結局は、小泉・竹中によって行われた新自由主義への道、福祉国家・高齢化時代とは真逆の政策が打ち出されたことによる、格差社会の実現こそが、今日の諸悪の根源である。厚労省の不正統計の結果を無視して安倍晋三が言った言葉がそれを象徴している。
「個人の賃金は仮に減ったとしても、雇用者人数が増えていれば社会として人件費が多く支払われていることになる」というのである。つまり労働者を増やせば、安価な賃金でも構わない、雇用を増やすのであれば賃金など安くても構わないと、この男は主張しているのである。
これはまさしく、非正規雇用が驚くべき勢いでこの国を席巻していることを背景にした発言といえる。非正規雇用が安価な賃金であるのは、労働者が労働三法に守られていないからであるといえる。いつでも首にできるし、継続するかどうかも自由である。
アベノミクスは成功している賃金が上がっているという主張は平均の数字なのである。社会全体の賃金が増えているかに見えるのは、高額報酬の労働者は数は少なくても極めて高額な賃金を得ているからである。安価な労働者が増えても、高額賃金差が増えれば平均給与は、さほど下がることはない。このところは多分上がっているのかもしれない。
厚労省の不正調査は下がった賃金を高給取りたちも、低賃金層の増加をカバーできない状況になったこと意味しているのである。
このところ信じられない、親殺しや子殺しや動機の解らない事件が頻繁に発生する。その犯罪者の多くが、貧困層のほぼ男性の独身者であることを見逃してはならない。社会に対する不満も鬱積している。自らを責め続けるほどそれは高まり、誰でもいいからと刃傷沙汰を起こす。これまでは痴情、怨恨、物取りが犯罪の動機であったが、無関係に人を殺めるのである。松本清張がいたらドラマが成り立たないと匙を投げだすだろう。
貧困層は社会資本の安定にも貢献しない。購買能力もない。新たな文化を創り出す余裕もない。結婚できないことも大きな問題である。貧困層の増大は社会不安と不安定の元になる。それらは正雇用を放棄したからに他ならないのである。
竹中平蔵は、「若者は貧困になり自由がある」と言ったが、現実には、「国民には富裕層になる自由などない」のである。