原発容認派の人々の理屈の中に、太陽は核分裂していてそのエネルギーが地球の生命の源になっている、だから核エネルギーは必要で安全だという論理である。核エネルギーを安全に取り込む原発は必要であるというのである。
確かに地球上のほぼすべての活動のエネルギーは太陽の恩恵を預かったものである。そのエネルギの根源は、植物の光合成によって作り出されたものである。
植物が蓄えたエネルギーを色んな段階を経ながら、我々人間を含むあらゆる動物の活動を、食料という形で支えている。動物の肉を食べてみたところで、その動物は植物が蓄え貯蔵している肉体を頂いているのである。日本語の食事する時の、「いただきます」はその蓄えた生き物(植物・動物)に感謝するものである。
核エネルギーを見事に、安全に、効率よく取り込むのが光合成(Photosynthesis)である。多くの植物はこの過程で、大気中の炭素を取り込み酸素を吐き出す。地中に炭素を取り込み、大気に酸素を吐き出すことは、あらゆる生き物にとって生命の根源でもある。森林が無造作に破壊されるが、植物は人類は当然のこと、あらゆる動物を守っている、守られているのである。
上記の原発容認派言葉は、核の安全を意識させようとする言葉であるが、地球上で核は危険極まりない。12年前の東日本大震災で生じた福島原発から外に吐き出された放射能は、全体のたった2%に過ぎない。本ブログで散々東京電力の悪口を欠いているが、98%は取り込めているのである。見方によってはよく頑張っているともいえる。
たった2%漏れただけでも、これだけの被害を人間に及ぼすのである。そして取り込まれているデブリは、12年経っても実態は解っていない。後50年経てば、処理方法のめどが立つであろうという、時間の生命のスパン、人間の感性を遥かに超える物でもある。
それを岸田文雄は、再稼働させ老朽化を認めず、新設まで容認しているのである。核兵器も原発も地球上に存在してはならないものである。