格差社会が進行しているが、それは所得の面だけでとらえられることが多く、現実に存在する各種の格差について論じられることもほとんどない。
上図は、正規と非正規、男と女による格差を賃金によってあらわしている。賃金は格差の結果の現象にすぎない。賃金を同じにすれば格差がなくなるわけではない。企業内の地位が向上するわけでもなく、社会的な扱いが均一になるわけでもない。
賃金を同じにすれば格差解消に多少は役にたつかもしれないが、非正規社員を増やした目的が安価な労働であり、脱労働基本法であるある。こうしたことが根底にある。仮に賃金を揃えるとなると、正規社員の賃金や、男性社員の賃金が抑制されるだろう。不満も平等性も損なわれたままで、賃金だけに固執して、賃金だけを悪玉に挙げても格差の本質は解消されない。
格差の本質は地方から、人間を奪い富を奪ってしまったこの国の政策にある。金銭評価でしか、社会活動を評価することしかできないようにしたからである。私の住む北海道の田舎は、道都の札幌に比して3割は賃金が低く、その札幌も東京より3割は安い。
ところが田舎では年収400万程度でも、100坪以上の土地に住宅を建てている。土地も建材物も人件費も安いからであろう。金が動かないからである。
下に本ブログで何度も載せているのは、国民を騙して国鉄の民営化を強行した自民党の宣伝文である。
ローカル線はなくなりません、ブルートレインもなくなりませんと謳っている。今見るとお笑いであるが、民営化はともかく、赤字になるのが判っている地方路線、特に北海道や四国は分割されては、採算がとれないのは当初からはっきりしていた。
逆に妙な形で物価つされた東海は大黒字で、リニアモーターという絶対に採算は取れない、電力大食い環境破壊事業に手を出す。冗漫な経営は黒字地減らしとしか思えない。
民営化しても分割していない郵便は、北海道から沖縄に手紙を書いても、隣の家に手紙を送っても同額である。JRは分割によって、地方を切り捨てたのである。
日本の一次産業、とりわけ農業を日本は切り捨てた。経済効率を優先し、食料を犠牲にして、主に車など工業製品を大量にアメリカに売りつけに成功したのである。アメリカからは、肥培管理が不明の農産物、食料と飼料用穀物を大量に輸入する。国際分業論という、世界の主要な国の何処も行っていない、食料海外依存の形態を創りあげる。
こうして日本農業は保護とは全く無縁の、近代化という農業政策を打ち出し周辺産業が潤う、農家切り捨て政策へと走る。金の卵と持ち上げられた、安価な労働力を地方から集め、地方は、農村は衰退するばかりである。この格差が問題なのである。
国は経済活動を金の動きで判断する。GDP評価であるが、当地の巨大酪農家は400頭搾乳すると生産額は4億円になるが、40頭搾乳の農家の生産額は3000万円少々であるが、手取りは全く変わらない。今般の頃にゃウクライナなど世界情勢でそれも逆転している。GDPは10分の1以下の酪農家の方が健全であることに論を待たないが、国が推進した格差社会は更なる農村の疲弊をもたらす。
格差社会は、GDP評価による一次産業切り捨ての産物である。