今日は財務大臣が泣いて喜ぶ話をしよう。今の国債発行残高は800兆円かい、500兆円かい。これを全部踏み倒せたら財務大臣、総理大臣は泣いて喜ぶだろう。
それをやったのが島津藩主重豪である。島津藩にはたしか500万両の借金があったらしい。みな商人から借り入れていたものだが、それを経済改革、財政健全化の第一歩として全部ちゃらにした。よだれが出るような話だろう。
こんなことはサムライ官僚にはできない。そこで重豪が使ったのが調所広郷(笑左衛門)である。彼は茶坊主であった。サムライ官僚制度のなかにあって、藩の使用人であっても茶坊主、医者、学者(儒学者)、能役者は一段と低く見られていた。
そこで調所を抜擢したのである。
調所は強引に藩主の方針を実行したが、商人には別の利権を用意した。それが琉球との密貿易の利権である。えらいものだ。歴史書でこの点を指摘したものは皆無であるので、念のために申し添える。
あまりにも荒唐無稽というわけだ。しかし、こういう仕掛けがないと800兆円国債踏み倒しはうまくいかない。
あとは仕事場がいる。まさか城の中でこんな事務はできない。サムライ官僚を完全排除して隠密に行わなければならない。
そこで使われたのが藩主の私邸(いわゆる奥、将軍の場合の大奥にあたる)であり、別邸である。また商人の家で行われることもあったであろう。
西郷隆盛など斉興の政治が「奥」やお由良様のいる私邸で、サムライ官僚を無視して行われたので彼の単純な頭脳でお由良様が政治を壟断していると判断した。それで口をきわめて罵っているのだ。
重豪の時代から久光の時代まで薩摩藩は血なまぐさいお家騒動が3回ほど起きているが、その構図はすべてまつりごとから外された霞が関官僚(旧弊な中世的軍律に縛られたサムライ集団)と町人、商人と結んだ首相の私的諮問機関(たとえばおゆらの周辺の人間)との間の抗争であった。