土曜日豊田市美術館に「黒田清輝展」を見に行く。
彼は明治になる前々年の1866年に生まれているから、世代としては夏目漱石らと同時代の人に当たるのだろう。
法律を学ぶためにフランスへ留学し、そこで絵画の道に方向転換する。20代の7年間もフランス暮らし。パリ万博開催に向けて、フランスがもっとも華やいでいた19世紀末の時代に日本から長期間留学できる階層を想像しながら、会場を巡る。
人物デッサンも多く展示されており、また葉書大のスケッチ帳の鉛筆スケッチも絵を学んでいる若者の熱心が感じられて楽しかった。
パリは印象派の時代。元気なパリは私たちが想像する以上に刺激的だったのでしょう。
黒田清輝といえば超有名な「湖畔」や「読書する女」(正確な題名は不知)なのでしょうけれど、気品ある確かなデッサン力の裸婦の絵を見たりすると、彼らの世代が西洋絵画を輸入したのだと、そう教えらる思いです。
その後続々とパリへ学びに行く人たちが出たわけだけれど、先駆者に属する人なのでしょうね(若いとき学ぶ美術史よりも、今の方が味わい深く、その時代を想像できる気がします。人との比較ではなく、自分自身の問題として)。
後になって、東京美術学校の教授となり、帝展等の美術展の創設者であったと、俄か学問で知り、その後は美術界の重鎮とし名を成したのだろうけれど、若き日のデッサン画や、沢山の鉛筆スケッチを描いている明治の青年、黒田清輝を思って、そりなりに心に残る展覧会でした。
彼は明治になる前々年の1866年に生まれているから、世代としては夏目漱石らと同時代の人に当たるのだろう。
法律を学ぶためにフランスへ留学し、そこで絵画の道に方向転換する。20代の7年間もフランス暮らし。パリ万博開催に向けて、フランスがもっとも華やいでいた19世紀末の時代に日本から長期間留学できる階層を想像しながら、会場を巡る。
人物デッサンも多く展示されており、また葉書大のスケッチ帳の鉛筆スケッチも絵を学んでいる若者の熱心が感じられて楽しかった。
パリは印象派の時代。元気なパリは私たちが想像する以上に刺激的だったのでしょう。
黒田清輝といえば超有名な「湖畔」や「読書する女」(正確な題名は不知)なのでしょうけれど、気品ある確かなデッサン力の裸婦の絵を見たりすると、彼らの世代が西洋絵画を輸入したのだと、そう教えらる思いです。
その後続々とパリへ学びに行く人たちが出たわけだけれど、先駆者に属する人なのでしょうね(若いとき学ぶ美術史よりも、今の方が味わい深く、その時代を想像できる気がします。人との比較ではなく、自分自身の問題として)。
後になって、東京美術学校の教授となり、帝展等の美術展の創設者であったと、俄か学問で知り、その後は美術界の重鎮とし名を成したのだろうけれど、若き日のデッサン画や、沢山の鉛筆スケッチを描いている明治の青年、黒田清輝を思って、そりなりに心に残る展覧会でした。