昨日はエアコン取付工事が昼中に入ったため、仕事一日休み。
あのパールバックの「大地」の第3巻の(文庫本では4冊目)を引っ張り出して、お気に入りの箇所を探した。
頭の中では、あの辺りの、左ページの…と、記憶に残っているのになかなか出てこない。
私が始めて「大地」を読んだのは15年以上前。こんな長編をなぜ手にとったのかは覚えていないけれど、3代にわたる物語りの初代が一杯の手桶の水を大切に大切に使いまわすはじめ頃の場面からぐんぐん引きずり込まれるように読み進んだものです。
終章辺りの王虎の第2婦人だったか、愛蘭の母(美齢を養女として育てた人)の理性に出会い導かれるような思いをしたものです。
そんな感覚を覚えているものだから、再読したくなって文庫本を買い求めたのは7,8年前だったでしょうか。
その愛蘭の母(美齢の養母)の台詞にもう一度出会いたいと思って、本屋で文庫本の4冊目を手にとって、手始めに開いたページ(しおりが挟まっていた)が、私の求めていた、そのページでした。
なんと?何で?とびっくり。
「誰かが、私のほかにも誰かがこのページを読みに来ていたのかしら」
思い込みの激しい私は、そう思った程でした。
そして偶々時間があった昨日、またそのページを探そうと書斎から引っ張り出したのですが、何度検討をつけて、ページをめくっても巡り合えません。
3度目を読み直しなさいということかもしれません。
幼児から中国での生活が長かったパールバックのこの本、1930年頃出版とのことですが、私にとってのこの本は、そしてパールバックは「金(きん)」※です。
なぜ、今、中国のこの物語かと…。自分の中ではわかっているのです。
あの「ワイルドスワン」のユン・チュアンさんの「モォ」(毛沢東のことを書いた本)や「中国農村調査」という、悲惨な現実を著した本がいま私の周りにあり、彼の国の厳しい情勢はさもありなんと思うのです。
そして、他方中国企業の日本事務所で働き出した娘のことがココロにかかっていないというのは嘘になります。
娘から中国には「どんなところにあっても金は金(※)であり、光輝くものだ」という意味の諺があると聞きました。
きっと、娘の接する個々人については、彼の国の人々も輝きを失っていない人もいるはずだと考えています。
そして、彼女も「金の卵」かも知れないのだから、そっと見守るしかありません。
だって、留学をし、日本企業の上海支店でインターンシップも体験し、各地への一人旅も経験し、本でしか知らない私よりも中国の人たちと接してきたのだから。
あのパールバックの「大地」の第3巻の(文庫本では4冊目)を引っ張り出して、お気に入りの箇所を探した。
頭の中では、あの辺りの、左ページの…と、記憶に残っているのになかなか出てこない。
私が始めて「大地」を読んだのは15年以上前。こんな長編をなぜ手にとったのかは覚えていないけれど、3代にわたる物語りの初代が一杯の手桶の水を大切に大切に使いまわすはじめ頃の場面からぐんぐん引きずり込まれるように読み進んだものです。
終章辺りの王虎の第2婦人だったか、愛蘭の母(美齢を養女として育てた人)の理性に出会い導かれるような思いをしたものです。
そんな感覚を覚えているものだから、再読したくなって文庫本を買い求めたのは7,8年前だったでしょうか。
その愛蘭の母(美齢の養母)の台詞にもう一度出会いたいと思って、本屋で文庫本の4冊目を手にとって、手始めに開いたページ(しおりが挟まっていた)が、私の求めていた、そのページでした。
なんと?何で?とびっくり。
「誰かが、私のほかにも誰かがこのページを読みに来ていたのかしら」
思い込みの激しい私は、そう思った程でした。
そして偶々時間があった昨日、またそのページを探そうと書斎から引っ張り出したのですが、何度検討をつけて、ページをめくっても巡り合えません。
3度目を読み直しなさいということかもしれません。
幼児から中国での生活が長かったパールバックのこの本、1930年頃出版とのことですが、私にとってのこの本は、そしてパールバックは「金(きん)」※です。
なぜ、今、中国のこの物語かと…。自分の中ではわかっているのです。
あの「ワイルドスワン」のユン・チュアンさんの「モォ」(毛沢東のことを書いた本)や「中国農村調査」という、悲惨な現実を著した本がいま私の周りにあり、彼の国の厳しい情勢はさもありなんと思うのです。
そして、他方中国企業の日本事務所で働き出した娘のことがココロにかかっていないというのは嘘になります。
娘から中国には「どんなところにあっても金は金(※)であり、光輝くものだ」という意味の諺があると聞きました。
きっと、娘の接する個々人については、彼の国の人々も輝きを失っていない人もいるはずだと考えています。
そして、彼女も「金の卵」かも知れないのだから、そっと見守るしかありません。
だって、留学をし、日本企業の上海支店でインターンシップも体験し、各地への一人旅も経験し、本でしか知らない私よりも中国の人たちと接してきたのだから。