私の分類では森本氏は親米売国派である。自民党の石破氏と同じグループに入る。
この人事は実に意外であった。夕刊フジは当日午後の版で森本氏の名前は出ていない。北沢前防衛大臣とあと一人名前は忘れたが候補が挙がっている始末であった。夕刊フジのチョンボなんだろうが、野田総理も相当迷ったらしい。
苦し紛れに森本氏に落ち着いたと見る。野田総理の考えていた候補の一人には連立の布石として自民党の政治家の名前もあったのではないか。それが実現していればちょっとしたニュースにはなった。
多くの政治家が、自民民主を含めて民間人の防衛大臣は問題だ、政治家の責任がとれない、と言っているがナンセンスである。論評に値しない。その点では問題は無いのだが、親米(媚米)売国主義というのがね。石原慎太郎氏だったら面白かった。副総理兼防衛大臣とかね。
& 六月五日 &
それにしても森本氏はよく受諾したね、というのが感想だ。今日の夕刊フジによると野田首相は民間人として前防衛大学校長の五百旗頭を考えていたらしい。彼は神戸かどこかの大学教師で確か歴史が専門じゃなかったかな。自衛隊にかかわったのは校長時代だけのはずだ。
この防衛大学校長への人事は自民党時代のものだが、当時随分妙なことをするとおもったものだ。
さて、そこでだ。相変わらず代議士の馬鹿たちからの批判が報道されているのでちょいと取り上げよう。
大臣就任を批判するのはいい。能力が無い、知見がない、などの観点から具体的に指摘するなら、それはそれで有益なことだろう。
理屈にならない理由でしたり顔に反対するからオイラがからかいたくなるのだ。
* シビリアンコントロールが出来なくなると言うのだ。これはどういう思考回路なんだろね。
自民、民主の白痴代議士が口をそろえて歌っているのだ。森本氏は何十年も前に自衛隊を三佐で退役したそうだ。三佐といえば昔の少佐かな、会社でいえば主任かせいぜい係長だ。その後自衛他御用を勤めていたとはいえ、シビリアンコントロールがどうのこうのと心配する話ではなかろう。
戦前の反省からシビリアンコントロールということが言われるようになったが、戦前は確か昭和のはじめか大正のおわりに、現役の将官でなければ陸軍大臣、海軍大臣を承認しないと軍部がごねてそのようになった。この結果、政治的コントロールが利かなくなった。その反省の上にたっている。
大昔にペイペイでやめた森本氏がその後の評論、研究活動の甲斐あって大臣になったからといって、シビリアンコントロールがおかしくなるなんて、馬鹿でなければ言わない。
シビリアンコントロールの歴史的意義のわからないヤツが防衛問題のエキスパートだって。背筋が寒くなる。
* 民間人は政治的責任はとれない。とらない。馬鹿をいうな、なにかあって引責辞任すれば責任をとったことになるんだよ。世迷いごとを言うな。
国民に選ばれた代議士でないから責任をとれない??、、どこをどうひねればそんな理屈が出てくるのだ。
特定地方の民度の低い利益誘導大歓迎の地元選挙民に選ばれたのが、そんなに偉いつもりになっている理由なのか(チト戦後民主主義の大本にたいする冒涜的発言でしたかな)。
マスコミも間違えだらけの馬鹿代議士の発言を垂れ流し報道するな。厳しく批判コメントつけてこそジャーナリストだろうが。