東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

ニュースの感じ方、靖国

2005-10-28 22:35:04 | 靖国

まず、つぎの記事を見てください。

『靖国参拝:米下院外交委、日本に非難書簡

 【ワシントン及川正也】米下院外交委員会のハイド委員長(共和党)が、小泉純一郎首相の靖国神社参拝を非難する書簡を加藤良三駐米大使あてに送っていたことが24日分かった。複数の韓国メディアが報じ、日本政府筋も書簡の受け取りを確認した。

 ハイド委員長は20日付の書簡で、靖国神社を「太平洋戦争での(日本の)軍国主義の象徴」と指摘。「第二次世界大戦での戦犯も合祀(ごうし)しており、日本政府関係者の度重なる神社参拝には抵抗感を感じる」と批判している。

毎日新聞 20051025日 1214分』

わたしはこの趣旨のニュースを半島系のでっち上げ、思惑報道を無批判に垂れ流す、あの悪名高いNHKで見た。たしか25日か26日だった。おやと思ったので(この記事を見ておや?と思うくらいの感度は欲しいものです)、翌日の新聞を注意して読んだが記事が出ていない。

他のテレビでも報道しているのに気がつかなかった。そこでインターネットで検索したのが上の毎日新聞の記事です。これ以外はマスコミの記事は見当たらない。赤旗とか2チャンネルの話題は検索に引っ掛かる。半島語で検索すればどっさり出てくるのだろう。2チャンネルの受け売りだが、アメリカのマスコミ(CNNなど)やウェブサイトでもこのニュースは検索に引っ掛からないそうだ。

したがって、手紙の内容も確認の仕様がない。どのような文脈でどのような言及があったのか分からなければ話しにならない。おかしな点はいろいろある。文書は報道を見ると駐米大使あてで、日本政府あてではないように見える。なぜ、このような問題を駐米大使に当てた手紙に書いたのか(本当だとして)不可解だ。なぜ、日本の大使あての手紙の内容が半島マスコミの手で報道されたのかも妙だ。

一言半島人の喜びそうなことを言っておくが、アメリカ人であれば東京裁判は、批判されることには敏感になる微妙な問題である。たとえ、共和党員であっても。それにこの人は戦時中はフィリピンでマッカーサーのもとで従軍した人らしいから、上司が取り仕切った東京裁判が間違いでしたなどというわけがない。逆の立場の日本人が東京裁判はまことに結構でしたといえないのとおなじことだ。しかし、これは個人の心情の問題であって、外交委員長という要職にある政治家が面と向かって日本にいうとも思われない。そこが確かめたいところだ。しかし、半島発の情報だけでは判断のし様がないではないか。

この「報道」の仕方はなにやら臭う。日本のマスコミで真相、経緯を徹底的に追究してもらいた。


昭和初期における「右翼」の三大過誤

2005-10-26 18:39:22 | 国際・政治

1・大陸、半島のセン族(福沢諭吉の言うアジアの悪友)への過大な少女趣味的感情移入

相手に利用されるだけ、貢ぐだけ貢がせて役に立たなくなれば今度はストーカー扱いされるだけである。

福沢諭吉は東アジアへの気を許した接し方に警鐘をならし脱亜入欧を主張した。

2・思想未熟な下級職業軍人(陸軍士官学校出の尉官)を利用しようとしたこと 226事件など

3.それに失敗するとエリート軍事官僚をパートナーとしたこと。結局彼らに利用されただけ。エリート軍事官僚とは陸軍大学校恩賜の軍刀組である。いわゆる2の皇道派に対して統制派といわれた。東条がその典型である。

現代の改革への教訓

上記2,3とも他人のふんどしで相撲を取ろうという安直な考え方で結局自分のほうが利用された。

「軍国主義者」が職業軍人であるとすれば、その本質は権力を握る官僚である。現代の経済、行政官僚とその性向、無責任体質、強欲権力欲はまったく同じである。したがって、往時を知らない若者も容易に「軍国主義者」のイメージを脳裏に浮かべることが出来る。大蔵官僚、外務省官僚などをイメージすればよい。

教訓:改革を成功させようというなら、政治家を官僚からリクルートしてはならない。


なぜって言われても、ねえ石原慎太郎さん

2005-10-25 19:58:05 | 東条英機

発行部数が9万部あまりある月刊誌に「なぜですか、石原さん!」という*緊急投稿*が載っている。石原慎太郎都知事が産経の連載で靖国問題に触れたことについて異議を唱えているようだ。

ボディブローのように大衆の意識に打撃を与えて国家の進路にまで重大な影響を与える事件がある。あとになって、なるほどあれがねと気がつけばいいほうで、国民の深層意識に決定的な影響を与えながら正面きって論議されない事件がある。発生当時は世間を賑わせても、まもなく誰も論じなくなる。同世代の人間のこころのなかにはっきりと記憶していても子供たちには語り継がれない。なぜならそれは負の記憶、忌むべき記憶であり、国民一人一人の恥辱だから、子孫に語り継ぐのも無意味なことと考えられるのである。

東条英機の自決失敗はまさにそのような「死に損ない」であり、生き恥を一番さらしてはいけない人間の「生き恥」であった。

非人道的な連合軍(アメリカ軍を中心とする)の大量殺戮、都市民間人への無差別爆撃、原爆投下などに対して、普通なら国民は復讐を誓って一億総赤穂浪士になり、鬼となって子々孫々にこの恨みを伝えていくのが人情であろう。それが、まるでつき物が落ちたようにコロリとアメリカになびいたのはなぜか。

一つには東条の自決失敗のショックである。信じていた軍事エリートの醜態をみたからに他ならない。この感情は当時の大人には不思議でもなんでもない。職業軍人は勿論のこと、兵士、銃後の愛国婦人会、軍国少年、軍国少女すべてが、東条の実像に深刻なショックを受けたのである。当時の手記を見れば分かる。

それが、ああ戦後60年、彼を美化する風潮が出てきた。忘却の灰の中に再び彼岸花が咲いたのである。記憶が語り継がれなかったのであだ花が咲くのである。

東条英機の自殺未遂の状況については同情すべき点は一つもない。「覚悟」、「武士の心得」に欠けたものである。大体、武士は弁解しないものである。本人は勿論出来ないわけであるが、誰かが成り代わっていいわけをいうのは見苦しい。もののふはあげつらわないのである。

彼の合祀については特に強い意見はない。しかし、他と区別のない一祭神としてである。それにしても「昭和殉難者」というのは彼らだけのものではありますまいね。もしそうなら、いかにも大げさで不適切だ。

それにしても、不勉強な人が多い。戦時中東条をもっとも忌み嫌って非難したのがいわゆる「右翼」の人だったのにね。赤尾敏などもその一人だった。赤尾をかばったのが中野正剛だが東条の憲兵によって自殺に追い込まれた。中野正剛は遺書で後事を引退していた頭山満に託したのである。


片山さつきのヘアスタイル

2005-10-23 13:19:38 | 小泉首相のマドンナたち

ぼんやりテレビを見ているものですから今まで気がつきませんでしたが、片山さつきさんの最新のヘアスタイル(前髪両垂らし)は彼女と選挙を争った城内実さんとまったく同じになったんですね。男女いずれでも珍しい髪型ですが、ライバル同士が結局おなじヘアスタイルになるなんて、これも妖怪片山さつきの納豆力ですかね。違いは城内さんのはストレート、片山さんの髪は左巻きというところですか。

それともタコの擬態みたいなものですかね。髪型まで同じになっちゃうというのは。


井口二塁手はさっぱり

2005-10-23 13:08:20 | スポーツ

ワールド・シリーズの第一戦はシカゴ・ホワイトソックスが5対3で勝った。井口二塁手は5タコだった。調子が下降しているのかな。

それにしても、彼はずいぶんホームベースから離れて立っている。背の低い(つまり手の短い)彼は外角のタマにはバットが届かないだろう。案の定外角は空振りする。そして内側のタマは打ちやすいだろうに、ほとんど見逃している。

普段からあのスタンスなのかしら。何回かぶつけられたから遠くに立つようにしたのかな。ギーエン監督に守備さえしっかりやれば打たなくてもいいといわれたのかもしれない。


片山さつき、進化する化粧2

2005-10-22 10:51:49 | 小泉首相のマドンナたち

母親から女性の容姿を批評してはいけないとしつけられたものだが。

さはさりながら、言い出した責任もある。つまりフォローする責任もある。土曜日の朝のテレビに彼女が出演していた。偶然あわせたチャンネル4である。話題はつまらなかったが、責任もある。我慢してちょっと見た。注:「さは、、」は「然は然り乍ら」と書く。

ヘアスタイルを変えたね。左半分の前髪を垂らしていたのを両側に垂らした。たそがれ時に裾を絞られたカーテンのようだ。額の中央の下半分がちょっとだけのぞく。工夫改善のあとが見える。癖があるのかアブラか整髪剤を付けているのか髪につやが出ていた。まあ、「まだあげそめぬ前髪の」、という年齢でもないが。

この間、地下鉄でかわいらしい髪型を見た。前髪を皆同じ方向に軽く流している。後ろは肩までの長い髪だった。さつきさんに教えてあげようと思っていたが、先に改善したね。前髪が右まきか左巻きか癖があるなら、全部おなじ方向になびかせるのも一法かと、今後気分を変えるときにご参考あれ。これなら癖を直すための整髪料もいらない。以上 篤志アドバイザーより。

ところで、正直なところ杉村太蔵君より片山さつきさんのほうが先輩の指導が必要のように感じられた。やたらに、文脈の中で違和感のあるカタカナが出てくる。サステイナブルだとか、ランニングコストだとか。そのたびに、司会者が親切に注をいれていたが、彼女は司会者の思いやりのある示唆にも気がつかずにカタカナを頻発する。どういう場所で、どういう聞き手を想定して発言しているか。そうしてTPOにかなった言葉遣いをするのはIQに関係する。もっともアクセントというかイントネーションというかは日本語的カタカナ的であったのはTPOをわきまえていたというべきだろう。

日本語もおかしいね。タイソウという言葉が出てきた。おそらく「大宗」ということだろうが、典型的な官僚用語だ。適切な言葉遣いというのは知性の問題であることを忘れないように。

彼女はテーブルに肘をついて話すがよくない。食事のマナーと同じだ。以上これも篤志アドバイザーより。

片山さつき女史に捧げる新体詩一首

四十路をすぎて はや六歳(よそじをすぎて はやむとせ)

まだあげ初めぬ 前髪の

テレビのなかに 見えしとき

額にはしる 三本の

皺ある君と 驚けり

ある床屋曰く あれだけの皺は顔の皮が相当厚くないと出来ないそうです。

いろいろブログを見たが彼女の評判はひどいね。無理もないが。


アイリス・チャンって誰

2005-10-21 17:54:22 | 靖国

アグネス・チャンの本名なの? というわけでグーグルで検索して見ました。「ザ レイプ オブ ナンキン」の著者なんですってね。

産経新聞朝刊の一面に「産経抄」というコラムがある。20日の産経抄によると、ニューヨーク・タイムズが社説で、小泉首相の靖国参拝は「日本軍国主義の最悪の伝統を公然と奉じる挙に出た」とおどろおどろしい非難をしたそうだ。

ニューヨーク・タイムズは衆議院選挙で小泉自民党が圧勝したときに、日本の民主主義は幻影だとか、マスコミは皆自民党路線とか頓珍漢な記事を書いたそうだ。日本の民主主義は韓国、台湾に劣るとも書いたとか。

アメリカはたとえ民主党系の学者でも客観的な日本研究の伝統があっただけに最近のアメリカ精神の退廃には目をおおうものがある。

それでアイリス・チャンだが、産経抄はニューヨーク・タイムズの記者のアンチョコは「ザ レイプ オブ ナンキン」ではないかと皮肉ったわけだ。私は総選挙の時の記事は亀井静香あたりの発言を鵜呑みにしたのかなと思った。彼は自民党の重鎮だったし、小泉首相のことをしつこく、独裁者だとかヒットラー以上だとか、国民をマインド・コントロールにかけているとか、逆上気味に喋り散らしていたからね。

しかし、参拝批判の口調を見るとそればかりではないようだ。アイリス・チャンのベストセラーも影響があったろうが、私は記者の中に、あるいは記者の家族、情報源のなかに、中国系アメリカ人、韓国系アメリカ人がいるのではないかと思う。それでなくてもこのごろのニューヨークタイムズはおかしいからね。捏造記事をでっちあげて解雇された黒人の記者(たしかそれでピューリッアー賞かなんか受賞した)がいた。最近ではCIAエージェントの氏名漏洩報道で最初はヒロイン扱いされたが、なにか胡散臭さが漂ってきた女性記者がいる。新聞がしっかりしていれば、こういう人たちの記事がストレイトに載ることはないのだが。

もともと、ニューヨークタイムズは民主党系だ。靖国を中韓のいうように東京裁判のA級戦犯合祀に強引に結びつけると、アメリカは後ろめたいところがあるだけに、余計敏感に反応する。まして、民主党最強のルーズベルト大統領が東京裁判を仕切ったわけだから自己防衛反応もあるだろう。

最近アメリカの権威は凋落が著しい。少し前にエネルギー企業のエンロンの不正経理、粉飾決算が明るみに出た。これくらい、日本をはじめ世界でアメリカ資本主義を信奉する国で信用を失墜した事件はないだろう。不正経理を助けたのが公認会計士だというのだ。戦後の日本でアメリカの公認会計士制度は自由主義経済信頼の土台をなすものと理解されていた。アメリカ信仰のシンボルだった。事件を聞いて虚脱感におそわれた人たちは多いであろう。

アメリカの情報収集能力のいい加減さも明らかになった。イラク攻撃前に国連でおこなったパウエル国務長官の大見得演説も嘘っぱちだった。エンロンといい、パウエルといい今回のニューヨークタイムズといい、なにか、アメリカの挽歌を聞いているような気がする。


小泉純一郎首相、インフレはいけない

2005-10-19 08:33:30 | 靖国

靖国神社参拝に対するシナ、半島のイチャモンについて『誠意を持って説明を続けていく』だとさ。いい加減にしなさい。のんきなものだ。

そんなにややこしい説明ではあるまい。これまでに何度となく、シナ、半島には説明してきたではないか。決まり文句になっている冒頭のセリフは裏をかえせば、これまでしっかりと説明していなかったということになる。もしそうなら、あなたは首相をやめなければならない。そんなことはあるまい。

目を皿のようにして日本のマスコミ情報を漁っている奴等だ。小泉首相の説明などとっくに承知である。ようするに聞く耳を持っていないのだ。はなから了承する気がない。小泉首相の説明でこれまで不足している点がある。もし、さらに説明、説明というならその点をはっきりと伝えよ。

すなわち、自国の戦没者の追悼慰霊に他国の干渉を許さないとはっきりと言うべきである。『二度と戦争をしないという不戦の、云々』などということを繰り返す必要がない。

言葉も無意味に繰り返すと空虚に響く。言葉のインフレは言葉の値打ちを下げる。それが重要、神聖なことである場合には余計だ。弁慶の勧進帳ではあるまい、小泉首相の馬鹿の一つ覚えのような『説明』は死者の霊に対して冒涜的ですらある。

一番心配なのは、テレビを見ている子供たちに対する影響だ。なんて首相の言葉というものは軽いものだろうと思うだろう。毅然とした態度をとれないのは、ひょっとすると相手のほうが正しいのかな、と思っても不思議ではない。現に、戦後教育を受けてきた大人の世代にもそういう影響が顕著である。シナ、半島は首相が参拝をやめなくても、大きな成果を上げているのである。そのゴールをアシストするようなことをしてはならない。

10月20日:補足

同じ言葉を無意味に繰り返す小泉首相の典型的な例として『適切に判断する』というのがある。たまに言うなら、そうしてタイミングを誤らないならピリッと効くこともある。

しかし、無意味、無内容に繰り返せば白痴化の様相を呈する。はっきりと拒絶するなら、相手の反発は強くても馬鹿にされたと思われることはない。大体価値観を共有しない世界(国際社会は大体そうであるが、シナ、半島は特にそうだ)では『適切に判断する』という言い方はまったく意味を持たない。価値観の共有があってこそ、『適切に判断する』内容が相手に伝わるのである。

一度はっきりと『同じことは二度いわない。あなたの主張は理解できない』あるいは『、、拒否する』と言ったらどうか。相手もはっきりと拒否されたことがわかれば別のアプローチをするだろう。そこで進展があるやもしれない。

『適切に判断する』という発言は発言者自身の白痴化を演出する。相手は馬鹿にされたと思いはっきりと拒否された以上に怒る。なにもいい事はない。『適切に判断する』といわれてはぐらかされたと思われても弁解できない。また、ああ、俺たちの主張を受け入れたじゃないかと後でいわれても抗弁できない。まったく、小泉首相の傍に居る馬鹿は輔弼の責務を果たしていない。


片山さつき、進化する化粧

2005-10-18 08:46:53 | 小泉首相のマドンナたち

外国人記者クラブで話す彼女をテレビで見た。カメラのアングルか、それともお化粧がうまくなったのか額の皺が目立たなかった。下から撮ると目立たないかもね。彼女にもお化粧アドバイザーが付いたのかな。

再三、おかっぱにすることを勧めてきたが、思い切って髪をあげて、オールバックにするといいかもしれない。ピンクスーツの同僚がいるでしょう。井脇ノブ子さん。ああいうふうにオールバックにして、ゴルバチョフの痣のようにトレードマークにするといいかも。ゴルバチョフの額の痣はあきらかに彼の幸運の星だった。もしカツラでも被ってごまかせば書記長にはなれなかっただろう。片山さんも今の中途半端はいけない。改革官僚なんだから。

さて、猪口邦子、片山さつき、佐藤ゆかり(アイウエオ順かつ年齢順?)のほかにも小泉マドンナは沢山居るようですが、テレビの露出度ではこの三女史が抜けているようです。このなかで、役人あがりのせいか、片山さんが一番新鮮な感じがすくない。

節目節目に、というよりかはカゼ向きの変るたびに、あたらしいカゼが吹くたびに、利口な官僚は政界への転身を試みます。古くは、あまり古くて驚いてはいけませんよ。満州事変からシナ事変の頃、政治づいた『革新官僚』というのがいた。満州国建設やわが国の国家総動員体制の整備に能吏ぶりを発揮し、軍部や政界と密接な関係をもった。

最近では、といっても前世紀になりますが、1990年代の前半、自民党単独政権が終焉すると、目端の利いた官僚たちはどっと、当時雨後のたけのこのように出来た政党に参加した。小沢一郎とか細川元首相のまわりに群れ集まったものである。現在民主党に当時の転進者が相当いる。小沢チルドレンなんていう言葉もあったな。

片山さんの先の国会のデビュー演説を聞いても、政治家が国会に呼びつけた役人を詰問するような口調を裏返して民主党にぶつけている。新味がない。彼女は『まんざら知らない世界から来たわけでもない』と取材記者を脅かしたらしいが、それはそうだろう。だからあんまり新味は期待できないということだ。瑣末な役人と国会との慣習、因習には詳しかろうがね。

国会の事務局で働くというなら官僚時代におぼえた慣行の知識は役にたつかもしれないが、政治家としての力量とは関係ない。

素人くさくないということはメリットではありませんよ。大体、役人というのは役所の大きな権力を自分の実力と錯覚するところがある。

短評:調教がけするが実戦ではどうか。1,2戦見送りか。


小泉純一郎 at 靖国

2005-10-17 20:39:08 | 靖国

午前中、小泉首相が靖国神社を参拝したテレビの絵を見て2002年にブッシュ大統領夫妻が明治神宮に参拝した時を思い出した。やはり賽銭箱の前で夫妻が拝礼する絵だった。

例年首相が本殿で参拝するときは、カメラが入れないようになっているのか、拝礼するところは放映されない。ちらっと祭壇の近くが見えるときもあるようだが、はっきりとわからない。

それに、御祓いとかいろいろ秘儀的なことがあるのでしょう。それもいいが、今日の絵は首相が拝礼する姿を(それが一番大事だが)一部始終はっきりと写している。かえって国民に対するアピールがあるのではないか。

今日のやりかたは小泉さん独特のシナ、半島のイチャモンをすり抜けようとする姑息な動機も若干あったかもしれないが、怪我の功名というか、これはこれでなかなか善い様に思う。

2002年のブッシュ大統領夫妻の場合、向うの希望は靖国神社だったらしいが、外務省の媚中派が慌ててつぶしたらしい。それで明治神宮になったらしいがね。

見えないところで秘儀的な祭祀に参加するというのもいかにも土俗的な神道習俗でいい。しかしイチャモン派はその秘儀的なところに宗教のニオイを嗅いで余計な揣摩憶測をするきっかけとなっているようだ。ま、今日の方法もいいところがあるということだろう。

10月20日補足:

ただし、ポケットから賽銭を出してチャリンというのはいただけない。工夫が必要だろう。