大江健三郎の「沖縄ノート」に記述されている、沖縄集団自決が軍の命令でなかったとする訴えを、大阪地方裁判所が退けた。当然のことである。当時の軍人たちが、軍は命令をしていないと訴えたのは、なぜだろう。
この問題は、戦争をどうしても美化したい連中によって、過大評価されて教科書の記述を訂正するところまでいった。沖縄県民の怒りや反論は厳しいものがあり、県内全自治体の反論となった。
「自決の命令をしていない」とする根拠は、自らの行動や発言であるかもしれないが、当時の日本軍の実態を反映したことではない。こうした発言は、自らを正当化させ戦争そのものを美化するばかりか、戦闘で亡くなったりした沖縄の人たちの屍を踏みにじるものである。
曽野綾子たちが、一般人に集団自決の命令をしていなかった元軍人たちを取材することで、軍の正当性と、戦争が仕組まれたものとしたかったのであろう。
この戦争が、東南アジアで次々と敗退する中で、「戦陣訓」を掲げることで軍に限らず、全国民へ徹底抗戦を命じたのは東条英機である。
この戦争が、戦争を美化したい連中にとって仮に必要だったか、あるいは嵌められたかだとしても、敵の手に落ちるくらいなら「死ね」と命じた、東条の戦陣訓はあちこちでかなり忠事実に守られた事実がある。
徒手空拳になりながらも、白旗を掲げることを恥とし、万歳と叫びながら敵兵に突っ込んでいくさまを、アメリカ兵たちは理解できなかった。彼らの死を散華と呼び、忠臣愛国の精神を焚きつけたものである。
正常な判断能力と国民を思う気があるなら、ミッドウェイの敗北辺りで敗戦を認めていたなら、太平洋戦争の死者は350万人とされるが、少なくとも200万人の命は救われていたことになる。その中に私の父もいる。
原告は直ちに上告したそうである。60年を経過してもいまだに、事実を認めようとしないばかりか戦争の美化を望む連中である。恥ずかしい話である。