日本憲法の9条を補完するのが、前文である。国民に主権がることを述べて、政府の行為として戦争がないようにすることを述べている。また、全世界のが、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認するとる。そして、
「日本国民は、恒久に平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するものであって・・・」とあり、最後には「・・・いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならにものであって・・・」とある。
日本は、憲法の精神を蔑ろにしたままで、この国に平和の理念を植え付ける作業を忘れてしまった。私は、戦後間もなく日本は「戦争放棄」をしましたと、、平和憲法を教えてもらった。当時の 文部省がやったのであるが、朝鮮戦争が収まる頃には授業からそれは消えてしまった。
左の図はその時のパンフレット「新しい憲法のはなし」である。武器を戦争放棄によって、平和産業に変えるとする意味である。なぜか今は、憲法も戦争放棄も教えることはない。
日本国憲法の9条ばかりが存在感を大きくしているが、前文は極めて崇高な反戦の理念と、国民の生存の権利を掲げている。
この憲法の採択に、大きく関与したアメリカがその後、全く異なる暴力国家に変貌していったのは、何とも皮肉なことである。改憲派の人たちは、国民を守ることすなわち国防論から安全保障へと展開し、再軍備を目指す。戦争ができる国家にするのが目的である。他国の存在は問うことがない。
戦争の放棄は、自らが戦わない、武器を持たないことだけではなく、他国の存在を認めることが前提でなければならない。今日は憲法が施行されて62年目の記念日である。今一度、前文の存在を確認したいものである。