を言うと文句が出そうだから。実況中継はあれではいけない。工夫が必要である。
バスケットボールの応援実況、実況放送はきちがい染みている。のべつ幕なしにガキのエクスタシー染みた絶叫が続く。聞いているほうはあのスタイルが気持ちいいのかな。
ゲームの特色が目まぐるしく変わるのが原因だろう。エクスタシー染みた絶叫を立て続けにやられては神経がもたない。球技ではエクスタシー絶叫で一番間がいいのは野球の中継であり、サッカーこれに次ぐ
観客のエクスタシー絶叫はあれでいい。文句を言うと文句が出そうだから。実況中継はあれではいけない。工夫が必要である。
今朝のアップで日本から一点しか取れなかったブラジルの選手たちが日本のファウルを口をそろえて非難していたあちらの記事を紹介したが、一つ気が付いたことを付け加える。
あちらではスポーツくじと言うのが盛んらしい。当然日本戦も賭けの対象になっていただろう。オッズはどのくらいだったかな。五対一あるいは四対ゼロあたりの配当が本命だったろう。直前に行われた対韓国戦が五対一だったからね。その固い本命が外れた。大金をかけていた連中は大損をしたわけだ。ゼロ対一は超大穴だよ。
南米などあちらでは本命が外れたりすると、選手が帰国後銃撃されて殺されることがある。かってもあった。いずれマフィアなんかが大金を賭けているだろうからね。
そういうことを考えると、選手たちの異様なコメントは、この結果は俺たちの責任じゃないよと予防線を張っていたのかもしれない。
大体この記事はおかしい。普通この種の取材なら主力選手と二、三人に聞くくらいだろうが、記事ではほとんど全選手からコメントを取ったことにしている。それも同じ内容の焼き直しだ。マフィアに殺されるのが怖くて日本のファウルを言い募っているとしか考えられない。読みすぎかな。
サッカー、ブラジル戦で日本のファウル戦術(自然発生的ではないと思うので戦術と言ったが)についてワールドカップで非力な日本の戦術予行演習だろうと書いた。それから8時間後、多分ブラジルのスポーツ誌だろうが、SportiveのRicardo Setyonさんが日本のひどいファウル戦術について、ブラジル選手たちの『発言』を特集している。素早い反応で、まるでオイラの記事に反応しているように『過信』したぜ。
私はサッカーの専門家ではないから、試合のファウル戦術が度を越してひどかったかどうかは判断できない。ま、この記事を読んで感じたのは、一点しか、しかもPKでしか取れなかった事へのネイマールたちの言い訳のようにも取れないことはない。
許容できない度を越したファウルなら審判が注意するだろう。そんなことはなかったようだ。ということはネイマールたちの批判は当たらないのではないか。日本のファウルがうまかったという収穫があった。ワールドカップでは役に立つぜ。
日本が0対1で負けた試合、森安監督の作戦の目的はファウルの効果を図るためだったと考える。
Jリーグ結成前からサッカーを時々見る機会があったが、そのころと比べて圧倒的に進化した部門はファウル技術である。サムライ精神と言うかスポーツ精神と言うか、昔はファウルを忌避する態度がサッカーにあったようだ。それが世界に出て行くことによって、ファウルの技術が重要なことが分かってきた。自陣に殺到される前に、イエローカードを貰わない程度にファウルをして止める技術は重要であることが分かってきた。外国のどこのチームもやっていることだ。
試合後の各評価にもあるように、実力ではブラジルと相当な開きがある。それでもファウル技術によって一失点に止められた。
今度のワールドカップの目標はベストエイトに進出することだそうだ。日本の入ったグループは欧州の強豪揃いだ。勝つのは容易ではない。一つでも引き分けに持ち込めば、あるいは得失点差を最小限に抑えれば、ほかのチームのつぶしあいの結果次第ではベストエイトの可能性が微かに見えてくる。
森安監督は日本のファウル戦術技術が世界の強豪にどの程度通用するか、意図的に確認したものと思われる。
日本チームの活躍もありラグビーが大変な人気だ。特に青少年の間で強いらしい。
確かにあのクラス(世界レベル)の試合を見るとサッカーよりもはるかにメリハリがある。
文句なしに面白い。準々決勝の南アフリカ戦では日本のスクラムが少し弱かったようだ。そこで提案だ。未来の選手にまっさらの青少年を対象とするのは、もちろん基本だが、相撲界が有望ではないか。相撲人口はアマチュアを含めてかなり大きいらしい。シマ争いに発展するのはまずいが、おおいにスカウトしたらいい。プロでも、大相撲ということだが、幕下以下序二段とか三段目なんかは無給なうえ、上に上がれるのは少数だ。ラグビーに転身する道も開くべきだろう。相撲で鍛えたぶちかましの威力は十分ラグビーの世界トップレベルで通用する。あの何とかいったな、貴景勝だったかな、暴力事件で引退させられたのがいるだろう、彼もまだ若いからラグビーに誘ったらどうだ。
それで思い出したが、元横綱の若乃花が引退してアメリカンフットボールに入ったんだよね。大した話題も作らず、実績もなかったようだが、かれのアメフト人生を検証してみる必要があるだろう。もう年だったかもしれない、あるいは横綱までいくと相撲の型が染みついているからアメフトには適応できなかったのかもしれないが。
日本のワールドカップのお祭りは終わったが、欧州メディアは最初から一貫して川島を日本のウィークポイントにあげていたが正解だった。ビデオを再生したわけではないが川島が止められなかったシュートはほとんどが上から落ちてくるシュートにタイミングを合わせられなかった。それと低いグランウンダーだ。ファインセーブとアナウンサーが絶叫していたのは高さがゴールの中間であった。ということは川島の動体視力とそれに連動した身体反応がよかったのはゴールの真ん中(高さで)だけであった。ベルギー戦のうちの二ゴールは上から緩く落ちてくる弾にタイミングがとれなかった。これも川島の弱点を知っているベルギーの計算されたシュートと考えられる。
アディショナル・タイムにカウンターを許したのはディフエンスががら空きになったからだが、これも川島では延長戦になればさらに失点不可避、ましてPKになれば負けは必至というメンバーの認識が無理な前ががりとなり、何が何でも延長戦前に得点したいというチームメンバーのあせりだろう。それでも西野監督が川島を使い続けたのは、彼以上のGKがいないという認識だったとしか考えらえない。
サムライジャパンとしてワールドカップ・ポーランド戦の最後の十五分間の戦い方を評価する。
観客の感興をそぐものであったのは間違いない。しかし、興業としてみるならば、勧進元すなわちスポンサーであるキリンビールにとっては三試合で終わるのより四試合か場合によってはそれ以上の可能性があるのは無条件に歓迎である。テレビ局にとっても三試合で終わるのと四試合以上放映できるのでは収益上雲泥の差がある。また日本サッカー協会としても収益という観点からはキリンビールやテレビ局と立場は全く同じである。西野監督の采配は正解である。
また、スポーツマンらしくないとか潔く戦えという意見があるが、それはそれでいい。しかし、サムライ・ジャパンなんだろう。サムライという観点から見るとどう考えても西野監督の戦い方はサムライそのものの行動である。それもサムライがもっとも輝いた戦国時代の武士のありようそのものだ。
最後まで敢闘精神だとか、玉砕というのはサムライの一般的な戦い方ではない。ほかに方法がないなら見境なくぶつかっていくのもいい。しかし、いやしくもサムライなら、特に戦国時代的なサムライなら勝つためにあらゆる可能性を追求しなければならない。ほかに手立てが全くなくなった場合には死を賭して最後まで戦う。あるいは「まな板の鯉」になる。それが武士道である。ポーランド戦の場合、もっとも確率の高い可能性がボール回しなら、それが大正解である。
最後にワールドカップというのはスポーツなのか、という反問がある。関係者は謙虚に反省しなければならない。予測だが今回の日・ポ戦の結果、柔道のように消極的として指導という制度が導入されるかもね。すでにゴールキーパーには遅延行為としてイエローカードを出されることがある。川島は常連じゃなかったかな。そういう印象がある。今後はルール改正でボール回しがイエローカードの対象になる可能性もある。しかし、今のルールにはない。観客はつべこべ言う権利はある。金を払って見に来るお客の発言を制限してはならないが、業界関係者、マスコミにはつべこべ言う資格はない。
チョイ追加:
武士道華やかなりしころとして戦国時代をあげたが、徳川時代はすでに武士道は形骸化して「小笠原流」になっていた。戦う男たちの倫理ではなくて体制擁護の御用思想であった。武士道というと平安末期の源平、鎌倉時代、室町はチョイ休みで戦国時代ということになる。
「葉隠れ」は江戸時代の小笠原流である。「武士道とは死ぬことと見つけたり」とかね、あれは武士道ではない。徳川という体制擁護の御用思想である。戦う武士の倫理コードではない。持ち上げるやつはバカである。
日本人は日本が出ない試合でも見るらしい。そのせいか、このごろはどこの局でも、何時の時間帯でもサッカーのテレビ中継がある。テレビをバックグラウンド・ミュージック代わりにしているから最近は細切れだがサッカー中継を見ることが多い。
それで分かったんだが、サッカーというのはパチンコだ、もう少し上品な言葉でいうとコリント・ゲームである。ただし、釘は試合中に曲がったり動いたりする。玉はボールであり、釘はサッカー選手である。穴(ゴール)に玉が落ち込む確率は大変に低い。パチンコそっくりだ。釘がたえず動くあたりはパチンコ以上だ。興奮するわけだ。
ワールドカップをハンデ戦にすれば、FIFAランキングが信用できればだが、日本は負担重量48キロでコロンビアは負担重量60キロだ。それを定量でおなじ斤量を負担させる。コロンビアが勝つに決まっているのが自然だ。
ワールドカップをはじめ サッカーの大きな大会では公式、非公式に多数の賭けがおこなわれている。もっとも非公式というのは情報がないが、そう判断して間違いはあるまい。FIFAランキングが信用できれば、賭博行為が生業の一つであるマフィア、ギャングにとってコロンビア・日本戦は配当は低くても絶対に儲かるカードである。有り金を賭けるだろう。
今回、ハンドで日本にPKを与え退場になった選手に殺害予告が出ている。過去にもオウンゴールした選手が殺害されている。いくらサッカーがコロンビア国民を熱狂させるといっても、一般市民が殺害行為に及ぶとは考えられない。
大損をしたマフィアによって当該コロンビア選手が予告通り殺害される可能性はかなり高い。場合によっては、マフィアは当該選手のハンドは日本に賭けて大穴を狙った客から持ち掛けられた八百長ととるかもしれない。
八百長というのは絶対に有利とみられたチームがわざと負けることで成立する場合がある。ロシア大会でFIFA上位のチームがころころと負けているが、なにか不自然な気がしないでもない。
聞くところによるとサッカーの試合は監督の采配一つで大きく変わるともいわれている。FIFAはよほど客観的な根拠がない限りランキングをつけるべきではない。そして現状から判断するとFIFAにはその能力はない。
テレビでよく人相を見るんだが、これがよく当たる。写真で人相を見るほうが対面してみるより当たるといわれている。根拠を示せ? それが無いんだ。
まあ、量子力学的には説明できるがね。観察者(実験者)と対象人物との間のDisturbanceというか干渉がないからだろう。
で西野さんの代表メンバー発表の記者会見、陰気な顔をしていたね。まえのハリルホジッチ(名前間違っているかな、あの辺の人間の名前は覚えられないのでね)の特徴を一口で言えば陰気ということだが、西野氏も陰気がもろ出だ。かれは前はというか普段はそんな印象を与えていなかったと思うが。
これをみて、まず初戦敗退、一次リーグ全敗は間違いないと思った。もっともこれが日本の実力だろう。これまでのワールドカップでも一次リーグを突破したことは無いし一勝も上げていないと記憶する。だから西野ジャパンがどうだからといって、これまでのチームより悪いということにはならないだろう。
日本はゴール前には攻め込むが、その時には相手の防御陣形は整っている。ようするに日本にはスピードがない。ガーナ戦を見てもそうだった。シュートの技術や決定力がないのも言われている通りだが、相手が防御を固める前に攻め込まなければいけない。それが出来ないなら、密集陣形を突破する技術がないといけないが、そんな選手は一人もいない。
期待するところはだね、ハリルホジッチの陰、西野の陰と続いて、陰の極が陽に転じることはありうる。よく易者が使う手だ。