東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

スパイのカテキズム(教理問答)

2007-11-29 09:50:10 | 社会・経済

さて、岡本行夫氏の論文であるが、昨日の産経の全紙面を乗っ取ったような壮観であった。とてもはじめから終わりまでつぶさに読んで論評を加えるような代物ではないのであるが、これら類似の言説はいまやいたる所でマスコミに溢れているわけであり、かつ同一のカテキズムから出たものであるから、かるくその要点を紹介するのも益なきことでもなかろう。

       本質というか中心的な論点にはまったく論証がない。たとえば自民党伊吹幹事長「テロに対する戦争で連帯しなくてどうする」。そんだけ。テロについて議論するのはかっての「不敬罪」にあたるかのようだ。あるいは、左翼の「憲法第九条」みたいな後光があるかのようだ。あるいは終戦まで「中国大陸からの日本軍の撤退」が禁句であったようなものである。

       多数の例証を並べたてる。やれヨーロッパ諸国はどうだ、中国は日本の何倍も兵隊を「超危険」な戦場へ派遣している。やたらに並べ立てる「例」で圧倒しようというわけだ。よくもこれだけ集めたものだ。「例」はいくら高く、バベルの塔のように積み重ねても「例」にすぎない。その例が論証するのに適切かどうかが重要である。

       スパイのカテキズムは霊感商法、詐欺商法、ねずみ講商法のマニュアルを写してきたものに相違ない。この商品を買わないと悪霊がつきますよ、いま加入しないと大きな損をしますよ、と相手を催眠状態にかける。証券会社の商法にも似ているね。株式相場がガタガタになればなったで、しつこく電話をかけてきて相場は底をうちました、いま買わないと10年に一度の儲けを逃しますよ、と顧客をしかりつける。


守屋がペアで逮捕された

2007-11-28 19:27:39 | 社会・経済

この問題はアメリカに行きつかないと大したことにはならない。ターゲットは政治家だけではない。三軍複合体といわれる大企業は勿論のこと、フィクサー(別名シンクタンク、これが表の名前だ)、軍事評論家、安全保障の論客などにも網をかけなければ駄目だ。

軍事評論家、日米問題専門家の本当の、裏の名前はエイジェントあるいはスパイという。カネは山田洋行のアメリカ法人を経由しているだろう。アメリカ側の人間を摘発すると同時に平成のミニ長野主膳たちを一網打尽にしなければいけない。

ところで今日の産経を見た? エイジェントとしては小粒な岡本なにがしなるものが驚く無かれ、一面のトップから三面全部に個人的な珍妙な文章を載せている。産経の前身は総会屋新聞だったのはご存知かな、お若いの。守屋の逮捕に苦し紛れにぶつけたのかな。

産経はあたまがおかしくなったのかな。なさけない話だ。ジャーナリストとしての自覚も自負もないのか。


垣添にイエローカードを

2007-11-25 08:43:57 | 社会・経済

今日は楽しい千秋楽だ。昨日はバルトが残念だった。さて、土俵の伝統を守りたい諸君にアドバイスする。

何日か前の露鵬・垣添戦だ。露鵬が三回くらい待ったをした。土俵下の親方が注意をした内容はテレビでは分からないが、露鵬に注意したらしい。彼がうなづいていたからね。

信じられない。逆だよ。注意すべきは垣添だ。立会いでは両者の呼吸をあわせるようにいわれているのだろう。だから待ったがありなのだ。「制限時間」中の仕切りは待ったの連続にほかならない。

だったら、最後の仕切りは腰を下ろすところから両力士は呼吸を合わせなければならない。垣添はあっという間に相手にお構い無しに両手をついてしまうだろう。あれで相手に呼吸を合わせろというのは無理だ。審判がイエローカードを出すのは垣添だよ。

垣添の態度はおよそフェアプレーとは無縁のものだ。もっとも垣添以外の相手に対する露鵬の立会いはあまり好きではない。大体東欧系の力士は立会いの駆け引きが露骨である。露鵬などは特に目立つ。もっともやり方が稚拙だから東欧系は目立つだけで、日本人も相当やっている。

前にも書いたが立会いだけは朝青龍はぴか一だ。絶対に待ったをしないし、相手に合わせてくる。他の点では駄目だけどね。立会いだけは力士のカガミだ。

相撲の治外法権を守ろうとして伝統、伝統というやつがいる。文部科学省のちょんまげ、ゴロ月副大臣もご唱和だ。諸君に申し上げる。伝統を守るなら制限時間を廃止してとことん呼吸が合うまで仕切りを続ける古式に戻れ。

それじゃ6時にテレビ中継が終わらなくて困ると太鼓持ち放送局がいうのかね。もともと制限時間などというのはNHKと相撲協会が談合して伝統を破壊したものだ。古式、伝統に戻したまえ。打ち止めが午後の十時になろうが翌朝になろうがいいではないか。あるいは朝7時からはじめてもよい。テレビの中継など止めなければならない。

およそ、スポーツ中継で公正で中立的な解説者がつかないのは相撲放送だけである。


イワン・デニーソヴィチの一日・四

2007-11-23 08:33:45 | 社会・経済

11月23日 新嘗祭

前回お約束した豆スープのお話を一回順送りして、思い出したついでに11年物のはなし。ウイスキーと同じで年代が大きいほど良質である。オイラの知り合いがシベリアに抑留されて昭和31年最後の帰還船で帰国したことは前に書いたが、11年帰還組といえば最後までソ連に妥協しなかった人たちだが、例外もいる。

この間死亡した元伊藤忠商事会長瀬島龍三も昭和31年組である。彼をモデルにした小説があった。たしか、山崎豊子だったかね。文庫で5,6冊になっている。彼女は取材して書くそうだが、他のロングセラーでモデルといわれる人物達を知っているので興味を持って読んだものがあるが、どうもトンチンカンなものだった。

したがって瀬島をモデルにした小説、そうそう「不毛地帯」だったと思い出して本屋で立ち読みをしたが第一巻の400ページあたりまでがシベリア抑留の場面のようだ。石原吉郎の100ページを大きく上回る。内容はそれに見合うかどうか。

もっともお定まりのお断りが巻頭にある。「これは架空の物語である。過去、あるいは現在において、たまたま実在する人物、出来事と類似していても、それは偶然に過ぎないーー遁辞おわり」

かれは終戦の直前に関東軍参謀に赴任した陸軍中佐であった。二重の意味で、あるいはそれ以上の意味で彼には11年ものの価格はつかない。終戦後の東京、極東軍事裁判で瀬島龍三はソ連側証人としてウラジオストックからソ連軍用機で東京に運ばれ証言をした。これが第一点。勿論すぐに、たしかその日のうちにソ連軍用機でシベリアに送り返された。当時は空路東京とウラジオストックを日帰りで往復するのは大変な強行軍だよ。しかも東京裁判で証言をしている。いかにソ連側の重要な証人であったかがわかる。

ソ連は収容所の管理では日本軍の上級将校たちのヒエラルキーを利用した。利口なやりかただ。兵士の性(サガ、ルビをふらないとどう読まれるかわからない)というものは武装解除されて捕虜になったあとでも変らない。将校の号令がないと動かないのだ。

瀬島は牢名主というところであった。したがって最後までソ連に留めておかれたのであり、上級将校としてのそれなりの処遇をソ連から与えられていた。

さて次回はシベリアの豆スープを味わってみますか。

11月24日 分配

昭和20年満州になだれ込んだソ連軍兵士は日本人の民家に「おんな、時計」と怒鳴りながら乱入し、陵辱、略奪を繰り返した。ソ連は極貧国である。兵士は女郎屋や慰安所で女を買う給料をもらっていない。時計をはめている兵士など皆無である。それでオンナ、トケイという二つの日本語はかれらには必須だったのだ。

収容所に大量の日本人捕虜を入れたが、食器などあるはずがない。ソルジェニーツィンが描いた収容所でも事情は同じである。こういう時にどうするか。「イワン・デニーソヴィチ」のいる収容所では食事を何班にも分けて順番に与える。このために自然発生的に出来上がったしきたりのようなものが、その集団現象が詳細に描かれている。また、何回にも分けて与えるために生じる困難も描写される。

石原吉郎のいた捕虜収容所では一つの食器に2人分の食事を入れる。中華料理なら大皿からめいめい料理を取ると言うことがあらーね。これから寒くなるとうまくなる鍋料理もそうだわな。日本人はそういう発想からそんな風になったと考えてはいけない。そんな余裕のある話ではない。わずかな分量のかゆや具のほとんどない熱湯(スープと言う)を一つの皿うから2人の兵士が分け合うのである。悲惨きわまりない話である。。

ようするにいじけて集団を分けて食事をするようにソ連側に要求することが出来なかったのだろう。分配の問題である。2人が一つの食器から食べる。食べる量は平等でなければならない。石原はこの辺のところを珍しく詳しく書いている。

食器の真ん中になにか仕切りを立てる。試行錯誤するがぴったり真ん中にで仕切ることは難しい。かならず苦情が出てもめる。スプーンで交互に一皿ずつすくって食べる。ところがスプーンの規格がバラバラで平等ではない。

じゃ、一つのスプーンを使うか、一人がすくう。スプーンについたわずかの汁も残さないようにしゃぶってから相手にわたす。相手も同じ事をして相手にまたスプーンを返す。これを延々と繰り返す。イチャイチャした新婚夫婦までもここまではしないわね。

最後に落ち着いた方法は缶詰の空き缶を拾ってくる。ソ連はものの乏しい国だから空き缶はみんな同じ大きさらしいんだね。規格にバラエティがないのだ。それに同じようになるようにまず汁を分ける。問題は数個しか入っていない豆などの汁の実である。ひとつ、ふたーつと声をあげてお互いに確認しながら交互に空き缶に入れていく。

実が奇数だったらどうするか、そこまでは書いていない。ニンジンみたいな野菜は切った大きさがだろうが、違う場合はどうするのか。石原は書いていないから分からない。この二つの空き缶に分ける係りも毎回くじで決めると言うのだ。極限状態だね。

コンビニでスナックを買って電車のなかでいぎたなく食っているイモねえちゃんは考えなくてはいけない。

さて食器の足りなさをイワンの収容所では食事をグループに分けてすることで解決したが(もちろんそれに伴う問題も石原方式とは違う問題が生じるのだが)、スープの実の不平等はイワン方式でも解決しない。

イワンには炊事場と食堂の皿の受け渡しが詳細に書かれている。炊事係は囚人のなかから選ばれる。かれらはいろいろ余得があって囚人のなかでの特権階級である。イワン・デニーソヴィチは食堂への受け渡し口から炊事係が皿にスープを入れわけるのを食い入るようにのぞく。

あの皿には上澄みしか入れなかった。あの皿には大きな具がはいった。あの皿には脂身が入ったなど。そういうことをトランプの神経衰弱のように暗記する。そうして何人分かの班の食事を受け取ると食卓に運び実の沢山入った皿が自分の席の前に来るように置くのである。こういうことをしないと収容所では生き残れないのである。つまり配膳係りというか、まとめてそのグループの食事を炊事場から受け取る役割があるのである。

炊事場とのやり取りでは皿数をごまかす場面がある。落語であるべぇ、時蕎麦、だったかな、相手が一文銭を数えている最中に「いま何時?」と言って相手の勘定を狂わせる手、あれと同じ手を使う。

11月25日 道具

人間は言葉をはなす動物である、てなことを言う。マルクスは人間は道具を使う動物である、とどこかで書いている。ドイツ・イデオロギーだったなか。どうせ誰かの文章からの孫引きだろうが。ラマルクあたりかな。

ソ連の収容所では強制労働が課せられる。出来高、仕事量によって食事の量が差別される。ノルマを達成することが収容所で生き延びる道だ。石原吉郎の場合主として土木工事をやらされたらしい。だから道具はつるはしだ。重機なんてかげも形もないシベリアだ。

イワン・デニーソヴィチは石工仕事で小説で描かれている一日はレンガ塀を積み上げる作業だ。工具はモルタルを塗るコテだ。勿論工具は毎朝工具保管所から渡されて作業が終わると返す。まともな工具などないから、割り当てられた工具が少しでもましなのを切望するわけだ。工具のばらつきによって作業の進捗は大幅に違う。

だから、何かの拍子に兵士の目をごまかして工具をちょろまかすと、それが具合のいいやつだと、個人用にと工事現場に見つからないように隠す。工事の時にはこっそりと隠し場所から取り出して使う。たとえ、その工事現場に行くのは一年後になるかもしれなくてもだ。まったく工具のよしあしが囚人の生死に直結しているのだ。


日替わり「イワン・デニーソヴィチの一日」3

2007-11-20 09:09:13 | 社会・経済

11月20日 ニコチンとアルコール

もっとも、「イワン・デニーソヴィチ」にドラッグ的な要素が無いとはいえない。ドストエフスキーのアルコールに対するものはタバコに対する鋭い禁断症状である。相当な箇所でタバコをめぐる記述がある。

終戦直後、それからも相当長い期間「モク拾い」と言う言葉が日本社会にあった。道端に捨てられた吸殻を集めてきて、揉みほぐしてタバコの葉を集める。そして売るのである。現代の青年婦女子諸君のために解説するとその頃は「フィルターつきタバコ」はなかったのだよ。

今で言うホームレス(ルンペン)の仕事だった。モクヒロイ専用の長挟みがあったりしてね。もっともあれは汎用でクズ屋(なんとか用語なんだろうね)は皆持っていたな。今のホームレスはそんなことをしない。今で言えばアルミの空き缶をゴミ箱から集めて売るようなものだ。

それにしても、モクってのは何から来たのかな。ス・モークあたりかな。洋モクなんて言葉もあった。今で言えば「外国タバコ」だ。

「イワン」にもモク拾いが出てくる。中身をほぐして汚らしいタバコを新聞紙で巻いて売るところも出てくる。

モク拾いではなくてもタバコのまわしのみの場面はチョイチョイ出てくる。モクヒロイというのは広辞苑にも出ていないね。

ところで、敗戦後満州から60万人の日本軍兵士がスターリンに拉致されてシベリアや中央アジア各地の収容所で強制労働をさせらてた。最後の抑留者が帰ってきたのはたしか11年後の昭和31年であった。その間7万人の日本人が過酷な状況の下で死亡した。

一千万人単位で強制収容所に自国の国民を放り込み、百万人単位で粛清してきたソ連ならいざ知らず、シベリア抑留はわが国にとっては、まさに未曾有の規模の民族的な惨禍であるにも関わらず「イワン・デニーソヴィチ」のような小説が日本には無いのは何故だろうと前に書いた。

いつのころからか、「戦後が終わった」からか歌われなくなったが、日曜日の「NHKのど自慢」ではかならず「異国の丘」を歌う人が毎回いたものだ。シベリア抑留者が望郷の思いをうたったものだが、聞くたびになんともいえない気持ちにさせられた。

そのくらいしかシベリア抑留を語った、歌ったものを知らなかった。先日産経新聞の「産経抄」というコラムでシベリア抑留を書いた石原吉郎という詩人がいると紹介しているのを読んだ。

講談社文芸文庫に「石原吉郎詩文集」というのがあるんだね。この間買ってきて読んだのだが次回はその感想などを含めて書こう。

11月21日 年代

知り合いに昭和31年に最後の帰還船でシベリア抑留から帰ってきたものがいた。からだはボロボロだった。スターリンは、そしてスターリン死後のソ連政府は抑留者を国際政治の道具に使った。日本が反ソ的なアメリカ政府の方針に従うのを牽制するために人質を利用したのである。勿論ソ連経済の復興のために無償で大量の強制労働に使ったのはいうまでもない。

一番顕著なのは日本が西側諸国といわゆる「単独講和」を結ぶのを阻止しようと大量の抑留兵士をダシに使って日本を牽制して駆け引きをしたときだろう。ソ連はまた抑留者を洗脳して帰国後彼らを日本赤化の道具に駆使しようとした。したがって、早期にソ連の政策に賛同した者達を小出しに日本に帰した。

昭和31年までの11年間すこしずつ、少しずつ舞鶴に送還したのである。そのたびに船から降り立った抑留者達はスターリン万歳、共産党万歳と舞鶴埠頭でシュプレヒコールを繰り返し赤旗をひるがえしたのである。シベリアの凍土に残された何十万と言う日本軍のもと兵士のことを考えてもそうせざるを得なかっただろう。数年前北朝鮮から選別されて送り返された拉致被害者が北朝鮮のことを語るのが少ないのも残された者に対する悪影響を配慮したためである。カラオケで人気の「岸壁の母」は彼らシベリアからの帰還兵を歌ったものだ。

早期帰還兵の多くは活動的な社会主義運動家となった。ソ連はまた特殊技能を持っている人間で帰国させた後世論操作など有利に利用できると思った連中を先に帰した。画家の香月泰男などがその例である。香月は昭和22年に早くも帰還している。彼自身は内心忸怩たる思いがあったのかもしれない。自らは抽象的な絵画しか描かなかった。一応シベリア・シリーズと名づけてはいるが。そこで売国的文筆業者立花隆の出番となる。

立花の言によると、香月の思いを代弁したという触れ込みで文芸春秋から「シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界」というのを出している。立花は言う。画集にすると一冊数十万円になるから絵画は載せられないといって、DPE屋の作る「インデックス・プリント」みたいなのを載せるだけだ。

文章はほとんどソ連の抑留政策の弁護である。こんな箇所がある。『シベリアで抑留された兵士が7万人も死んだというが抑留された人数の一割にすぎない。日本軍はガダルカナルやインパールで兵士の5割を餓死させたではないか』

こういう比較が出来るのかね。ガダルカナルやインパールの戦争指導はきびしく非難されるべきだが、だからソ連の抑留政策は人道的だと強弁するのはほとんど狂人である。

さて、この稿には「年代」というタイトルをつけた。前回詩人石原吉郎のことを述べた。その後調べてみるとシベリア抑留体験を書いた体験記や絵画が色々あったことを知った。小説もあるのかもしれない。個人の歌集や俳句集は沢山あるにちがいない。大書店にいくと絵画コーナーなど思いがけないところで見かける。それらを瞥見してみると、如上の理由から彼らの日本への帰還年代というのが重要であることに気がついたので、石原吉郎のことに入る前に前説を置いた。長くなったので石原のことは次回に書く。

11月22日(21日発行) 石原吉郎

彼は昭和28年に日本へ帰還している。なかなかソ連になびかなかったとみていい。講談社文芸文庫にはシベリア抑留についての文章はわずかしか出ていない。50ページもないかもしれない。詩のなかにはまったくない。「まったくない」というのは彼の詩は抽象的で、あるいは別の言い方をすれば換喩が多くて、つまり彼はそれと読者に分かるように書く(報告する)ことを拒否しているのである。

彼が詩作について自覚的に語ったところを二、三抜粋してみる。――詩における言葉はいわば沈黙を語るためのことば、「沈黙するための」ことばであるといっていい。もっとも耐えがたいものを語ろうとする衝動が、このような不幸な機能を、ことばに課したと考えることが出来る。いわば失語の一歩手前でふみとどまろうとする意志が詩の全体をささえるのである。

また、――ある意味では、読者を拒むということが、詩人の基本的な姿勢である。

そして、――(みずからに禁じた一行)とは、告発の一行である。この一行を切りおとすことによって、私は詩の一行を獲得したーーなどなど

彼は三巻本の全集があるようだし、シベリア抑留体験のエッセイという「望郷と海」は単行本らしい。したがってそれらを読まないで書くということは危険ともいえるのだが、それらの著作は書店ではなかなか見つからないので前述した彼の詩文集をもとにすることとする。

石原のケースが60万人すべての場合かどうかは分からないが、ああいう国だから大差があると思えない。石原の素っ気無い文章から推測するとこういうことらしい。

終戦直後に抑留されてから昭和24年までは漫然と捕虜、無償労働(もちろんジュネーブ条約違反)ということで碌な管理もされなかったらしい。一番犠牲者が出たのも最初の1,2年と言う。

昭和24年にどういう風にスターリンが思い立ったか知らないが、裁判をすることになった。勿論茶番である。この裁判中と重労働25年の刑を言い渡されて新しい収容所に送られた時期が一番つらかったらしい。つまり第一期が理由も示されず抑留されていた4年間、次が裁判期間(あらためて裁判などというと、将来の不安とひょっとしたらという希望が錯綜するつらい時期)、そうして十杷一からげで重労働25年といわれるショック。

石原は書いている。――僕にとって、およそ生涯の事件といえるものは1949年から50年にかけての一年余のあいだに、悉く起こってしまったといえる。

「イワン・デニーソヴィチの一日」に描かれている収容所生活は日本兵抑留者の受難の時期と同じだから、日本人の捕虜収容所の様子と変らないのではないかと、このシリーズの最初のほうで書いた。

つぎに石原吉郎の詩文集から私の推測が当たっていたことをいくつかの例で述べたい。すなわち、それは豆スープ、食器、工具(道具)の三題噺である。高尚な詩論や政治外交史からいきなり卑小な日常生活にはなしが飛んで申し訳ない話であるが、読者よ許されよ。

詳しくは次号で。


福田首相は小池百合子や田中真紀子のまねをするな

2007-11-17 07:56:39 | 社会・経済

17日7時のニュースは福田訪米からだ。妙な絵があった。説明ぬき(ナレイション、テロップぬき)の無音の映像がかなり長く詳細に福田首相が献花する場面をながした。

周りには捧げ銃(ササゲツツ)をした兵士の群れだ。戦死者の墓所であろう。介添えをする軍人は若い佐官クラスの下っ端のようだ。説明がないからアーリントン墓地かどうか分からない。

こういうプロトコルは非常に不快だ。危険だ。福田さん、ブッシュが今度来日したときには靖国神社に参拝させるのだろうね。

小池百合子や田中真紀子ではあるまいし、この行事はアメリカ側の提案なのか。それとも、アメリカの一方通行エイジェントである日本人「安全保障問題」の専門家がもくろんだのか。

田舎のイモ娘がハワイの教会で結婚式を挙げたがるような小池百合子や田中真紀子のミーハー感覚を真似るとはなさけない。彼女達なら嬉々として献花するのだ。

小泉首相はこういうところに連れて行かれたことがあったか、記憶にない。マスコミ労働者諸君に教えてもらえればありがたい。すくなくとも、こんなに長々とテレビのカメラの前に晒されたことはなかったのではないか。

たとえていえば金丸信や当時の社会党の連中が北朝鮮を訪問して金日成のばかでかい銅像の前に連れて行かれて頭を下げるところを撮影されたが、それと同じようなものだ。

ちなみに、あれほど北朝鮮融和政策をとる韓国のノムヒョン大統領も北朝鮮を訪問した時に金日成の銅像に参拝するようにいわれたが、拒否している。これが最低限の外交常識である。この交渉は北朝鮮訪問前の事務かたの折衝で決着している。日本の外務省はなにをしているのだ。

テロ特措法の見通しがたたないことに対するブッシュやアメリカ国務省、国防省の嫌がらせがこの献花であろう。福田首相は風邪を口実に断ればよかったのだ。それだけの知恵も福田の側近には出ないのか。

+ 17日昼のNHKニュースを見ると今朝と違う墓参の絵が出た。今度はナレイション入りでアーリントン墓地と言っていた。周りには軍服は見えず福田首相に付き添っていたのはオーバーを着た太った人間だ。見たこともない顔だから大方下っ端の役人だろう。

ブッシュとは何分会議をしたのかね。10分もしたのかな。ブッシュは福田首相と会っているのが嫌だから二度も墓場に生かせたんじゃないのかね。

自分より10歳も年上の70歳の老人を短い期間に二度も厳寒の寒空のなかでアメリカ兵の墓参に行かせるのは礼儀も思いやりもあったものではない。福田さんが風邪をひいたことは知っていただろうにね。

ブッシュには日本へ答礼訪問させて靖国神社と千鳥が淵だっけ戦没者墓苑に参拝させねばならない。

もっとも、これでテロ特措法を通してやる気持ちもなくなっただろうがね。


ブーツ オン ピョンヤン

2007-11-14 07:28:06 | 社会・経済

「アメリカが焼き付けたショートカット回路のさまざま」のタイトルで四回アップしましたが、これはその続編です。したがって 通し番号は五から始まります。

五:歴史の鏡を磨くべし(水島寒月理学士の言葉、夏目漱石の我輩は猫である、より)

寸言集

1990年代

「中国とアメリカはかって日本との戦争でともに血を流した戦友である」

クリントンに会いに行く途中ホノルルで江沢民が行った演説

以降クリントンと江沢民に押し捲られた90年代であった。この時代日本は宮沢内閣が崩壊して自民党長期政権が終わった。宮沢内閣の官房長官であった河野洋平官房長官が「従軍慰安婦」を認める発言をした。これが中国にとっては孔子の言葉と同様に不可侵の言質となって、日本を攻め立てた。

宮沢内閣の後、日本では野党烏合の衆連立内閣、自社野合政権など小泉首相が出るまでに10人だか8人の無能首相が連続した。

本年、アメリカで日系下院議員マイク・ホンダが従軍慰安婦で日本政府の謝罪を求める決議案を提出、採択可決された。淵源はホノルル演説にある長期的戦略であることは明瞭である。

2000年代

ショウ ザ フラッグ(日章旗をかかげよ) アメリカの国防省が日本にアフガニスタン参戦を要求した言葉

ブーツ オン グラウンド(自衛隊の軍靴をイラクの地に、地上軍を派遣せよ) アメリカ国防省が自衛隊のイラク派遣を要求した言葉

そろそろアメリカにブーツ オン ピョンヤンと要求すべきではないのかな。

七:日本全国に敷設された地雷原たる在日朝鮮人・韓国人

若い歴史学徒にアドバイス、日中、日韓の歴史など勉強しても意味がない。蛮族との交渉史などになんの意味があるのか。歴史のカガミなど見出せない。日米交渉史を勉強しなければならない。諸君が家畜に留まるならそもそも歴史の勉強などする必要がない。1945年までのように日本が世界外交のプレイヤーたるべきだと思うなら日米の歴史を勉強しなさい。これまでにオイラが書いてきたことを指針にして自分の頭で考えること。

つづく

六:ドリームボート ツー チャイナ

さて日本という高い壁が崩れ落ちたのだから、やれ嬉しや、ドリームボート ツー チャイナはいよいよ出航とあいなる。

日本の産業を徹底的に破壊し、国民を家畜化するまでだ。財閥解体、軍隊の解散、フィリピン憲法の焼き直しを与える。共産主義者、社会主義者を釈放して労働争議を指導させる。日本の指導者達の公職追放、在日朝鮮人に治外法権を与えて日本を内部から弱体化する。

ま、そのようなことをしたわけだ。これをやったのが、国務省の左翼がかった若手で占領軍の民生局に大量に送り込まれた生意気な若造たちである。これがアメリカの対日政策の土台と一階をなしている。ところがである。

戦後2,3年もするとアメリカの思惑がはやくも外れる。第二次世界大戦中からジャブジャブと援助をつぎ込んできたにもかかわらず、中国の国民党軍が戦後の内戦で共産党軍に押し捲られ始める。とうとう台湾にたたき出される。これも戦時中の手厚いアメリカの援助で焼け太ったソ連が占領地域を植民地化して囲い込みを始めた。チャーチルが鉄のカーテンといったやつである。

北朝鮮は韓国に攻め込んでフサンまでアメリカ・韓国軍を追い詰める。反撃したアメリカ軍(国連軍)に対して100万を越える中国義勇軍が半島になだれ込む。朝鮮半島上空ではソ連パイロットの操縦するミグ戦闘機がアメリカ空軍といい勝負をする。マッカーサーは中国に原爆の50個も落とせば降参するだろうというが、そのうちにソ連のスパイがアメリカの原爆技術を盗んで原爆製造に成功する。そうするとおいそれと原爆を落とせない。

アメリカは大急ぎで日本の赤色化、弱体化という一階の工事の上にチグハグな二階を建て立て増さなければならなくなる。民生局にいた生意気な赤色若造は本国に追い返される。自衛隊は作られる。日本を国連に加盟させる、てな具合。もともとアメリカの対日政策はこのチグハグな二階建てなんだよ。

ある意味ではこれが融通無碍な運用を可能にした。だが、1980年代終わりに冷戦が終わると本質的に二階は不要になったんだね。90年代の江沢民、クリントンのイチャイチャはその表れだ。

こんな歴史的経緯があるから、日本人の学者、評論家の中には終戦直後に一階の事務所で使役されていた連中が多数まだ生き残っている。風向きが変ればいつでもアメリカの御用にたとうというわけである。

ようするに日本はドリームボート ツー チャイナの航行には邪魔になったのだ。


UFOか北朝鮮のミサイルか

2007-11-13 18:58:55 | 社会・経済

東京スポーツを買わされた。UFO東京上空飛来、というのだ。つられて買ってしまった。UFOを見たという話は多いが音を聞いたというのはないね。あんなに大きな物体が無音で飛行するとは考えられないから、全部ウソだと思っている。

ところがこの間飛行音を聞いたんだね。すざましかった。それで東京スポーツを買ってしまったのだ。記事はいつもの馬鹿馬鹿しいものでがっかりだ。期待するほうがどうかしているが。

数日前、ちょうど野球のアジア選手権が東京ドームで決勝戦だ。相手は韓国だが、8回ごろだったかな同点にされて日本が反撃している最中だったと思う。ものすごい轟音が北から南の空へ通り過ぎた。

東京ドームは防音はどうなんだろう。アナウンサーにも聞こえたらしい。「ものすごい音がしました。落合監督もなんだろうと天井を見上げています」なんてやっている。

オイラは雷かなと思ったのだが、まてよ、とうとう北朝鮮がミサイルを発射したのかも知れないと思いなおした。アメリカのイラク攻撃のときに、なんといったかな巡航ミサイルでトルネード爆弾だったかな、あれがバクダットの上空を飛ぶ時あんな音がした。

ところが着弾音が聞こえてこない。お台場か東京湾あたりに落ちたかなとNHKにチャンネルを回したが臨時ニュースも流れない。やっぱりカミナリらしい、と決めたのだが、音の流れ方、音そのものが聞いた事のないものだったので東京スポーツの見出しを見て一時はやっぱりと思ったわけよ。

UFOについての与太話をもうすこし。いわゆるUFOを目撃したと言う人の話や写真についてそれが事実として(事実としてというのは、目撃者にそう見えたというのが正直な話としてという意味)、一番それらしい説明は空気中の水蒸気、雲、チリ、ゴミなどの微粒子と光がおりなす現象である。

第二の可能性は、そのケのある人たちにだけわかる話であるが、「それ」は人魂のたぐい、エクトプラズマの巨大化したもの、あるいはそのたぐいのものである。このほうがUFOの何百倍も可能性がある。光と雲や霧のいたずらであるとする説明が90パーセントの確率があるとすると、第二のオカルト説は0.01パーセントの可能性はある。UFOである可能性は0.00000000000パーセントである。

ここで打ち明けるが、さる都市の創価学会会館の屋上に類似の現象が見られることがある。言うまでも無く、創価学会はカルト教団であり、数々の秘密の黒魔術的な呪術を操る。おおかた、小沢一郎を呪い殺そうとして深夜密かにブラック・ミサの類を行っていたのであろう。


大相撲九州場所初日

2007-11-11 18:57:05 | 社会・経済

北の湖理事長はご心労のようだ。鼻が福田さんと同じほうにひん曲がりかけているね。画面から見て右側だから左側かな。それより驚いたのは口が同じ方向にひん曲がってしまったことだ。滅多に見ない現象である。それも鼻よりもはるかにねじれている。

鼻が左右不対称になるのはストレスの影響といわれているが、口まで曲がってしまうと大事だ。今日ちらっと中継を見たが初日日曜日は入りの悪い場所でも満員になるものだが、土俵のまわりしか客がいない。

NHKのアナウンサーが親方とぼそぼそと相撲協会の現状がどうのこうのと言っていたが、およそ聞くに堪えない。それはそうだろう、太鼓持ち放送局と中立的な解説者ではなくて相撲協会の人間が解説席に座っているのだから、まともな話など出来るわけがない。

いそいでBS放送に切り替えて英語の副音声にしてしまった。