4月5日にオバマ大統領が、プラハで核兵器廃絶の演説をして、一月が過ぎた。いち早く彼の演説を、一縷の疑問が残るものの、私は高く評価した。http://okaiken.blog.ocn.ne.jp/060607/2009/04/post_3ea8.html#trackback
現実に世界が動き出し始めた。核廃絶は夢物語には違いないが、軍縮がアメリカ主導で論議されることに、大きな活路が見いだせるように思える。NPT(核不拡散条約)もにわかに活気づいたようである。オバマも「核兵器と核テロの脅威に有効に対処できるように」とメッセージを送っている。
アメリカとロシアがそれぞれ5000発を超える核弾頭を所有している。その維持管理が財政的に困難になってきたことに加え、テロリストへの広がりが現実を帯びてきたことが背景にある。オバマの提案は、少なくともロシアには受け入れられることにはなるだろう。
日本の広島長崎の秋葉、田上両市長も出席して、日本の被爆地での会談を提案している。広島の秋葉忠利市長は、「オバマジョリティー」として、多いに声を上げ広げようとユニークな発言をした。オバマとマジョリティー(多数)をくっつけた造語である。今までの日本の政治家にはなかった、新鮮な提案である。広がりを期待したい。
ところで、日本政府の動きは、日本が唯一の被爆国で非核3原則を掲げていることを、理由にしている。それはそれで良いのであるが、特に非核3原則は世界的な評価を受け、佐藤栄作がノーベル平和賞をもらうという珍事の理由にもなっている。現実には、アメリカの核は自由に持ち込まれていた。持たない、作らない、持ち込まないは実行されてはいなかった。
本来であれば、日本は平和憲法を高く掲げる国家であるから、こうした会議の主導権をとるべきなのである。ところが、この国の最高法規の憲法を掲げる政治家はいない。その派生物を理由に掲げるのは、本来ではない。
日本がアメリカの核の傘、抑止力を利用しながらの発言に、憲法を前面に出さないことに説得力があるのだろうか。日本は、半年で1000発の核弾頭を作ることができる、ウランなどの資源と技術力があると評価されている。核廃絶へ向けて、日本が猛烈に世界にアピールする機会を、原子力発電所の依存と平和憲法を蹂躙するこれまでの経過から、日本自ら資格を喪失してしまっている。残念でならない。