発行部数が9万部あまりある月刊誌に「なぜですか、石原さん!」という*緊急投稿*が載っている。石原慎太郎都知事が産経の連載で靖国問題に触れたことについて異議を唱えているようだ。
ボディブローのように大衆の意識に打撃を与えて国家の進路にまで重大な影響を与える事件がある。あとになって、なるほどあれがねと気がつけばいいほうで、国民の深層意識に決定的な影響を与えながら正面きって論議されない事件がある。発生当時は世間を賑わせても、まもなく誰も論じなくなる。同世代の人間のこころのなかにはっきりと記憶していても子供たちには語り継がれない。なぜならそれは負の記憶、忌むべき記憶であり、国民一人一人の恥辱だから、子孫に語り継ぐのも無意味なことと考えられるのである。
東条英機の自決失敗はまさにそのような「死に損ない」であり、生き恥を一番さらしてはいけない人間の「生き恥」であった。
非人道的な連合軍(アメリカ軍を中心とする)の大量殺戮、都市民間人への無差別爆撃、原爆投下などに対して、普通なら国民は復讐を誓って一億総赤穂浪士になり、鬼となって子々孫々にこの恨みを伝えていくのが人情であろう。それが、まるでつき物が落ちたようにコロリとアメリカになびいたのはなぜか。
一つには東条の自決失敗のショックである。信じていた軍事エリートの醜態をみたからに他ならない。この感情は当時の大人には不思議でもなんでもない。職業軍人は勿論のこと、兵士、銃後の愛国婦人会、軍国少年、軍国少女すべてが、東条の実像に深刻なショックを受けたのである。当時の手記を見れば分かる。
それが、ああ戦後60年、彼を美化する風潮が出てきた。忘却の灰の中に再び彼岸花が咲いたのである。記憶が語り継がれなかったのであだ花が咲くのである。
東条英機の自殺未遂の状況については同情すべき点は一つもない。「覚悟」、「武士の心得」に欠けたものである。大体、武士は弁解しないものである。本人は勿論出来ないわけであるが、誰かが成り代わっていいわけをいうのは見苦しい。もののふはあげつらわないのである。
彼の合祀については特に強い意見はない。しかし、他と区別のない一祭神としてである。それにしても「昭和殉難者」というのは彼らだけのものではありますまいね。もしそうなら、いかにも大げさで不適切だ。
それにしても、不勉強な人が多い。戦時中東条をもっとも忌み嫌って非難したのがいわゆる「右翼」の人だったのにね。赤尾敏などもその一人だった。赤尾をかばったのが中野正剛だが東条の憲兵によって自殺に追い込まれた。中野正剛は遺書で後事を引退していた頭山満に託したのである。