東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

坂本竜馬を超えたって

2008-11-20 08:52:22 | 篤姫

昨夜のNHK「その時歴史は動いた」。薩摩の小松帯刀、西郷隆盛、大久保利通を取り上げていた。ゲストは鹿児島大学の原口泉せんせいだ。

この人、折からの篤姫ブームですこし副収入があったようだ。「小松帯刀、竜馬を超えた男」とかいう本を書店で見かけることがある。本は、もちろん買ったことはない。だから読んだこともない。昨夜のテレビね。

不審なことが多かった。私が言うのもおこがましいが、新資料が最近でたのかね。番組の性質からもっぱら結論というか、論文なら見出しだけでつないでいたが「ほんとかね」という印象。もちろん違うという論拠も手元にはないのだが。

いわゆる倒幕の密勅だが、相当前から準備していたというが、私の記憶では徳川慶喜が大政奉還の奏上を行ったと同日づけか一日前後しているだけだ。

それも討幕の密勅を出してくださいという薩摩の三人が出した申請書の日付だ。申請書をうけて出される密勅の日付はさらにそれより後になる。後世伝わる密勅には日付もないはずだ。

もっとも、原本があるわけでもなく、筆写した体裁のものだろうから、コピーした人間がどうにでも作れるものだ。複数違うコピーが存在していた可能性も大きい。現存する密勅と言われるものには当然のことながら御名御璽は欠落している。コピーたるゆえんである。私が見たのは郷土史家の著作だが。

そのうちの一つを最近原口センセイが古本屋かどこかで手に入れたということか。大体が明治になってから後付けで発行した小切手の可能性も否定はできない。いわゆる勝者の歴史ねつ造だ。

倒幕の密勅の申請は小松、西郷、大久保の連名で倒幕側の公家三人に出されている。一方で小松は慶喜が大政奉還について意見を諸侯に求めた時に真っ先に強力に支持したことで知られている。完全な二枚舌ということになる。小松に限って言えば。

もっとも自然な考えは小松の知らないところで、小松の了解を得ないで西郷と大久保が家老の小松の名前を無断で使ったということだろう。

小松が小御所会議に出席するために鹿児島を出発する直前になって急病(歩行困難)を理由に京都へ行かなかった理由を原口センセイは大胆に推理する。

センセイの主張は西郷、大久保のクーデターをやりやすくするために、小松が自ら身を引いたというわけだ。

つまり脚疾というのは仮病だというわけね。大分苦心の跡がみられる。やはり鹿児島大学の教授としてセンセイは鹿児島の県民感情との折り合いをつけなさったのかな。

数年前から私の主張しているところは、小松の病気の原因は西郷にありというものだ。

慶応三年の末はひと月足らずの間に京都御所でのクーデターに不可欠な二つの事件が起こっている。すなわち、小松帯刀の鹿児島残留、坂本竜馬暗殺。そして徳川慶喜の会議参加への禁止である。クーデターの必須要件がそろったわけだ。この背後に作為されたプロットの存在を否定することは難しい。

もっとも、二つの事件、竜馬の暗殺と小松の病気が西郷たちにとって僥倖的に重なったまったくの偶然ということも言える。しかしその可能性は確率的には天文学的に極微細な可能性である。ナノの世界である。

+ つまり冷酷なテロリスト、非情な謀略の天才、西郷隆盛のえがいた絵図によるものと見るのが無理のない説である。

++密勅という言葉について:

もともと存在していなかった可能性が高い。何もないから、相手の耳元で恩着せがましく「ミッチョク、密勅」と囁くのが陰謀家が用いる密勅の密勅たる所以である。岩倉具視が拵えた偽書であろう。

+++  頭のいい徳川慶喜がなぜ錦の御旗に肝を抜かれたのか。まるでテレビのインチキ誇大広告にてもなくだまされる昨今の主婦のようではないか。

たぶん、慶喜も同じ手を考えて朝廷の徳川寄りの公家に工作をしていたのだろう。密勅が偽であることは分かっていたが、そこは水戸徳川家だ。先を越されたとおじけずいたか。

なぜ、偽の錦旗を正面から踏みつぶそうとしなかったのか。ガッツの問題もある。慶喜の諜報能力がどの程度だったか分からないが、薩摩、長州が欧米から輸入した最新兵器が徳川にまさると判断したのか。徳川側の戦意や戦闘能力に疑問を持っていたのか。

内戦を避けるためにあえて身を引いたというきれいごとが通説である。篤姫でもそうなっている。私には作り話のように思える。


篤姫、資料のない領域に

2008-11-03 08:48:16 | 篤姫

坂本竜馬がぶった切られたとなると、小御所会議まであとわずかだ。たしか一月だったか、このブログで予想したとおり11月中の放送になるだろう。

竜馬の暗殺からインチキ小御所会議(日本語では八百長という)まではほとんど資料のない領域である。歴史家の不勉強、怠慢もある。司馬遼太郎ほかの大衆歴史小説家の安逸に流れた資料集めのサボリもある。

その前に、維新での勝ち組、すなわち長州、岩倉具視らの一部公家の陰謀家、薩摩の西郷たちの跳ね上がりたちが、自分たちに不都合な歴史資料を完全に抹殺したことが大きな理由である。

さて、篤姫のディレクター、脚本家はどう料理をするかな、興味を持って見ているがあまり期待できそうもない。すでに伏線はここ二、三回の放送ではられているわけだが、、

まず、長州の動きが描かれていない。西郷隆盛の描き方があまりにも小物ふうだ。西郷はたしかに小心なおとこで、斉彬の腰ぎんちゃくであり、忠実な狂犬、番犬ではある。

しかし、文久以来の政治的な混乱のなかで日本のアルカイダを率いる首魁として一皮むけている。NHKのテレビにあるように、公家の岩倉具視の御説をかしこまって聞いているようなタマではもはやない。

ちょいとスイートスポットをつっつけば、日本はどのようにも動くという自信をつけたころである。このころの西郷はビン・ラディンを超えたといえる存在である。


だんだん雑になる篤姫の演出

2008-09-28 06:41:19 | 篤姫

1014号==>時代考証のことをいったらこのドラマはお終いなんだが、

特徴は幕末明治の俗流、つまり司馬遼太郎流の、芸のない登場人物ではない人物を主役群に持って生きたことだ。篤姫もそうだし、小松帯刀がそうだ。

また、俳優に比較的有名ではない(若い人たちには別の面ですでに人気のある人たちもいるらしいが)連中を持ってきて演出が苦労してなんとか格好をつけているところである。

最近一番白けるのは勝海舟役だ。古手で大衆演劇で人気のある男だろう。北王路なにがしだったかな。名前は間違っているかもしれないが。ミスキャストだし、全然ほかの若い連中とつりあわない。若ぶっているところがなんとも気持ち悪い。

いってみれば、中学生の学芸会ドラマに手垢で真っ黒になった大礼服を着た老人が混じっているみたいなのだ。もっとも大礼服は新品でも真っ黒なんだけどね。

大礼服ってなんだって? いや、これはうっかりした。たぶん広辞苑に出ているとおもうよ。


薩摩藩経済改革、まずは借金踏倒し

2008-07-28 09:51:39 | 篤姫

今日は財務大臣が泣いて喜ぶ話をしよう。今の国債発行残高は800兆円かい、500兆円かい。これを全部踏み倒せたら財務大臣、総理大臣は泣いて喜ぶだろう。

それをやったのが島津藩主重豪である。島津藩にはたしか500万両の借金があったらしい。みな商人から借り入れていたものだが、それを経済改革、財政健全化の第一歩として全部ちゃらにした。よだれが出るような話だろう。

こんなことはサムライ官僚にはできない。そこで重豪が使ったのが調所広郷(笑左衛門)である。彼は茶坊主であった。サムライ官僚制度のなかにあって、藩の使用人であっても茶坊主、医者、学者(儒学者)、能役者は一段と低く見られていた。

そこで調所を抜擢したのである。

調所は強引に藩主の方針を実行したが、商人には別の利権を用意した。それが琉球との密貿易の利権である。えらいものだ。歴史書でこの点を指摘したものは皆無であるので、念のために申し添える。

あまりにも荒唐無稽というわけだ。しかし、こういう仕掛けがないと800兆円国債踏み倒しはうまくいかない。

あとは仕事場がいる。まさか城の中でこんな事務はできない。サムライ官僚を完全排除して隠密に行わなければならない。

そこで使われたのが藩主の私邸(いわゆる奥、将軍の場合の大奥にあたる)であり、別邸である。また商人の家で行われることもあったであろう。

西郷隆盛など斉興の政治が「奥」やお由良様のいる私邸で、サムライ官僚を無視して行われたので彼の単純な頭脳でお由良様が政治を壟断していると判断した。それで口をきわめて罵っているのだ。

重豪の時代から久光の時代まで薩摩藩は血なまぐさいお家騒動が3回ほど起きているが、その構図はすべてまつりごとから外された霞が関官僚(旧弊な中世的軍律に縛られたサムライ集団)と町人、商人と結んだ首相の私的諮問機関(たとえばおゆらの周辺の人間)との間の抗争であった。


薩摩の多産系も種切れには

2008-07-27 21:05:48 | 篤姫

薩摩藩の経済改革の続きだ。余談をひとつ。島津重豪は娘を11代将軍家斉の正室に送り込んだ。関ヶ原以来幕府に睨まれている外様大名が将軍の舅になったのにはびっくり仰天で面白い話があるだろうが、それはさておき、

この正室がたくさん子を産んだ。NHKの篤姫を見るとわかるように跡取りのための種とりと育種は将軍家にとって最重要課題である。将軍家定の嫁に篤姫をという動きの一つの動機には、重豪の娘はよう子供を産んだ。薩摩の女は多産系だという評価も含まれていたという。

それで篤姫は大奥に入ったのだが、肝心の亭主のほうが種切れになっていたので、という話だ。

さて次回はまず借金の踏み倒しから始まった経済改革について。


薩摩藩と経済改革

2008-07-27 07:04:39 | 篤姫

江戸時代に破たんした藩の財政を改革したという例はいくつかあるようだが、薩摩藩の改革は異色である。言ってみれば不可能な土壌に大輪の花を咲かせたようなものである。

まず言っておかなければならないが、藩士すなわち侍とは現在のキャリア官僚の元型にあたり、改革とは無縁である。現在の笑止な茶番劇は官僚に頼って経済改革をしようと夢見ることであるが、江戸時代においても本質的には不可能事である。高級官僚を切り捨ててこそ経済改革を実現できる。

そのうちでも、薩摩藩はとくに藩士の特権がつよく、その下に郷士という身分があって、これがいじめるものがないものだから農民を搾取する。しかも藩士、郷士の比率が他藩にくらべて異常に高い。すなわち農民は非生産者であるサムライを支える負担が極めて重い。

わかりやすく言えば将来の年金制度では一人の青年が二人の老人の年金を支えると大騒ぎしているが、そのようなものである。

そこでだ。18世紀の終わりに島津秀豪というのが藩主になった。これが大変な浪費家、派手好き、西洋ブランドものに目がない。いわゆる蘭癖家のはしりの一人だ。よく彼の孫の斉彬が同じように蘭癖家といわれ浪費癖、ばらまき予算が問題にされるが、これは祖父の隔世遺伝である。

もっとも斉彬をついだ(実質的に)異母弟の久光は締まり屋であったし、彼らの父で重豪のむすこである斉興も締まり屋であった。かれが斉彬になかなか藩主の座を譲らなかったのも斉彬の浪費癖を心配したからである。斉興はおゆらさまの旦那ネ。テレビ篤姫にも時々出てくるベ。


お油羅さま

2008-07-26 14:05:13 | 篤姫

薩摩藩の国父になる久光の生母お油羅がまた篤姫で出番ですね。由良ともかく。ゆらとも書く。

昔は忌み名ということがあって藩主の側室であっても、下の者が名前を呼ぶなどということはなかったのであるが、このお由良という名前の響きからすると町娘時代の通り名のようだ。

なにか考証があったら教えてもらいたい。おそらく、斉彬派の下級武士あたりがさげすんで町娘時代の名前を口にしていたのではないか。いずれにしても他にいかめしい?名前があったのだろう。於一ではなくて篤姫のような。

NHKの篤姫の終わりで毎回一口コラムみたいなのがあるだろう。あそこでお由良の名前の周辺をやってみたら面白いと思うよ。

どころでおゆらさまの戒名は何であったかな。度忘れした。

三田村の「薩摩藩お家騒動」ではお油羅とあったようだ。NHKはそれにならったのかな。直木の「南国太平記」ではなんであったか、忘れた。

おゆらの出自については二説あるようだ。ひとつは両国の船宿のむすめ、もう一つは本所深川あたりの大工の娘というものだ。直木三十五は大工説だった。

船宿といっても今でいう遊漁船をすこし持っているところから大きな回船問屋まである。江戸時代の回船問屋の大きいのは、現代の日本郵船とおなじ社会的、経済的意味合いがある。

なにしろ、これらの説は最初から悪意を持っている反おゆら派から流されたものだから、ことさらに歪曲された情報であることは間違いない。

大工といっても、まあ大工の棟梁ということだろうが、大工が二、三人しかいないところがら、大大名や幕府の普請を一手に扱う、現代でいえばゼネコンみたいなところがある。

さて、お由良の実家は遊漁船屋か、巨大回船問屋か。町の大工かゼネコンか。これについては私は昔から自説をもっているのであるが、次回はそれを述べよう。もっとも、考証に基づくものではなくて、幕末の薩摩藩の経済改革路線からの推理であるが。


カトリーヌ姫か篤姫か

2008-07-02 18:31:17 | 篤姫

安っぽい司馬史観を毛嫌いするオイラもさすがにテレビ東京には付いていけなかった。

篤姫である。数日前の番組で、井伊大老の桜田門外での暗殺も篤姫の指令だという。また、夫の家定も篤姫が毒殺したそうだ。その上次の将軍だった家茂も毒殺したという。

 

家茂の死亡には自然でないところが多く何らかの作為が感じられる。たしか彼は長州征伐のさなかに大阪の本陣で急死している。年は20歳か。ただ江戸の篤姫が毒殺を指令したかどうかとなるとどうもね。

家定、家茂の死も殺人として、上記の三殺人の首謀者が篤姫とする説には、さすがの私も足をすくわれた感じだ。上には上があるものよのう。

しかし、もし本当だとすると篤姫は日本のカトリーヌ・ドゥ・メデシスたるにふさわしい。のちに斉彬が鹿児島で急死すると、西郷隆盛は義弟久光の側室お由良が毒殺したと騒ぎ立てたが、これはカトリーヌ篤姫の裏返しだ。「想像力は身の丈を超えない」からね。毒殺フェチの西郷隆盛がそう思ったのも無理は無い。

ちなみに、お由良を攻撃するために西郷が作った政治パンフレットが直木三十五「南国太平記」の種本である。

そもそも斉彬には毒薬が付いて回る。薩摩藩の財政を立て直した調所笑左衛門は父斉興の側近である。斉彬は自分が早く藩主になるために、邪魔な父の寵臣を陰謀で追い込んで(琉球密貿易の一件で)服毒自殺させている。

服毒自殺ということになっているが、これは大いに怪しい。武士たるものが責任を取って自殺するのに服毒というのは理解しがたい不自然さだ。これも人目のない江戸屋敷の奥で斉彬の指示で調所を毒殺して、自殺に見せかけた可能性が非常に高い。これは12チャンネルの仮説よりかはるかに現実性がある。

江戸時代後半の幕府と薩摩藩の関係は不自然なことが多すぎる。まず岐阜県の大規模なの治水工事から話をはじめるとするか。

18世紀の半ばのことではないか。岐阜県の治水工事を無償で薩摩藩が幕府から命じられた。稀代の難工事、大工事である。その苛酷さはまさに江戸時代の大規模派遣労働であった。薩摩藩は莫大な借金を抱えた。工事の期日についても無慈悲な要求が出されて、たしか薩摩藩の工事責任者は何人か切腹している。

この工事の犠牲者は薩摩では義士といわれて今でも顕彰されている。それがそのすぐ後斉彬の祖父重豪が藩主の時代には、その娘が徳川将軍の正室になっている。おそらく、外様大名の娘が将軍家に入った最初ではないのか。このいきさつもきわめて不自然である。

それからあっという間に薩摩は幕府を操るようになる。こういうことが幕府の権威を失墜させることになるのをまるで幕府の中枢の人間が気がつかなかったような異様な成り行きである。だめ押しは勿論篤姫が再度徳川将軍家に嫁いだことである。斉彬は祖父の政略結婚政策のうまみをまねたのだろう。

異様といえば、徳川譜代の大名で代々老中を多く出してきた阿部家の正弘と斉彬の親密ぶりである。将軍の跡取りのことまで共同謀議をするナカになったことである。外様が幕政に影響を与えるなどかってなかったことである。

このくだりはドラマは素直に伝承にしたがっている。まず、阿部正弘と斉彬のホモ関係でもなければ考えられない事態なのである。


篤姫さまのキャスティング

2008-06-15 23:49:19 | 篤姫

だんだんと乗ってきましたな。小松帯刀を準主役にするなど従来の幕末ものとは違う色合いが最初からあったが、キャスティングもなかなかのものがある。

従来の幕末ものと違うイメージを意図的に出したものであれば「なかなかやるな」だ。

たとえば西郷隆盛、狂犬にもなり忠犬ハチ公にもなる複雑な性格にふさわしい面魂の役者を選んだ。

最近の出番では徳川慶喜、従来ものでは明るい眉目秀麗、英明な秀才型の慶喜だが、なかなかの曲者を連想させるキャスティングになっている。演出者の意図的なキャスティングならほめて取らせよう。

それと本寿院、最初の頃は珍妙一方の変なババアだと思っていたが、最近数回はようやく決まってきた。演出者の役つくりがいいのかな。

島津斉彬の役作りも従来と正反対でいい。それに大物役者を持ってきたから余計効果的だ。

生島役にはちょっと閉口だがね。

原作を読んでいないが、原作がいいのか、演出が一癖あるのか。前にも書いたことがあるが随分珍妙なところもあるものの、なかなかの力作だ。


「篤姫」の時代考証

2008-05-05 09:44:06 | 篤姫

NHK日曜ドラマの篤姫はどうも設定が珍妙だ。時代考証には鹿児島大学の原口泉教授が毎週の撮影に立ち会っているとかいう記事をどこかのブログで読んだが、衣装や建物、部屋の内装あたりが時代考証の対象になっているのかね。

せりふはめちゃくちゃだ。江戸時代の武士(といっても一般のことではなくて旗本の家庭のことらしいが)の家の女性は、何々じゃといったものらしい(自分より身分の低いものに対しては)

鹿児島ではどうだったかしらないが、とにかく、じゃ言葉は現代口語ではなく伝承にしたがっているようだが、その一方でほとんどのせりふは現代の若いおねえちゃん言葉だ。どうもベルトの下あたりにあせもが出来そうな違和感がある。どうせなら統一したらーどうじゃ。

篤姫(鹿児島時代)と尚五郎との会話や、付き合い方?も妙だ。民放の時代劇でも男女交際の風俗やせりふは時代劇風だ。現代風の設定ではない。NKKが今回とちくるったように小学生の学芸会風になったのは、なにかに目覚めたのかね。

さて、篤姫は視聴率がいいらしい。彼女の生涯は腹黒い斉彬の政略の道具にされたわけだが、現代のおばさん、お姉ちゃんはむしろ旗を押し立ててNHKに抗議にいかないのかね。理解不能じゃ。

斉彬は陽性一方の裏のない名君ということになっているが、わたしはその説をとらない。別の話になるので機会があったら別途ふれたい。

さて、場面設定がどうであるにせよ、尚五郎と篤姫が鹿児島であのような関係であったと設定すると、後世小松帯刀が徳川慶喜のブレーンのようになり、緊密な関係になったことが理解しやすくなる。いくら乱世の兆しがあったとはいえ、将軍が陪臣のそのまた家老とあのような関係になることはなかなか理解しにくいからね。

慶応三年秋の大政奉還は小松帯刀と坂本竜馬のシナリオだからね。それを慶喜が採用したのはよほど小松を信用していたからだ。実際に折衝したのはもっぱら小松だ。いくらなんでも浪人の坂本竜馬が将軍に合えるわけがない。

そして慶応三年11月の京都小御所会議まえに坂本竜馬は正体不明の暗殺者にやられる。小松は急病で鹿児島を出発できない。徳川慶喜は会議から排除される。一貫した作為なしには考えられない。そして明治新体制の枠組みができた。