前号の街頭録音余話である。
インタビューに応じてくれた99歳のご老人、時も深更にてかなりお疲れの様子であった。にわかに疲労が出たようで、歩行もおぼつかない様子となった。傍らにいた女性はさきほどインタビューに答えてくれた22歳の女性で老人のひ孫だという。
ひ孫が付き添いで九州から東京に出てきたが、夜の六本木に行きたいと彼女が言うので今度は老人がお目付け役でついてきたという。
インタビューのお礼を兼ねて近くのクラブ・マヌエラへお二人をいざない粗酒を献じインタビューに応じてくれた労をねぎらった次第である。そこでさっきのインタビューでいささか疑問に感じたことを尋ねた。
「東条英機は東京裁判で裁かれたわけですよね。見世物裁判で。むしろ人目に晒してはづかしめるのがアメリカの目的でしょう。それが処刑後その遺体を遺族に返さずにさっきおっしゃったように灰にして人知れず太平洋にばらまいたというのはどういうことです」
「そうよの、アメリカは自殺を図った東条を必死に手当てしておびただしい米軍兵士の血液を輸血して東条を助けたからの」
「つまり裁判でさらしものにするから、アメリカとしてはそこで死なれては困ったわけでしょう。それなのになぜ、裁判後妙な行動をとったのでしょう」
「ふむ、そうよの」と老人は一呼吸おいた。「アメリカはナチス裁判で思惑が当たったので日本でも一芝居打と言うとしたのだ」
老人はブランデーでうがいをした。歯ぐきから酒を吸収しようとしているようであった。歯がないから、歯茎からの吸収が容易のようであった。
「ところが、裁判を進めていくうちに自分の弱点に気がついた。アメリカの論法でいくとアメリカが19世紀の末から20世紀にかけて行った侵略戦争を自ら弾劾することになりかねない。とくに非道なハワイ併合はわずか30年前の話だ。日本の証人や弁護側はそこを突こうとしていた。アメリカは強引なやりかたで裁判は満州事変以降の問題に限るとしてしまった。また、法廷に掲げられた世界地図からハワイを除外した。当時のニュース映画を見るとその不自然さがわかる。この裁判の主要な訴因は日本のハワイ真珠湾攻撃だよ。そのハワイの地図がないのだ、法廷に。ちなみにこの東京裁判の記録映画の監督は西部劇監督で有名なジョン・フォードだ。いかにも白人に有利なことばかりでお涙西部劇映画を作る監督らしい」
老人はガラガラとブランデーでうがいをするとゆっくりとのみこんだ。
「それでも裁判は全員有罪になったんでしょう」
「ま、99点くらいだな。そして処刑は皇太子誕生日に実行するという田舎芝居をうった」
「??」
「12月23日だ。現平成天皇誕生日だ」
「へえ」
「米軍は此れをアメリカ国民に対するクリスマスプレゼントと発表した。それと同時に日本国民に謂い知れない恐怖を与えるために選んだ日にちなのだがね。当時ご幼少だった皇太子に恐怖心を植え付けることが目的でもあった」
「それで東条の遺体を行方不明にしたと」
「そう、将来日本国民が東京裁判の非をならして、東条を担ぐ可能性があるとおそれたのだろうな。現にドイツではヒトラーを担ぐのは今ではごく少数のネオナチだけだが。日本では事情が違う。靖国神社に合祀されたことからもドイツとは事情がことなる」
「ところでご老人の東条英機に対する評価は」
「彼に対する評価は出来ないね。それとアメリカの態度の非道は同じ問題ではない。東条は幼稚な政治外交手腕、拙劣きわまる戦争指導、引き際(去り際)の無様なことなど、わたしは靖国神社合祀など論外と思っている」
ブランデーが入るにつれて老人の顔色は生気をおび、その気迫クラブ・マヌエラの全店を覆うがごとき、であった。22歳の美しいひ孫はそんな老人を尊敬のまなざしで見上げていた。