そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

労働の目的や質を働くものから奪った格差社会

2019-12-30 | 格差社会

2018年で3千万米ドル(約30億円)以上の資産を持つ日本人は、僅かに1万7855人である。人口比0.01%であるが彼らの資産合計は110兆円超となる。日本のGDPが550兆円超であるから、彼らの資産は20%に匹敵する。驚異というより天文学的といえる。このくらいになると資産など呼ばれるものではなく、「富」と呼ばれるべきであるが、この富は労働で得られたものではない。
このレベルになると格差社会を超越した非現実事実という他ない。労働とはおよそ無関係な金融取引による富の形成であろう。
賃金は労働の対価として求められるものである。労働にはその成果があり、社会的に支えるべき質があるはずである。一次産業とその周辺では、労働の対価が賃金だけではない。労働の成果や結果が確認できる時点が必ずある。種をまけが芽を出し実を付け収穫する。その量や品質を見ることになる。
私自身、獣医師を15名ほどいた診療所の管理職であった時期に、病気などで5名以上が10か月もフルで働けない時期があった。私は一月100時間以上の時間外を、ほぼ一年続けることになった。健常な職員もほぼそれに近かったが、多忙であったが誰一人として労働過重などとは口にはしなかった。診療すると治れば農家は喜んでくれるし、駄目になれば怒られる事もあるが、いずれにしても労働の結果が目に見えている。農家の喜ぶ姿や怒る態度や牛の顔などが常時そこにあるからである。
労働の成果がディスプレイに向こうや、紙によって表されても体は受け付けてはいないのであろう。多くの過労死や障害を示す方々はそうしたことではないかと思われる。
天文学的な資産を抱え込んで、多分労働などする場もないであろう彼らには、どのような労働の地価があるのかはわからないが、社会がいびつになっている事だけは確かである。
日本には勤労の美徳という概念がある。これは農耕民族の培ってきたものである。金銭的な対価は多く得られるものではないが、労働の過程と成果を見ることができる。
小泉・竹中に始まる新自由主義という金融資本主義は、富める者をさらに豊かにし貧し人達をさらに貧困へと追いやったでではない。彼らは労働の本質を、その目的や喜びを労働者から奪ったのである。安倍信三は更にそれを推し進めたといえる。それは日本というが育んできた文化の破壊でもある。

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