日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

映画鑑賞の記憶

2005-11-10 07:02:52 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
昭和30年代、小学校では映画鑑賞の日というのがあって、近くの映画館は学校貸切となり、並んで近くの映画館へ行ったものだ。
私はその映画鑑賞が苦手だった。
2本立て映画のメインでない1本が怖い映画だったから?定かな記憶はない。
それで、担任に頼んで、「教室で自習」したり、「仲間で写生」をしたりして時間を過ごした記憶もある。
それを認めてもらえないときは、映画館の外側の階段で『チヨコレイト』『パイナップル』『グリコ』とジャンケンしたりして時間をつぶしたこともあった。
この映画「綴り方兄弟」の時は、いつでも外に出られるように映画館の左側最後列に座ってみていた。
私小学校3年生頃か。
同じ年頃の雨漏りするような家に住む学用品にも事欠く女の子が主人公。教室で鉛筆がなくなると彼女に疑いがかかる、そんな話もあったような。
話の筋も朧なのだけれど、悲しくて、こらえようとしても咽ぶように泣き声まで出してしまった覚えがある。
まだ十にも満たない私のココロに入ってきた彼女の境遇。
毎日鉛筆でチラシの裏に作文を書き続ける彼女の映像が朧には残っている。
戦後の復興から置き去りにされていた貧しさの中の健気さに胸打たれたのだけれども、きっとこの感情は普遍的なものだから、今もどこかの国にこんな健気な彼女がいるに違いないと思うことがある。
-人は生まれてくる時代も環境も選べないけれど、どんな時代どんな場にあっても感動する心は自分のもの、自分そのもの-
私は、そう思っています。
「あたりまえ!」って、声が飛んできそうですね(笑い)。
コメント (2)
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