東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

時津風力士急死(パンセ風)4

2007-09-30 09:17:25 | 社会・経済

+ 相撲診療所の不思議

相撲診療所というのがある。東京にあるのだろうが、名古屋など地方場所とか巡業の時には医師は帯同しないのか。自己宣伝か知らないが、相撲診療所と言うのは大変先端的な施設だと自慢しているのを聞いたことがある。

力士は特殊な体型をしている。食事法も特殊だ。怪我も多い。そういう力士を対象にした医療では先端的とか言っていた。どういう規模か知らないが、名古屋にも当然何人か行っていたのではないか。

今回の事件で相撲協会の医師の名前が出てこないのは不思議だ。朝青龍騒動の時は所長というのが出てきたが、序の口あたりの相手には診療はしないのかネ。

平成で12人死亡という異常な数値でも相撲診療所は何の手もうたなかったのか。医師の倫理に欠けたところがあるようだ。


時津風力士急死(パンセ風)3

2007-09-29 11:59:10 | 社会・経済

+ 示談進行中か

婦女暴行罪は親告罪と聞いた。傷害致死は親告罪ではなかろう。法律専門家の諸君教えてくれたまえ。時津風と両親の間には弁護士も入っているようだから賠償金で示談進行中とも考えられる。しかし、警察が示談の成り行きを傍観しているような事案ではなかろう。

こういう事件になると、とかく「被害者」についての報道は「プライバシー考慮」で隔靴掻痒の思いをするが、問題の性質上「被害者」にも耐えていただいてマスコミは十全で万遍なく報道することが必要だ。それが出来なければ最初から報道せんほうがエエ。それが結局加害者追求のためにもなるのだ。

++ 文科省も指導に乗り出したようだ

今朝の新聞によると渡海文科相もキタノウミを呼んで指導に乗り出したようだ。後ろチョンマゲの松浦副大臣もなかなか厳しく指導したようだ。朝青龍のときのように陰で妙な動きをすると当ブログに何を書かれるか分からないと思ったのかもしれない。

余談だが、絵を見ていて思ったのだが、キタノウミみたいに太るとお辞儀が出来ないのかな。体を前に折り曲げられないらしい。呼びつけて指導した文科大臣が90度近く腰を折って頭を下げているのにキタノウミは傲然と突っ立ったままだ。あんまりいい絵じゃないぜ。

副大臣の今回の動きは政治的反射神経があった、とほめておこう。

+++ 死亡率の差の有意性

過去十年の同様な事故死、急死を調べて報告しろというのが文科省の指導点の一つに入っている。私の記憶では過去に同じような下位力士の急死はマスコミで1,2件あったかな、と思っていた。ところ驚いたことに平成以降12件もあったという。日刊スポーツの記事にある。

新弟子を含めて相撲協会にいる力士は何人だ。せいぜい500人ぐらいだろう。700人くらいと聞いたような気もするが。事故が新弟子クラスに集中しているから死亡率は実際にはものすごい高率になる。

ほかの野球やレスリング、柔道、ラグビーなどの激しいスポーツでもこんなに高い死亡率の競技は皆無だろう。野球なんか暑い盛りに長時間ランニングさせて熱中症で死んだなんてのが最近あったからいくらか高いかもしれん。

アマチュアの相撲人口はどのくらいか。プロよりももはるかに裾野が広いだろう。それなのに、アマチュア相撲界で同様の事件を聞いたことが無い。ということは相撲協会の死亡率は相撲の稽古特有のものという言い訳はなりたたない。

しかも、現在の幕内上位にはアマチュア、大学相撲出身者が多数いる。つまりアマチュアの稽古でも十分に強くなるのだ。

むかしは別だよ。昔は小学校卒業でないと力士になれないといわれた。なにしろ中学を出た力士で大成した力士は1、2人しかいなかった。アマチュアの実力とプロの実力では全然違うといわれ、結果もその通りだった。しかしその昔でも今日の日刊スポーツに出ているような信じられない死亡率など存在しなかった(はずだ)。マスコミ君調べてくれ給え。

++++ 財団法人取り消し

昨日の文科省の指導では指導の通り実施して報告しなければ財団法人の資格を取り消すとまで言ったらしい。よく言った。ほめてつかわす。

文科省の指導は不十分でもある。前記に縷々述べたように指導は科学的に行う必要がある。過去十年の事例とはいわず、戦前からの死亡事故をすべて調べて統計的な分析をするべきである。また他のスポーツの死亡率、事故統計との科学的な比較が必要である。またアマチュア相撲との事故比較は不可欠である。

結果によっては財団法人の資格は剥奪する必要がある。また賜杯、総理大臣賞の授与は今後止めたほうがよろしい。NHKには無批判垂れ流し中継を直ちに中止させるべきである。


大河小説「アメリカのエイジェント」

2007-09-28 09:57:45 | 社会・経済

今週の週刊文春から一つ紹介する。「岸信介はアメリカのエイジェントだった!」

今年6月アメリカで出版された下記の書物を紹介した記事である。週刊誌の記事というと電車のナカ刷りであっと驚くような大見出しで明日にも世界がひっくり返る印象を与える記事でも、買ってみるとせいぜい二ページ、なかには一ページなんてのがある。この記事はフル六ページだ。内容もある。

本の名前:LEGACY OF ASHES。HISTORY OF THE CIA

作者:ティム・ウィナー

岸は大方A級戦犯で巣鴨拘置所に放り込まれていたときにCIAに見込まれて交換条件で釈放されたのだろう。戦後のエイジェントにはこのパターンが多い。コダマヨシオもこの口だ。

戦争中の高級軍事官僚、それに協力した「革新官僚(岸もその一人)」、翼賛政治家などからCIAが使えると踏んだ連中を選ぶ。これがアメリカのエイジェントになった日本人たちだ。第一世代だな。

第二世代は初期のフルブライト留学生に多い。向こうに留学していたときにスカウトされる。向こうでフリーメーソンなどの秘密結社に加入してさまざまのキャリアー上の便宜を一生与えられる。また、そのケのあると見込まれると、新しい趣味を教え込まれて、向こうに滞在中にアメリカの有力者と親密な関係を持ちエイジェントにされる例もある。一種の色仕掛けといえる。

第三世代は留学生とか商社マンとかで同じような経路でリクルートされる。日本のテレビのコメンテータという連中に多数見られる。第二、第三世代になると、とくに第三世代では金銭のストレイトな供与は岸のような第一世代とことなり少なくなる。仕事上、研究上(学者が多い)、メディアへの露出などで便宜を受ける。


時津風力士急死(パンセ風)2

2007-09-27 20:46:15 | 社会・経済

+++ 相撲協会の自治能力欠如

朝青龍処分のときの北の湖理事長の対応を批判する人がいる。テレビによく出てくる「コメンテーター」とかいうフリーターとか「スポーツ評論家」だ。私はかならずしもそうは思わない。高砂親方の管理能力の無さ、権威の無さにはあきれてはいるが。

というのは、曲がりなりにも処分の内容は発表されているし、その内容も口頭で追加説明しなければならないほど分かりにくいとか、奇異の思いを抱かせるというほどのものではない。要するに四辻に「このもの不届きな所業あり、よってお仕置きいたし候ものなり」と高札を立てて置くだけでよい。

大相撲の一枚看板(だった)花形だから北の湖が自ら説明しろと言いたいのだろうがね。

ところが、今回の事件はまるで違う。キタノウミはすっとぼけたことをいっている。「警察が調べているから任しておくのがいい。なにも言わないほうがいい」とは何たる言い種(イイグサ)!!

キタノウミも知らないで突然聞かされた話で、すでに警察が動いているならそういうイイグサもあろう。今回の件は三ヶ月も前に報道されている。ことの重要性から直ちに時津風を呼びつけて協会のイニシアティブで聴取、調査をすべきだ。それが協会の責任ではないか。そうしてしかるべき処置をすべきだ。そのために相撲協会という自治組織があるのだろう。まして公益法人だ。その途中で警察が捜査を開始して協力しろ、任せろといわれたなら、その時点で警察に任せればいい。

キタノウミにはこれだけ社会的に大きな存在である公益法人のトップに留まる資格は微塵も持っていない。まえにも書いたが相撲協会の理事くらい役人の古手でも務まる。相撲取りではやはり無理だろう。役人は行政改革で天下り先が減って悲鳴をあげているそうだ。ひとつ相撲協会理事のポストを二つ三つ分けてやれ。

あるいは、財団法人格を剥奪するのがいいのかもしれない。


時津風力士急死(パンセ風)1

2007-09-27 19:05:50 | 社会・経済

パンセ風に、偶感風に書き流していく。パンセ風というのは内容というよりかスタイルなのだ。何故パンセ風かというと;

第二に、書くのが楽だということ。しかしこれだけでは不謹慎であるので勿論第一の理由がある。

第一に、同じ分量の文章により豊富に内容を盛り込める。つまり文章生産性。

+ この急死事件は6月の27日に発生して、マスコミで速報は直ちに流されたと記憶しておる。実家の両親が死因にリンチの疑いを抱いているというフォローもその後続いて報道された。

それにもかかわらず愛知県警(例の愛知県だ。立てこもりで銃撃された警官を放置したところだったね)が3ヶ月もたってから立件の方針をたてたのか。救急車を出動させた消防署も事件性を隠蔽した可能性が強い。同じく関係した医師も。そして警察も。

それがなぜかということが取材の要点になる。彼らが勝手に遠慮したのか。圧力があったのか。圧力といえば、相撲部屋の後援会には地元の代議士や有力者がなることが多い。名古屋場所の直前ということで名古屋場所の勧進元の怖いおじさんが警察に圧力をかけたのか。あるいは朝青龍のときのように文部科学省の副大臣が立ち回ったのか。

時津風親方は両親に断らずに死体を火葬しようと葬儀屋に頼んだらしい。まず両親にご遺体を送り届けて葬儀の手配はそれから実家でするのが当たり前だ。勝手に他人が火葬の手配をするとは。損壊した遺体の証拠隠滅しかありえない。

葬儀屋もおかしいと思ったのではないか。肉親の同意なしに火葬には出来ないというのだろう、実家に電話して火葬が両親の意思ではないとわかり、遺体を実家に送ったらしい。歴然とした犯罪を構成する。警察は何をしていたのか。警察も共犯と言わざるをえない。

++ 事件は戸塚ヨットスクールを思い出させる。ちょっとだけ。実家の事情も報道してくれると読者は腑に落ちるのではないか。

+++ 相撲協会の自治能力欠如(以下次号)


安倍晋三の四つの間違い

2007-09-23 18:25:11 | 社会・経済

福田康夫君が安倍君の後任らしい。今日の産経新聞に「日曜日に書く、失って知る安倍政権の輝き」とある。筆者は政治部の阿比留瑠比さんだ。女性かな。安倍さんの政策はほとんど賛成なんだが、だからと言って彼に委ねては危険すぎた。産経の阿比留さんによれば彼のかわりがいないそうだ。日本の保守層の人材は紙のように薄いらしい。彼に代わる人がいないとは!!

阿比留さんほどセンチにはなれないが、安倍さんの一年から教訓を拾い出してみた。

     安倍君の眼鏡違い

閣僚任命の過ちは初歩的だった。一年足らずの間に天皇陛下の認証を受けた大臣の五人までに瑕疵があったということは、万死に値する不敬罪である。

     安倍君の見込み違い(行き違い)*

就任直後の訪中はアメリカの敷いた路線に乗ったものだと主張し続けたのは、このブログだけらしい。アメリカがどんな思惑でアレンジしたものか、ウカウカ、ウマウマと相手に手玉に取られた。

     安倍君の心得違い*

郵政反対組の復党は安倍君の政治家としての神経に重大な疑念を抱かせた。個人的に言えば当ブログはどちらかと言うと郵政民営化は問題が大きいと思っている。当時の政治になんのかかわりがないものがいうからいい。それに前から言っていることで、自分のいっていることを変節したわけではない。それと、安倍君の行為は違う。

小泉さんのもとで郵政民営化法案を通し、総選挙をし、刺客を送った。それが武部幹事長の職掌であったにしても、小泉内閣を束ねる官房長官だった人物の行為としてはスジが通らない。それが10年後、20年後に引退したあとで回顧録で言うのは構わないだろうが、小泉内閣の直後の内閣であのようなことをするのは不節操きわまる。保守派と言われる人には郵政民営化に疑問を持っている人も多いだろうが、安倍君の行動には不快を感じたものがおおいだろう。まるで親の遺産を受け継いで四十九日も終わらないのに遺言を無視するようなものだ。

     安倍君の思い違い*

「戦後レジームからの脱却」だが、まず瑣末なことから。これは「戦後体制からの脱却」とすべきだったろうね。あまりいい印象をあたえない。ハイカラを気取ったのか、高校の教科書で習った「アンシャン・レジーム」を物まねしたのだろうが、言い方に幼稚さを感じる。

さて本題。安倍君は一体戦後レジームは誰が作ったと思っていたのかな。アメリカが作ったんだよ。アメリカ向けにしかるべき準備をしておくべきだった。それにはアメリカの片エイジェントのような安全保障問題の専門家を側近から一掃して強力なチームを作るべきだった。アメリカに不快感を与えては、このお題目が成功するはずがない。

米下院での慰安婦非難決議案の機運がにわかに盛り上がったのも「戦後レジームからの脱却」がアメリカに対する威嚇と感じられたからにほかならない。


石油恐怖症8(つけたり)

2007-09-22 08:55:34 | 社会・経済

ノドンに狙われても、中国のミサイルが何百発照準を日本に合わせていても、日本人がノンキにしているのは「同盟国アメリカ」の反撃を信用しているからである。相手がミサイルを撃てば一瞬後はアメリカがミサイルを雨あられと降り注ぎ、戦略爆撃機であっというまに相手の国土を煙と灰にしてくれると無邪気に信じているためだ。

アメリカが信用できない、すなわち日本人のために血を流す気がないと分かればあまりノンキでもいられない。太平洋戦争当時のアメリカと同じく在日半島人をすべて強制収容所に放り込まなければならなくなるだろう。アメリカが信用できるか、これが今日のホッテスト・イシューである。

さて話を1941年に戻す。真珠湾攻撃のその日に偶然かどうか、アメリカのB15爆撃機四機がハワイに飛来したという。わたしはいつかテレビ映画で見た。軍事専門家ではない私の知識というのはそのレベルなのであるが、たしか記憶ではその映画はドキュメンタリーであった。まさかウソをつくまいと思うのでその前提で話を進める。

B15というのはエンジン四つの長距離爆撃機で試作機という性格が強く実戦配備は結局されなかったようだが、後のB29などの長距離重爆撃機の開発に貴重なデータを提供した。1937年に一号機が飛んだ。その後種々テストを繰り返していたらしい。

この間、スペックを再確認して仰天した。航続距離が8250キロとある。ハワイから日本を直接爆撃するのは難しいが、グアムからなら悠々日本全土を爆撃できる。後に日本全土を爆撃し東京大空襲、長崎、広島への原爆投下したのはマリアナ諸島基地(グアム、サイパン、テニアン)から発信したB29によって行われた。そのB29でさえ航続距離は5200キロである。

もっとも、当時グアムの近くのサイパンは日本領であったから、グアムを基地とするにはサイパンの日本軍を壊滅させなければならない。これは至難であろう。

当時はグアムを使うのが難しいのでおそらくフィリピンの米軍基地まで持ってくるつもりだったのだろう。マニラからだと台湾は勿論、九州、近畿地方への襲来は可能である。関東地方も射程圏に入るだろう。

日本軍は1941年12月にB15がハワイに飛来するという情報を得ていたかどうか不明である。B15情報は極秘であったろう。しかし、1937年からテスト飛行を繰り返していたので、漠然とではあるがB15の情報は持っていたにちがいない。その航続距離の情報もつかんでいたと思われ、神経を尖らせていただろう。アメリカの軍用基地は日本のスパイが監視していただろう。あるいはその前の極東配備計画の段階で情報を得ていた可能性もある。

折からの険悪な日米関係のなかでB15のハワイ到着はまさに三浦半島沖や房総半島沖に敵空母艦隊が現れたのとおなじ意味がある。日本が宣戦布告と同じと看做しても無理は無い。


総裁選謀略情報の本当の出所

2007-09-21 18:19:58 | 社会・経済

麻生が首相の辞意を二日目に知っていた、いやほかにも知っているのがいる。あるいは、安倍首相が麻生にだまされたとか与謝野に実権を取られたと歯軋りしたとかイロイロあるようだ。

本当のところ、デドコロはおふくろさんじゃないの。一番ありそうなはなしだ。何しろ岸の娘だし、晋太郎のしりを引っぱたいていた人物だ。ついでに言えば安倍の人事はおかしいのが多い、赤城などというのはその最たるものだが、これは彼女が仕切っていたといえば納得じゃないの。晋太郎時代以来の知り合いだとかに当てはまる。


石油恐怖症7

2007-09-21 08:28:21 | 社会・経済

戦略的決断というかね、大兵力の思い切った転用というのは軍事的天才しか出来ないことなのだろうが、まんまとしてやられたのが昭和16年というまさに太平洋戦争開始と同じ年のスターリンのシベリア大返しである。

ゾルゲというドイツ人がおった。ソ連のスパイである。最近も映画になったらしいから知ってもいよう。ジャーナリストを装って日本に来ると、当時のナチス・ドイツのオットー駐日大使に取り入り、私設顧問となり、機密情報にアクセスできるようになる。

最初の特ダネはヒットラーのソ連侵攻作戦である。昭和16年春にオットー大使から作戦を知ったゾルゲはモスクワに報告するが、モスクワは信用しなかった。同年6月22日ドイツはソ連を攻撃する。バルバロッサ作戦といわれるものである。ゾルゲの報告は開戦日まで正確であった。

不意をつかれたソ連は退却に退却を重ねて同年11月にはドイツ軍はモスクワまで数十キロの地点に達していた。ドイツ軍が進撃のモメンタムを失わなければ1941年末か1942年中にはソ連は崩壊していただろう。1988年か89年だかのソ連崩壊が40年以上早まっていたことになる。

さてお立会い、おなじみのゾルゲちゃんは日本の政策を探索していた。当時の日本の軍事政策は南へ進んで東南アジアの資源を確保するか、北へ進んでソ連を攻撃するか二つの可能性があった。ゾルゲはどうしてもその情報が欲しかった。

日本はその年に満州で大軍事演習をやってソ連をけん制していた。これは偽装工作であったが、そんなことはソ連には分からない。

日本は昭和16年9月6日のご前会議で南進策をとることを決定した。つまり日本にはソ連を攻撃する計画がない。この情報をかねて獲得していた協力者の尾崎秀実から得たゾルゲは10月はじめモスクワに極秘電報で通報した。

尾崎というのは朝日新聞の編集委員かなにかで近衛文麿首相のブレーンの一人である。今回はバルバロッサ作戦のこともあるので信用したスターリンは、ソ連満州国境に配備した厳冬の戦闘に適した精鋭の大部隊をモスクワに呼び戻した。当時、ソ連の最強部隊は対日戦に備えてソ満国境に張り付いていたのである。

モスクワに到達したシベリアからの大兵力は12月初旬からドイツ軍に大反撃を開始し、ドイツ軍の進撃はとまった。以後ドイツ軍は退却戦、大消耗戦を強いられて自滅していく。まさに世界の歴史を変えた乾坤一擲の大返しというべきである。

シベリアの日本国境からの大兵力の大返しがなければ、ヒットラーはナポレオンの轍を踏むことは無かったのである。

ソ連がゾルゲをいかに大きく評価しているかは言うまでもない。ソ連の駐日大使は赴任するとまず東京にあるゾルゲの墓にお参りをするのが慣例であった。ソ連がロシアに変わった今でも新任大使の墓参は続いている。

ゾルゲ一味は昭和16年に逮捕されてゾルゲ、尾崎は昭和19年に巣鴨拘置所で処刑された。


石油恐怖症5、日本軍の中国大陸撤兵

2007-09-20 09:00:42 | 社会・経済

さて、これまでのところをおさらいしておこう。英米の対日石油禁輸でパニクッた大日本帝国は昭和16年12月英米に宣戦を布告した。アメリカの潜在国力を見誤ったために、アメリカの反撃の可能性を甘くみるという失敗をおかした。

ハワイに一撃を加えると直ちに全戦力を東南アジアの石油資源の獲得に振り向けた。これが間違いであるというのであった。信長が桶狭間での勝利を天下統一の足がかりとしたのは今川義元の本陣に攻め込んで彼の首を取ったからである。日本軍はワシントンまで攻め込むべきであったというのであった。

アメリカの右往左往ぶりはひどいものであった。体勢を立て直し、反撃に出る前がアメリカを叩く唯一のタイミングであった。日本が決定的に優位にたっていた戦略的兵器は当時の世界の常識をはるかに超えた1500キロの作戦半径を持つ零式艦上戦闘機であった。しかも日本は中国大陸でゼロ戦の運用実績を一年以上もち、実戦経験豊富な多数の搭乗員を持っていた。彼らの能力を真珠湾攻撃の一撃で終わらせるのはなんとしても惜しい。

要件は二つある。一つは短期間にワシントンまでしゃにむにガブリ寄ることである。日本は昔から短期決戦には強い。長引くとどうもねばる腰がない。短期の集中攻撃だと実に緻密な作戦をたてる。したがってアメリカ本土攻略戦は3ヶ月から半年で終わらなければならない。

もう一つはこの日本が経験したことの無い大規模な作戦の兵站、輜重面である。いわゆるロジスティックスである。日本軍の一番の弱点は兵站、輜重面である。第一この部門に投入された人材の数が英米に比べて極端にすくない。この面でも工夫が必要となる。

そこで秀吉の故事「中国大返し」が参考にされなければならない。明智光秀が信長を殺したときに、秀吉は備中高松城を攻めていた。光秀謀反を聞くと秀吉はただちに相手方と和議を結び、全軍を率いて全速力で大阪にもどり光秀を討った。この俊敏な行動によって秀吉は信長の後継者になったのである。

日本は蒋介石、あるいは八路軍と停戦協定をむすび、中国大陸に展開している百万近い日本軍を大陸から撤退させるべきであった。戦力をすべて対米戦に振り向けるべきであった。対米戦は中国戦線からの大兵力の「大返しなし」には不可能だったろう。第二次「中国大返し」である。

アメリカがイラクでモタモタしているが、昔から軍は撤退作戦というのが一番難しいと言われる。だからうまくいった撤退作戦は戦史に残るのである。「中国大返し」を決断する政治家がいなかった。作戦、戦略を立てられる参謀もいなかったのであろう。

半島人諸君へ:中国というのは昔から日本の地方名である。現在の大陸共産党政権が「中華人民共和国」というのはいい。しかし、略して自分のことを「中国」といってはいけない。日本海のことを「東海、東海」という諸君にはこの理屈は分かるであろう。彼らに忠告してくれたまえ。

次回はつけたり、「世界の歴史を変えたスターリンのシベリア大返し」

次次回はつけたりの二、「日本軍はB15のハワイ飛来を知っていたか」

つづく