そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

不可食処分場の設置を

2016-02-24 | アニマルウエルフェアー
家畜はいずれその経済性がなくなれば、処分されます。肉牛や肉豚は食肉を目的に、屠場で処分され解体されてお肉になり消費者の手元に届きます。屠場は生きている家畜の命を奪うところではなく、食肉を作る施設なのです。
ところで、死んでしまった牛はどうなるかと言えば、死亡獣処理場という施設があって、ここで処分されます。皮などを利用したりペットフードに利用する場合は、化製場としての機能も申請で許可されます。都道府県知事の所轄になります。府県の場合他府県に搬入されたりもします。
これらの施設は、昭和20年代に作られた法律をに基づき作られ運用されています。

ところが、畜産の近代化が叫ばれ今日では多くの家畜たちには過酷な労働が課せられています。そこで私たち獣医師が治療することになるのですが、生きているにもかかわらず、食肉に適さない場合が生じます。
ところが、古い法律は生きていれば屠場に搬入されそれ以外の場合は死んでいることしか前提にしていません。
生きているのに治療もできない食肉も適さない家畜は、処分されるところがないのです。
60年前の法律は、まるで使役牛のことしか考えていないのです。おまけにこれらの施設は、保健場の管理になり、厚生労働省の管轄になります。
農場で病気を治療したり予防したりするのは獣医師で、農林省の管轄になります。既存の法律と施設は厚生労働省の管轄なので、病牛のことには基本的に責任はないのです。
現在日本の多くの酪農場では年間30%ほどの乳牛が淘汰されています。その多分半数以上が食肉に適さないままでの淘汰になっているのです。生きていれば法律では、死亡獣処理場に搬入することはできないのです。持って行き場がないのです。そこで、資格も権限も責任もない立場の処理場の人が処分するのです。法律に規定がない以上違法ではないのです。処分場の生きたままの牛は悲惨な状況にあります。法律に規定がない以上は何のお咎めもありません。
これらの牛を、命ある生き物として適性の処分するためには、現在は存在しない「不可食(獣)処分場」の設置が求められます。何の副産物も生まないために、農家に一定の負担のいただくにしても、こうした施設は公的機関の運用以外にはないでしょう。
不可食処分場の設置のためには、省庁の壁を取り去って現実に起きていることについて、的確な対応ができるように、法的な整備も必要になります。
多くの畜産農家が矛盾を感じながらも、病畜を資格も何もない業者に依頼しているのです。都道府県の壁をなくした、不可食(獣)処分場の設置が求められています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

羅臼港

春誓い羅臼港