日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

小春日和です。「落書き」と「ドラえもんのシール」から

2005-11-18 11:05:14 | 子育ての周辺
久しぶりに書斎の掃除をする。
日差しが随分斜めだから、部屋の奥のほうまで明るい。
結婚当初に買ったカラーボックス(転勤族には便利な組み立て家具、まだ残っていた)にも日があたって、モップをかけていると側面の鉛筆の落書きとドラえもんのシールが目に入った。
形にもならない落書きだから、長女ヨチヨチ歩きの頃か。
3人の子供がいるけれど、してはいけないところに落書きするのは長女の癖。そしてドラえもんのシール大好き子供だったのも彼女の特徴(数年間はドラえもんのシール付きのカレンダーがサンタクロースへプレゼントのお願いだった)。
鉛筆を持つのが大好きで、いつも何かを書いていたから彼女の左利きは治す間もなかった(笑い。はさみは危ないからお母さんのいるところで使いなさいといったせいか、右手使い)。
あの頃6畳間の白い壁が鉛筆の落書きでいっぱいだった(二人の子供を抱えて体調のよくないこともあったから注意するのもあきらめて、引っ越すときにペンキを塗るという選択をした)。
今日ここにある落書きも、その白い壁に落書きした時代のもの。
節分の鬼のお面を貼り付けて、「福は内、鬼は外」とやったのもその壁。
鬼のお面をつけるのが怖かったし、お母さんがお面つけて鬼の役をするのも嫌がった娘だったから。
まだ弟は小さ過ぎて、だから娘といっしょになって、壁の鬼に豆を投げてはしゃいだ記憶がよみがえります。
そして、彼女随分小さい頃からドラえもんの漫画が大好きで、
「私ね、学校って嫌なところだって思っていた。だって、いつものび太のように廊下に立たされるのだと思っていたから」
子供時代は本の虫で、鞄を放り投げて外遊びしてくれたらと願うような子供だった。
自分の泥んこの靴を示して「いっぱい遊んだって証拠だから、いいことなんだよね」と、勇んで報告した娘。
そういっていたのに、今もまだ学校というところに通ってます。

追記 
そう、「サラマンドラ」の歌を耳にしたのはこの頃です。
♪サラマンドラ、サラマンドーラ火の中の竜
大好きで、大好きで、歌詞を覚えたくて、紙に書いてこの落書きの白い壁に貼って、掃除しながら歌っていました。
子供は覚えるのに、音痴な私はなかなか覚えられなくて…。
今も、あのメロディー思い出すとにジィーンとなってしまいます。
歌詞、どこかで探せないかな。
詩も切なく素敵です。
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こんな話 2題

2005-11-18 08:05:11 | 私の雑感あれこれ
こんな話 その1
大学時代の仲間と談笑しながら街中を歩いていると、兄弟がやってくるのに気付く。
心のうちで「あっ」と。
言葉を交わさないで通り過ぎる。
そして彼は思う。
(兄弟に対して)あの時そ知らぬ振りをしてくれた、その気遣いをありがとう、と。
そして、同じようにそ知らぬ振りをした自分自身に対しては、その狭量であることを嘆く。白っぽかった彼は白人との友人関係の中で生きていたのでしょう。
彼ら兄弟はアメリカの黒人。少しでも黒人の血が入っていると黒人とみなされるので、殆ど白人に近い黒人もあるらしい。そして兄弟でもその差があるという。

この文章を読んだのは10年も前のこと。アメリカの著作業の方だったと思うけれど、名前は覚えていない。彼は通り過ぎた一瞬の心の葛藤を道連れに生きて来られたのでしょう。彼がその若者だった時代から幾年たってこの文章を書かれたのか。
それから随分経つのに、私の心に留まっている(その短文をコピーしておけばよかったと悔やまれます)。

そして、昨日ケーブルテレビであの「ルーツ」の続編を見た。
アフリカから奴隷船で連れてこられたクンタ・キンテから4代目の時代。

こんな話 その2
娘が付き合いたいと若い男性を連れてくる。
その男性は黒人とはいっても殆ど白人に見える。
若者は父親(義理※)から仕込まれた家具職人としてと生活していけると訴える。
父親は言う「ダメだ」と。
「黒人とはいっても、口元に特徴が残るだけで、殆ど白人だ。
白っぽい黒人は白人の家に入れてもらい執事になったり、馭車になって、俺ら黒人を酷い目にあわせたんだ。
だから、白っぽい黒人は嫌いだ。だからなんとしても認められない」と。
若者は失意で村を出る。

二つの話は時代が違う。20世紀と南北戦争後。
暮らしの端々で葛藤が生まれ、その人なりの価値観が育っているのだとおもいます。
遠い国の話だけれど、知らないよりは知っていたほうがいい。それが文章であっても映像であっても。時代や場面が異なっても、皆それぞれが抱えている葛藤の中で生きているのだと知らされます。
きっと、その葛藤が人を育てる一助にもなっていると、そう思うところがあります。

(※)当時の黒人女性は白人男性のもてあそぶ対象として扱われてもいたから、彼のいう父親は血のつながった親ではないと、娘の父は察してしまう。
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