東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

阿武松ユダの審判長適性に疑問

2019-05-25 10:19:51 | 大相撲

 昨日の栃ノ心戦、どう見てもいいところ、取り直しだ。阿武松は今場所のほかの取り組みで、昨日かどうか、おかしな支離滅裂なアナウンスをしていたらしい。理事会であっと驚く「ユダのような裏切り」で貴乃花を落選させて貴乃花部屋を乗っ取り、理事に当選して審判長になった男だ。どういう思惑で湊親方(?だったかな?)の「目の前で見たほうが正しい]という理屈に雷同したのか。

  眼の錯覚ということもある。何のためにビデオ判定があるのか。両者の判定が食い違った場合は「取り直し」にするのが当たり前だろう。こんな前例でもあったのかな、あったとすればこの機会に取り扱いをはっきりと明文化すべきだろう。

  つまりビデオの死角で審判の視覚を優先するという規定があるのか。なければ阿武松は即刻資格剥奪が適当である。もっともそういう規定があったとすれば、ビデオ判定は無意味だからすぐに廃止すべきだ。

 もし、明文規定がなくて今回の阿武松の『!?!行動』が今後の前例となるなら、相撲協会の財団法人資格は取り消すべきだ。明日はトランプ大統領が観戦する。昨日のような不法、不合理な審判問題がトランプ大統領の目の前で再現されないように処置すべきである。今日から阿武松は外して審判長を入れ替えるべきである。

 

 

 


# 丸山穂高発言は対話篇でいけ 

2019-05-19 19:43:47 | プーチン来日

 筆者は新聞を読まない。ラジオはない。テレビは人寂しい時にバックグラウンドの雑音として流している。そんなわけで正確な全貌は分からない。もちろん一日中鉛筆片手にテレビをみていても、なにも分からないだろうが。

  # 丸山穂高発言 なるものがマスコミ、政界をヒステリー状態に落とし込んでいるらしい。公明党が除名するのはいい。「いい」というのは「しょうがない」という意味である。公明党には問題の案件に党是という明文化されたものがあるのだろう。と推測する、でなければ除名などというアクションは女のヒステリーとかわらない(差別発言でごめん)。

  滑稽なのは落語家のコメンテイタが憲法違反だといったことである。もっと驚いたのはテレビ出演の常連らしい「弁護士」なるものがおなじことを言ったことだ。専門家だろう、しっかりしなさいよ。

  国会議員というのは法律を作る連中である。それが憲法違反だという理由で発現を批判されるのはともかく、発言を封殺しようとするのには驚いた。法律を遵守しなければいけないのは立法府の人間である。役人である。

  国会議員と言えども日常生活では法律に従う。当たり前だ。しかし政治、あるいは政策の話では現行法規に違反するからとか、憲法に違反するからなどと言って除名勧告決議案を出すなどというのは狂人か痴呆とかわらない。

  政治家でも外交交渉の場でこういう啖呵を切るのはまずありえないだろうが、場合によってはありうる。トランプ流とでもいうのかな。

  安部首相がチンタラチンタラとプーチンとやっているのはなにか思惑があるのだろう、いいか悪いかは分からないが。しかし、ロシアのやり方は結婚詐欺だと思っている日本人はおおいだろう。返還になびくと見せかけて経済協力、援助だけをだまし取ろうとしているとしか見えない。

 冒頭にも書いたが、丸山議員の発言報道がよく分からないものの、乱暴で感心しない発言だろうと思うのは普通だろうが、除名勧告決議を本気で考えているなら喧嘩両成敗だ。

 ここはプラトンの対話篇をまねようではないか。丸山穂高議員にたいして言論で意見や批判をぶつける。それにまた丸山議員が反論するといったやり取りを繰り返すうちに、お題目のように盲目的に唱えてきた問題点があぶりだされてくる。それが政治ではないのか。

 

 


天皇制フエーズ7:父子の業

2019-05-12 07:45:25 | 生前退位

 平成天皇時代は父の昭和天皇の業績を引き継いだものと言える。昭和天皇が果たせなかった沖縄訪問を皇太子時代に天皇の名代としておこなっている。その後昭和平成時代を通じて沖縄には実に18回訪問している。独自のものとしては海外、南太平洋のかっての激戦地に慰霊の旅を実施した。

  また、記憶に新しいこととしては各地の大災害地を訪問したことが特筆されるだろう。もっとも平成時代は異様に大災害が頻発した時代という印象があるが。

 


昭和天皇が実施した有史以来最大のパラダイム・チェンジ

2019-05-11 07:47:45 | 生前退位

 国民は天皇の声を昭和二十年八月十五日正午のいわゆる玉音放送で初めて聞いた。

放送事業開始前は国民が玉音を聞く機会は勿論なかった。放送事業開始後も天皇が放送で話すこともなかった。極端な神格化を進めたので、神の声が民草の耳に聞こえるわけがない、という政権側の配慮である。八月十五日正午、国民は初めて「へえ、こういう声をして(いらっしゃるのだ)」と聞いたのである。

  天皇は1946年(昭和二十一年)から1954年まで全国巡幸を始めた。国民は声を聞くだけでなく、天皇の姿を間近に拝見し、国民に語り掛ける姿に接したのである。これは実に有史以来最大のハラダイム・チェンジであった。

  勿論昔から天皇が巡幸で地方に行くことはあったが、吉野や伊勢など各地の神社聖地へ国家安泰の祈願に行くためで国民に接することが目的ではない。昭和天皇の巡幸は各地で熱烈な歓迎をうけ、国民に感動を与えたが、大戦の内地への惨害がようやく終わった翌年のことである。このことは戦争の責任が奈辺にあったかを、国民がどう理解していたかを如実に物語っている。

  それは理不尽な欧米諸国による日本に対する徹底的経済封鎖であった。またその経済封鎖という相手側の挑発戦略にまんまとはまり、軍部政府が幼稚な対応をしたためであると国民は理解していたのである。

  この国民の熱狂は対外的にも大きな影響、印象を与えたことは間違いない。戦勝国の対日政策の変換にも影響を与えた。

  


Phase5:終戦後昭和天皇崩御まで、人間宣言

2019-05-09 07:33:39 | 生前退位

 戦後の天皇制の法的基盤は勿論現行憲法であるが、それより一年以上前の昭和二十一年年頭に渙発された詔書が方向を決した。いわゆる天皇の人間宣言と言われるものである。時系列的に記すと

 昭和二十年八月十五日 終戦

昭和二十一年一月一日 天皇の人間宣言(年頭の詔書)

昭和二十一年十一月三日 新憲法公布

昭和二十二年五月三日 新憲法施行

  この詔書は一千語以上の長いものであるが、その中に次の一文がある。

 「朕と爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛ニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説ニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神(あきつみかみ)*トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延イテハ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニ有ズ。」

 *現人神(あらひとがみ)

  戦前の一時期の天皇の極端な神格化で一番迷惑したのは昭和天皇御自身だったろう。この年頭の詔勅は軍部などによるストーキング行為ともいえる一方的神格化への決別を表明したものである。

  世上ではこの人間宣言はアメリカ占領軍の圧力によると言われるが、必ずしも占領軍の一方的なイニシアティブとは考えられない。天皇の意向とアメリカの意向が折り合った結果と見るのが妥当だろう。

  三島由紀夫などはこの表明に大いに不満だったらしい。なぜ新憲法の折衝(アメリカとの)が終わるのを待てなかったのかという意見もあるらしい。つまり、もっと交渉すれば「象徴」より旧憲法に近いステイタスが実現できたのではないか、ということらしい。あるいはそうかもしれない。しかし、他方天皇が方針を示さなかったら交渉は混乱して政情は不安定化していた可能性も大きい。なにしろ終戦直後の大混乱期である。旧軍による巻き返しもありえた不安定な時代であった。

 


天皇制の推移

2019-05-08 08:12:36 | 生前退位

 次のように区分するのがよいのではないか

 Phase1 古代から飛鳥時代、大化の改新まで

 天皇の呼称はない。倭国の王たちのなかでの最強の国の指導者が大王あるいはオオキミ(大君)とよばれた。スメラミコトなどとも呼ばれた。それがだんだんと集約されて大和朝廷となる。それにつれて実質的に政治をつかさどる有力部族(現代で言えば有力官僚かな、政治派閥かな)がはっきりしてくる。最後に物部氏と蘇我氏の戦いとなり、朝鮮半島からの渡来人系の蘇我氏が政治を壟断するようになる。これに反発して藤原鎌足や中大兄皇子がクーデターを起こして蘇我氏を滅ぼす。いわゆる乙巳の乱であり、大化の改新が始まる。大化は日本初の元号である。その過程で天皇の呼称が定まる。

 Ph2 12世紀末まで

 朝廷親政はやがて古代末期のように、政治権力が朝廷の一部勢力に独占される。まず大化の改新の功績で藤原氏、ついて台頭し始めた武家勢力の平家の天下となる。

 Ph3 12世紀末から19世紀中葉まで

 治承四年(1180年)以仁王の令旨を掲げて源頼政が平家に武装蜂起する。蜂起は数日で鎮圧されるが半年後に源頼朝が同じ令旨のもとに伊豆で挙兵して平家を滅ぼし鎌倉幕府を樹立する。その後天皇親政を復活しようとする武装蜂起があったが失敗する(建武の中興)。蜂起失敗後、南朝という地方亡命政権がしばらくは存続したが、以後武家政権は足利幕府、室町幕府、戦国時代、豊臣、織田の天下統一に続き徳川幕府が19世紀半ばまで続いた。この800年間にわたる武家政治の間、天皇ということは朝廷側が自ら言ったこともなく、他からも呼ばれることもなかった。武家の政権が朝廷をどう呼んだか知らないが、興味がある。お上といったか御所とかミカドとか? 幕府と朝廷が文書でお互いにどう呼んでいたのであろうか。また文書を出す時にどういう手段、経路をとっていたのかは興味のあるところである。ほとんどが公家を経由しての実質的な命令であったであろう。

 Ph4 明治維新後、大東亜戦争敗戦まで

明治維新はもちろん薩長が中心となって「関ヶ原の恨みをはらす」情念に基づいたものであるが、表向きの耳触りの良い大義名分は「天皇親政の復活」であった。だから天皇の勅書を偽造したなどという疑いが後で持ち上がったのである。

  とくに明治後期以降、意識的に神格化が行われた。明治の元老政府は、文明開化はいいが社会主義の勢力勃興に不安を感じだした。元老山形有朋は同郷の物知り森鴎外に非公式にこの不安を相談した。「欧米には社会を支えるキリスト教という太い柱があるがわが国にはない」というのである。

  森鴎外は外国語が堪能で哲学書なども読んでいた。それも主流ではなくて傍流の思想に入れあげる傾向があった。彼の言葉に「19世紀は鉄道とハルトマンを生んだ」というのがる。ハルトマンはエドゥアルト・ハルトマンのほうで「無意識の哲学」の著者である。現代彼の著書を見つけるのは難しい(特に日本では)。

  ほかにファイヒンガーという贔屓の哲学者がいた。アルツ・オプ(as if)の哲学というのを提唱した。「かのように、の哲学」である。森鴎外は山県に言った。「日本にはお上があらせられるではありませんか。日本人には神のようなお方です」。山形有朋はこの案を採用した。しかし、思わぬところで足をすくわれた。軍事官僚がこれを利用したのである。政治感覚ゼロ、戦略眼ゼロ、政策能力ゼロで、しかも始末に負えないほど徒党感覚の発達した陸軍士官学校、陸軍大学校出身の純粋培養された軍事官僚が維新の元老たちが世を去ったあと、錦の御旗を手中に握ってしまったのである。討幕運動の活動家が錦の御旗を手に入れた過程にあいまいなところはあるが、その後の彼らの功業は立派であって過程云々の議論も吹き飛んでしまったのだが。

 F5 終戦後昭和天皇崩御まで

  次回に述べる。

F6 平成天皇時代

 次回に述べる。

 


Sustainability of Tennno System

2019-05-07 10:04:24 | 生前退位

  政治的あるいは国民的な制度として天皇制は歴史的にいくつかのフェーズを経てきている。その辺の認識が将来を展望するためには必要であろう。

  勿論現今問題になっているように血統論の観点からの考察も重要である。それと関連して古い言葉で言えば制度を支える藩屏への考慮も必要である。また、house holdのバックアップ体制も問題があるように思われる。

  血統問題はこれをしばらく措き、まず歴史的な問題である。はじめにお断りしておくが筆者は小学生レベルの歴史知識の持ち主である。問題点があればご指摘を請う。

 


小室問題に参戦する有名人?

2019-05-03 08:43:34 | 街で拾った話題

 秋篠宮家の小室問題が週刊誌ものから知名人?コメント・レベルにフェーズ・アップ(ダウン)したようだ。今朝のインターネットで三つ見た(三人見たと言わないと失礼かな)。すなわちデヴィ夫人、小林よしのり、竹田旧宮家?プロ小室2、コン小室1という割合だ。

  「手鍋下げても」という言葉がある(あった?)。それなら反対できないだろう。なにしろ現代だから。しかし移行手当(ゴッド・レジスターからシビル・レジスターへの)が多額の税金で支払われるなら、それなりのふるまいが必要である。国民を納得させる品位が必要である。

  小室氏側はこの要件をまったく満たしていない。「手鍋下げても、でもかまわない。飛び出して来たら僕がしっかりと受け止める」という態度をみせれば話は別である。留学して金を稼げるように努力するから待っててね、ではお話にならない。

  この種の問題で女性を待たせるなんて最低、論外である。大体弁護士という職業は昔は三百代言といってむしろ賤業といわれたものだ。その1パーセントは大金を稼げるとしてもだ。