日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

AHI(アジア保健研修所)の「アジア津浪基金」に関する出張報告を読んで

2006-08-10 11:43:49 | 私の雑感あれこれ
会報の資料として、担当者M.Yさんの13ページに及ぶ報告書が委員宛にメールで届きました。
今日の編集会議までに、ざっと目を通してください…と。

今年もジャワ地震が起きたこともあり、随分以前に思うけれど、あの大きな災害をもたらした津波から1年半。
AHIとは会員の一人として交流があっただけで、編集のメンバーに入れてもらってからは日が浅い私には、気持ちが暗くなる内容の話が次々と出てきて、気が重くなる。

あの「津波はなんだったのか」との問いに、「『津波』は恵み」と言う返答が多かったとのこと。
即、理解ができますか。
この大規模災害のおかげで、これまで周縁化され誰も知らなかったところが、国内のみならず国際的にも注目を浴びた。そしてヒト・モノ・カネが殺到したというわけです。
国際援助は、貧富の差を助長するなど本に書いてあるとわかったように頷いていた私ですが、具体的に、今回、私たちが編集しようとしている記事が、多くの犠牲者が身近にいながら、その災害を「恵み」ととらえる大勢がいることが現実だと伝えられると、気が重くなってしまうのです。

そして、援助の問題点として
無秩序な援助組織の殺到で、被災者は、少しでも好条件を提示するNGOになびいたり、あるいはNGOの対応に不満を感じたり要望を出したりする。同意したことを簡単に反故にする。もらっても有り難がらない。モノを粗末にする。貰い慣れする。そのような関係を生み出しがちである。

うーん、言われてみれば、想像はできます。

良心が動かされて義捐金を寄せる支援者の「災害救援」理解は、息の長い、自立に向けた地域再生の努力を十分に思い描けず、瓦礫の中で絶望する哀れな被災者への同上と哀れみの念から、援助組織にそのような状況から救い出してあげることを託して寄付をする、ということにつながる。しかし、メディアを通じて報道されなくなると、私も支援した、という満足感と共に忘れてしまうパターンが多いのではないだろうか。

実は私はこのパターンでした。上記の現場の状況等を知り、指摘されれば、全てここにかかれた通りでは無いとしても、なんと表層的な把握をしていたのかと思います。

本来AHIは活動から「災害」を除外していたことから、本件AHIの「アジア津浪基金」は別枠での活動であったとのこと。
アジアのひとたちの生活改善にかかわっているから、その人たちが困った時に、何故即援助しないの?なんて、短絡的に考えていたけれど、昨日届いた原稿から救助の現場報告で、学ぶことが多くありました。

さて、この原稿、会報になったときに、少しでも多くの皆さんの目に触れるように、そう願います。

コメント (2)
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