古事記を読んだことがなくても海幸、山幸の昔話は大抵の子供が知っています。
さて山幸彦は兄の海幸彦と道具を交換しました。山の狩りの道具、多分弓矢とか槍でしょう、と釣り針を交換しました。ところがその釣り針でさっぱり魚がとれません。その挙句針を魚に食い逃げされました。そこで兄の海幸彦に道具を返してくれと頼みました。そのかわり自分の刀の鉄から500本のハリを作って兄に渡したのですが兄は道具を返してくれません。
山幸彦、またの名を火遠理命は海辺で嘆き泣いておりました。そこへ親切な老人が現れて事情を聴くと小さな船を与えてこれで行きなさい、やがて海神の住まいにつくでしょうと云いました。山幸彦、そのまたの名前をアマツヒコヒコの息子のソラツヒコさま、は海へ出ました。やがて海神の館について中へ迎え入れられました。そして海神は自分の娘トヨタマ姫と結婚させたのでした。
やがて彼女は妊娠し産気づきます。そこで海辺に仮の産屋を建てます。彼女は夫に「私共は出産するときは自分の国の姿になります。なかを覗いてはいけません」といいました。それで好奇心に駆られた夫はそっと中をのぞくて、身長が20メートルはあるワニ注が陣痛でのたうっておりました。夫は驚いて逃げ帰りました。やがて彼女は出産しました。男児の名前はナギサタケウブガヤフキアエズのミコトです。
豊玉姫は自分の本当の姿を見られたのではずかしくて竜宮城に逃げ帰りましたが夫と我が子のことが心配で乳母として自分の姉玉依姫を送りました。ナギサタケウブガヤフキアエズのミコトは成長すると玉依姫と結婚します。すなわち自分の伯母(生母の姉)と結婚したのです。そして四人の子供を産みました。第四子が後に神武天皇となられたカムヤマトイワレビコのミコトでした。つまりタマヨリヒメは神武天皇の母方の叔母になります。
明治時代の国学者は母系をたどるとちょっと具合が悪いと思ったのでしょう。
注:ワニは関西地方ではいまでもサメのことを言うらしい。古事記の校訂者はワニとルビをふっていますがサメのことでしょう。古事記では八尋の鮫とあります。一尋は八尺ですから8*8=64尺になります。一尺は時代によって長さが違うようですが、メートル法に変わる昭和までは一尺は30センチでしたから八尋は30*64=19.2メートルになります。このくらい巨大なのはジンベエザメくらいでしょうか。
神大古代の人の名前は長くて難しい。そして一人で沢山の名前を持っています。上記は街での聞き書きですのであるいはすこし違うところがあるかもしれません。ご容赦を。
なお、昔は眼のくらむような何重もの近親結婚が伝えられています。代表的なものでは聖徳太子があげられます。